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理解と体感の違いを身をもって知る

4.5日かけて、布団カバーを作ってみた。ベッドカバーではなく、掛け布団を入れるカバー。手作りの良さは自分の好きを当てはめられる事。

パッチワーク、レース調。色は好きな青系全てを盛り込むためにまずは軽くデザインを書く。寒がりだから、生地の厚さか枚数で暖を取れないか考えてみる。出来上がりの寸法に合わせて計算する。好きな生地を選ぶ。

既製品だと、すでにあるものの中から選ぶし、ネットにしろ店舗にしろ、面倒になると妥協がはいる。

生地にも既製で売られてる限り規制があるけど、年月かけて集めてら分、好きの数値は高い。

のんびりと途中変化が必要であれば入れながらその物に関わるから愛着も湧く。大切に使うし、丁寧な扱いをするから、生活が整う。

あーこれか。って思った。生活の中で使うものを適当に買ってると、使う時もそれと共に暮らす時間も適当になる。食べるのも簡単でも作った物を食べるのとインスタントで済ます時の満足度とか。

これが、好きな物を選択してくってことなんだなぁと改めて思った。自分が作ったものでもテキトーだと愛着も無くなっていくんだよね。慣れなのか、手に入れた時の記憶なのかわからないけどね。

体に近い部分がより満足度が高い物で囲まれていると気持ちが豊かになり、テキトーに過ごすのではなく、その時の出来る限りのきっちり感で行動して、日々を過ごす。のだろう。

頭で理解してるつもりの事や他のことで理解してもそれを別の事に応用出来てない事とかやはり、体感することって大切だとと思う。

義務教育の時のネームとかも親がペンで書いた文字と機械刺繍では何年も経った後の捨てる時とかの気持ちが違ってくる。それも同じなのだろう。体操着に書いてある親の文字。明らかに私とは違う形。好きだなぁ。その文字から愛とか想いとかを感じる。使ってるその時はなんとも思わない。

何年も経って、捨てる時や片付けてて出てきた物を見て感じる。昭和の親のその当時できる範囲で子の生活を整えようとしてた気持ちに。ありがとう。



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