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フランソワ・クープラン「クラヴサン曲集第1巻」への序文邦訳

1713年第1巻への序文の邦訳は今まで幾つかありました。出版されたものとしては1977年に音楽之友社から発行された佐藤峰雄訳『クラヴサン奏法』内の45ページに掲載されています(現在絶版ですが図書館などにあります)。他にもネット上に見つけられるでしょう。最新の英語訳は2016年ベーレンライター社の新全集(BA10844)のXXXVIページ、Peter BLOOM氏によるものでしょうか。今回クラヴサン曲集4巻全曲録音の開始にあたって、自分の勉強のために訳してみました。まだ叩き台の域を出ないものですが、随時改良していきたいと思います。ご覧になった皆様、是非ご意見お願い申し上げます。訳のあとに少しだけコメントも載せましたのでお読み頂ければと思います。

フランソワ・クープラン  クラヴサン曲集第1巻序文1713年 (桒形訳) 
   私の曲集の印刷譜を求める世の中の皆様のご要望に、これより早くお応えすることは敵いませんでした。この遅れは決して皆様の好奇心をかき立てるためになされたものではなく、また仕事が遅いことは正確さを期すためである事として、どうぞお許し頂けますよう願うものです。作曲家が自分の作品が幸運にも喜んで受け入られた時、その正確な版を出すことを重要視するのは明らかです。識者の賞賛に気を良くすることはあっても、コピスト(写譜者)の無知や間違いには苦しめられるのです。これは需要(人気)のある手書き譜の運命と言えましょう。
 以前から自分の曲の出版に専心したかったのですが、それを妨げていた幾つかの仕事は私にとってあまりにも名誉高きものであり、とても不平など申せません。20年前より王にお仕えするという栄誉を得、ほぼ同時に王太子ブルゴーニュ公、王家の6名の王子、王女殿下をお教えいたしました。これらおよびパリでの仕事、そして幾度かの病気が、私がこのように多くの曲を作る時間を見出せなかった十分な理由となり得るでしょう。この巻には70曲もが収められていますが、年末にはさらに第2巻も出す予定であります。
 これら全ての曲を作るにあたり、私には常に何かの対象がありました。様々な機会が私にそれを与えてくれたのです。したがって、これらの題名は私が思い描いたアイデアに対応するのですが、それを説明することはご勘弁下さい。しかしながらこれらの題名の中には、私自身とても気に入ったと思うものもあります。それらの題名を持つものは私の指にかかれば時には十分にそっくりとされるある種の肖像画であること、そしてこれらのうまくいったと思われるタイトルのほとんどが、そこから私が作成した模写にではなく、むしろ私が描きたいと考えた愛すべきご当人達に与えられたものである、という注意を促しておきたいと存じます。
 この第1巻の曲集には1年以上を費やしました。私は出費も苦労も厭いませんでした。その極端なまでの注意深さにより、彫版に見られるような知性と精確さがあるというわけです。
 全ての必要な装飾音も記載しました。正しい音価で、音符が垂直(縦が合うよう)に配置されるように注意しました。知識や年齢に応じて、熟達した人でも、中くらいの人でも、初心者にも合うように違った難易度のものを載せました。私の経験からすると、力強く、そして最も速く軽快な曲を弾くことのできるような手が、優美で感情豊かな曲では必ずしもうまくゆくとは限りません。私は私を驚かせるものより、感動させてくれるもののほうを率直に好む、ということを告白いたしましょう。
 クラヴサンはその音域(の広さ)やその輝かしさにおいてそれ自身で完璧な楽器です。しかしその音を膨らませたり、小さくしたりすることは出来ません。良い趣味に支えられた際限のない技により、この楽器における(芸術的な)表現を可能にできる方々に私は常に感謝を捧げることでしょう。
 これは私の先祖達が、彼らの曲に見られるその美しい構成内容とはまた別に専心したことでもあります。私は彼らの発見を完成させようと努めました。その作品は今なお洗練された人々に好まれております。
 私の曲に関しては、その新しく、変化に富んだ性格により世の中に好意的に受け入れられました。ここに提供致します未だ知られていない曲も、既に知られているものと同じく良い結果をもたらすことを願っています。
 私の曲の理解とその意図に合った演奏方法を容易くするために、装飾のためのいくつかの記号を(新しく)作成しなくてはいけませんでした。現在使われているものは出来るだけそのままにし、両方とも巻末に説明付きで掲載致しました。
 適切な指使いを数字によって、少なくともいくつかの重要な箇所には記すつもりでしたが、それは彫版に混乱を招くことになったでしょう。(なのでやめました。)しかし、ある人々の能力をもってすれば、このような曖昧さも私を安心させてくれるに違いありません。いずれにしても、皆様のご質問にはいつでも喜んでお答え致したい所存でございます。
                  *( )内は訳者による補足


   冒頭から Il m'a êté impossible… (私にはそれは不可能でした…)と来るこの序文はいかにもクープランらしいのかもしれません。さらっと書いてありますが、この彫版を請負ったDu Plessy氏はそうとう泣かされたのではないでしょうか。譜めくりをなくすための極端なほどの詰め込み、両手の時間軸合わせ、多くの細かい装飾記号、必要以上の数の音符の旗 etc.etc…どんなやり取りがあったのか想像するだけでもため息が出ます。これだけでも革命的であるのに、さらに指使いの数字まで入れようとしていたとは、、、。「ムッシュー、それだけは勘弁してください!これ以上はどうやっても無理です!」という彫版師の悲鳴が聞こえてきます。(それでこちらは「クラヴサン奏法」に掲載したというわけですが。)。しかしおかげで歴史上類稀な楽譜が出来上がりました。クープランが自ら自筆譜を全部処分してしまったのだと仮定すると、その美しい彫版印刷譜のせいとしか考えられません。巻末見開きの装飾表はシンメトリックなその見た目からも一見合理的、論理的と思われるのですが、実は良くわからないところもあります。まあ当時この楽譜を購入した人は彼に直接質問出来たのでしょう。音楽の細かいニュアンスを記譜で完全に表わすことには限界がある、それどころか不可能なのだと感じる毎日です。
    肖像画として曲を捧げられた方々が大満足だったのか、それとも、え、これが私?とショックだったかも、などと考え出すと妄想は止まりません。そして自分の肖像画(フリパールによって知られる版画、原画はブイスによる)に描かれた第2オルドルに含まれる《Les Idées Heureuses 幸福な想い》は巷で言われるように彼のお気に入りだったのか、自画像なのか。確かに作風が第4巻の肖像と考えられる曲に通じるものがあるのですが、冒頭わずかの音しか並べられていないその楽譜には何か特別な意味が込められているのでしょうか。いえいえ、偶然ただその辺にあった楽譜を手に取っただけだったのかもしれません。そんないろいろなことに想いを巡らせながら先月から全曲録音を始めたところです。

次回からはいよいよ各オルドル、各曲の簡易な解説を始めます。

                     東京にて 2024年2月11日
                            桒形亜樹子


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