意見をもつことについて考えてみた②
前回からさらに深掘りしてみた。
パワハラで現在に至る私。あの頃の事を振り返る日々。当時も今も私にパワハラした人を恨むとか凶弾したいとかまったく無いです。
あの頃は、全部私が悪い。私が変われば、相手も変わって現実が変わるから、私の悪いところを直します。って考えで思考も入れる情報も偏っていたと思います。
今は、言葉の力で貴方を変えなさいと言いつづけていたあの人は、あの人の中の正しさや正しさを正当化したいとか立ち位置を守るとか、私の立ち位置に私が相応しくないから蹴落としたいとかっていうあの人の課題を私にぶつけてたんだと思う。
出し方も溜めて溜めてどんって出すけど、何処がとかどの時の言動がとか具体的には指摘せず、全てが悪い的な言い方しかさせなかったので、私は具体的に何をどうすればいいのかわからず、自分で思考し行動して違う!って言われてを繰り返していた。
具体的に言われなかったのは、いろいろとあるだろうけど一つにはあの人自身が自分の課題であって私へは八つ当たりな部分もあるって分かってるとこもあったのじゃないかと思っています。
そうじゃない部分もあったと思いますよ。それは、ここでは置いときます。
今は、私の課題は私が解決すべく自分を深掘りする思考🌀のループにハマってる辛さがありますが、あの人はあの人で自分を肯定出来ない自己肯定感の低さは自分でどーにかしてくださいって思ってます。
あの人を今分析すると自己肯定感の低さとか執着している物事とかみえてきます。まぁ、話す機会もないし、私から言われたくないでしょうから伝える事ないですけどね。
自己肯定感が低いとそれを他者へ求める行為に走る人がいるとわかったので、経験値としてありがたいと思います。そして、他者に求める行為によって、他者を傷つける事があるのもわかってきたので、私の自己肯定感の低さは自分で高めていき、他者を巻き込まないようにする事が大切だと感じています。
自分の課題は自分でどーにかしないとね。その為の時間は何時間でも何年でもかかる時にはかかるでしょうが、自分で解決するしかないと思うこの頃です。
少しずつ、最近は自己肯定感高まってきたんですよ。人生短いかもしれませんが、自分と向き合う時間を創るのは大切だと感じています。
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