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ページを開く時が来た

私が住んでいるアパート、4世帯が入居していて、今日初めてお隣の人とお話ししたんです。玄関先でばったり会って。


壁が薄いアパートだから、普段子どもの泣き声で騒がしくしてることを謝ろうとした矢先、あちらから「ご出産おめでとう。ずっとお祝いの言葉を言いたかったのよ。」と、優しい笑顔で言われて。


もうびっくりしてしまって。
昼夜問わず子どもの泣き声が聞こえるのに。うるさいに決まってるのに。

このアパートには優しい人しかいないのか。


だって、下の部屋の人なんて、先日、出産祝いでギフトカードくれたんですよ。これまた優しい笑顔で。


ビッグライトで巨大化してこのアパートごと抱きしめたくなるほど、隣人に、環境に感謝があふれた今日でした。


初めて「感謝のリスト」のページを開く



自分軸手帳の「感謝のリスト」、実は一つも書けていなかったんだけど、ふと今日の出来事を書きたいなって思いました。


なんででしょうね。
子が介在しているからなのかな。


子どもが生まれて、なんとか1年やってきたけど、想像以上に大変で、本当に自分ひとりでは育てられなかった。

今日も、子どもの泣き声に眉をハの字にしながらも、微笑ましく思ってくれている隣人の方たちの存在がありがたくてありがたくて。


子育てでズタボロになったことで、心の底から感謝の気持ちを持てて「感謝のリスト」へ私を連れてきてくれたんだな、と思いました。



私にとって、感謝のリストのページを開く「時が来た」のだと思います。


実を言うと、手帳部の人が感謝のリストを埋めていくのを見て、ちょっと焦っていたところもあったんです。

だけど、自ずと時が来ました。

この「時が来た!」という決定的な心の動きに出会えたから、あのとき無理して書かなくて良かったとも思いました。





なんか、焦って無理して頑張っても、身にならないんじゃないかな、大人って。

焦りから役に立ちそうなものをあれもこれもって、私はやってしまいがちなんだけれど、なんだか心が満たされない感覚が残る。


心のままに夢中になったことにこそ、ずっとずっと胸にしまっておきたいような、キラッと光る経験が待っている気がするなぁ、上手く言えないけども。


自分の感性に素直に生きて、そしてまた何かの「時が来る」瞬間に立ち会いたいものです。

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