見出し画像

王道コース復習会をご参加の皆様からご感想をいただきました!


参加した当日も、細胞まで沁みたと思ったのですが、1週間経過して、グループでの練り会でのみんなとの分かち合いの時間が、さらに深さを付け加えてくれました!!

セミナーと練り会は本当にセットなんだなぁ、を改めて深く深く感じさせてもらいました。

何度も何度も同じことを、例を変えてみたり、伝えてくれているのに、日頃になると、すっかりしぃにまみれて忘れていたり、思い出したり、の繰り返しです❣️

思いきり、9アジャストをワークで無くて、日常で体験することがあり、トホホでもあり、なんでも自分でやろうとしてる(≧∀≦)でもあり。。。

みたまの話を聞かせてもらえることや、分かち合える仲間と出逢わせてもらえてることこそ、本当に有り難くて、泣けるほどでした。

JTさま


①復習会で五つの要求を学んでる時に「私の周りで病人や精神的な病の人が多く 私とラインで繋がり、問題を訴えて相談されることが増えるたびに、真面目に反応している自分が疲れて 被害者意識を持ったりコントロールする自分が嫌でどうしたらいいだろうと思っていました。

入江さんがご自分の例として
「悩みを持つ相手に対しセラピストになってししまう自分がいる。」と同じような話を始めた時に 早くも私の問題に応えてくださってる!とびっくり。

みどりさんの「気の毒な人やなあ、気の毒なのがこの人のみたまで学ぶテーマなんやなあ。
とサラッと思って いつかみたまで知ってくんやなあ〜と受け止めておけばいいのだと!」
スッキリでした。

そう!私が解決するのではなく、みたまがなさるんだわ!
確かにそうですよね!
私 何やってたのかしら。


② 「頭空っぽ心無し」は私の理想で、淡路島以来 だいぶアホになってる自分もいますが、最近介護しているおばあちゃんが95歳で認知症が進んできたら みたまが「過ぎたしい」を綺麗にしてくれていることに気づきました。
あんなにうるさくてプライドも強くきつい性格で、《攻撃するし被害者意識強くコントロールもするし勝負も1人で勝手にするし 認めても欲しい》と 誰が見ても五つの要求がわかりやすい人でしたが、認知症のおかげで頭の中が空っぽになってきて美味しいもの食べてはニコニコ喜び ありがとうの言葉が増えてるのを見て みたまってすごい!
へそ道知らなくてもみたまで覆われてくるんだあ〜とびっくりしています。そういう状態になると私もサポートしやすいし、したくなる!
天が助けようとする時の気持ちが分かるような気がふとしました。

王道コースの復習会と練り合いで さらに楽になってくる自分がいます。

古城 智砂さま


皆さんの素直で誠実な感想を拝読し、感動で今の喜びをお伝えせずにはいられなくなりました。

へそ道を始めて私はずっと、たまを使ってしいの自分を直そう、整えようとしていたのだと振り返ることができました。

ですが、仲間との光の練り合いやワンテーブルコンサルを経て、いつの間にか、しいの自分は諦めて(放っておいて)みたまの喜びに注げるようになってきていたんです。
(しいの私があまりにもひど過ぎて、キリがないと悟ったおかげですw)

そして、あんなに今すぐ答えをわかりたい病だった私が、素直にタイミングを信じて待てるようになっていました。
それがどれだけありがたいことか…。
天にお礼を伝える機会を頂きました。

空いたスペースにまた過ぎたしいを入れているのも自分だというのも、覚えがありすぎて失笑でした。

今回目が覚める思いがしたのは、
「人の捨てたものさえが、宝に見える、出来る生き方」というゴミ拾いからのお話です。
私は光に返せる喜びと手応えを感じながらも、どこかで「損な役回り」だと被害者意識があったことに気づかされました。
ごめんなさい。
自分事・させて貰っている・力があるものがお詫びする・代表選手だという意識が抜け落ちていました。
皆さんの誠実な感想から、そのことに気づかせて頂きました。

個人的に、「愛も道徳も神様が人間をおさめる為につくったルール」だというお話が、とてもよかったです。
今まで道徳については何度も触れて来られましたが、愛については、研究科初期の頃
「愛も裁きです」とサラリと言われたことがあっただけだと記憶しています。

特に解説もなく、でもへそからの答えを知りたかったので、私の中でずっと練り続けていたテーマでした。

今年4月のワンテーブルコンサルを受けた時、「一緒にいる事・期待に応える事・与える事が愛」という定義が、自分を苦しめていることがわかりました。

その逆の離れる事・期待に背くこと・与えない事は冷たい!と裁いているから自分に許可できなかったのです。
私たちは、定義というものさし・ルールで制限の箱の中にいれた自由な気持ちを、みたまで解放することをやっているんだと、さらに自覚が深まりました。

「みたまだと思っていることも道徳かもしれない」
頭でっかちで正しいことが大好きな私には身に覚えがあり過ぎる言葉なのでw、どんどん頭空っぽ心なしになっていきたいと思えました。

生きている間に、変えようとする自分を手放し、変えて下さるものにどこまで委ねられるか。

みたまと共にいられる喜びを天に返しながら、ぼやけているものを大切にしていける生き方・あり方をしていきたい。いこう!と改めてハラを括れる機会となりました。
素晴らしい時間と場、渾身のみたまの振動をありがとうございました。

追伸
それにしても、皆さんのみたまのシェアが素晴らし過ぎて、自分はまだまだだと思えたことが嬉しかったです!
お話を聴かせて頂けること。分かち合う場があることに感謝、感謝です。

村田 成美さま


リアル受講させてもらいましたが、最初っから、なんか違う!?という感覚で、あっという間に時間が過ぎました。 
言葉にすれば、これまで受講させてもらった時に聞いていたのかもしれないけど、まるで初めて聞かせてもらうような感覚。

復習に至るまでの年月、様々な「しい」をしっかり育て(苦笑)この世の経験を積み重ねたからなのかもしれません。

しいでたまを整えようとすることを、天は一番嫌う…。
そういうことなんですね、と腑に落ちました。

スピリチュアル業界に嫌気がさしたのも、開運的なお話に違和感があり、素直に受け取れないのも、私のみたまが「それはちょっと違うのかもね」と教えてくれていたのかも。
これからどうお詫びし、どう下座していったらいいのか、実践コースで学ばせていただきたいです。

結局はいつも機嫌よく笑顔でいることが大事だと思うのですが、でも「何を感じてもいい」と自分に許可する、という所が分かりません。

何かを感じたら、お詫びしてみたまに戻ればいいから、何を感じてもいい、ってことなのでしょうか?
MO様


ご参加いただいた皆様、ご感想をいただきました皆様ありがとうございました。

王道コース復習会のアーカイブが6月末までご視聴いただけます。
詳しくはこちらからご覧ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?