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奥に流れているものを感じる〜「気配」と「香り」

今の瞬間には、いくつかの選択肢が用意されていて、
そのタイミングで、自分がどの振動を出しているかで、
共振できる事実が違います。

だから、いつも変化できるということです。

今の自分がどうあるかで、

思うことも、反応も、相手への言葉も変わります。

簡単に言えば、どんな「気分」でいるか、とも言えます。

その出来事がいいか、悪いかではなく、

全部自分という映写機が目の前に、映し出す映像や景色。

だとすると、その映写機の中に入っているフィルムの

ストーリーを作っているデータは自分の中にある。

登場人物もすべて自分の中にある。

そのデータである、

「自分の信じていること」「頭では理解できないゾーン」

をしっかり、見られる力をつけていき、

きれいにしていくことができます。

ずっと生き方を模索していた私は、

過去にたくさんの素晴らしい体験や学びに出会い、

助けられました。

どれも今の自分に必要でありがたかったものばかりです。

でも、最後のピースがはまらない。

このピースは何なのか、わからなかったけれど、
ここだけは譲れなかったのです。

とうとう見つけたへそで生きる、

つまり、「みたまが本体」だという生き方は、

いろんなものと、言葉を表現も似ているけれど、

結果も体感も全然違ったのです。

最後のピースがはまったというのを超えて、

この最後のピースこそ、私にとって「すべて」でした。

何世紀も超えて、
「やっと出会えた」という喜びでいっぱいでした。

始まりは2005年の大晦日。

あの時のバイブレーションが、
かっこさん(山元加津子さん)と雪絵ちゃんと出遭わせてくれて、
2006年に中山靖雄先生と出遭わせてくれたと思っています。

そして、伊勢で感じた衝撃と香りが

今も私を引っ張ってくれています。

それは、中山靖雄先生を通じて感じた「気配」「香り」です。

私は、中山先生の「人」の部分と交流していなかったと思います。

先生の語る言葉の周囲と奥に漂う、

みたまの「香り」を必死で感じ取っていました。

ある時、ある方から、
「中山先生(人柄とか性格)をどう思いますか?」
と聞かれた時がありましたが、
答えが出てこなかったことがありました。

人柄とか性格とか、っていう風に、

先生の人の部分をあまり見ていなくて、

私にはそれは、あまり関係なかったのです。

その時、横にいた奥さんのみどりさんが、
「この人にそれを聞いても違うと思いますよ。
この人は、その部分ではなく「みたま」での交流やったから」
と言ってくださり確信したのです。

多くのケースは、師匠がいる場合、

その人の人の部分や人物を見てしまい、

本質が見えなくなるように思います。

その奥に流れているものを「頂く」のが大切なこと。

だから、奥に流れているものを感じると

すぐにみたまかどうかわかる。

そして同じみたまの香りの中でも、

いろいろあるのもわかりました。

私の一生の宝は、

その「みたまの香り」がもう忘れることなく

いつも体の中にあること。

そして、その香りを自分の中でいつでも再現できるということ。

もしも、この香りを無くしたり、感じられなくなった時は、

伝えることをやめるときだと感じています。

完全に自己流になったときだから。

やりたいことは、この香りをどれだけ、

多くの方に感じていただけるかだけだから。

今、自分は最善の上を歩いている、

と思える人生は本当に幸せです。

最高ではなく、最善^^

私にとって、これしかないと思えるものに出会えたのなら、

なんでも感謝でやるしかない♪

香りは振動であり、バイブレーション!

明日も、そのバイブレーション無くしては行けないゾーンに向かう。
嬉しすぎて気合い入りすぎないようにしよう!

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