今日は今の会社で1番尊敬している先輩の結婚式に出席していた。仲の良い先輩の結婚式なのでさぞや感動するのだろうと思っていたが、悲しくなるほど心が動かなかった。 感動するどころか彼我の差を実感して、孤独感が増したぐらいだった。結婚式に出席して死にたいと思う奴なんてそうそう居ない。 こんな一生に一度のハレの場にコンプレックスを持ち込んで、場を白けさせてしまう自分に心底嫌気がさす。俺は何がしたいんだろう。 感動の涙は枯れているのに、己が惨めさに涙が止まらない。殺してくれ
自分の中で創作意欲とか、何かを発信したいと考えるようになるのは大体ネガティブな感情が発露した時にある。昔ツイッターかなにかで、文学は苦悩の万力で押しつぶしたときに出るみたいなことを書いていた人がいて、そうなのかもしれないなと一般人ながらに思った。 自分は本が好きだけれど、頭がよくないからあまり多くの本を読めない。文章の上を何度も目が滑って、一文を理解するのにひどく時間がかかることが多くある。そんな中でもするっと頭に入ってきたうえに、繰り返し読んでいるのが、梶井基次郎の檸
自分は特に煙草を吸う習慣はないのだけれど、親や周りの人間が吸っていることが多くて、喫煙に付き合うことがよくあった。 今日も同じように同僚に連れられて喫煙所まで一緒に行った。常々思っていたが煙草の火は砂時計のようだなと改めて思った。 彼が煙草に火をつけたとき、砂時計はひっくり返されそこからは自分と話をする時間が始まる。その時間はその煙草の続く限り担保されている。 チリチリと煙草の火が進み、燃え尽きるころには話は打ち止めだ。 なんの話をしたわけでもない。次の人事がど
何年か前に作るだけ作ってなにも使っていなかったnoteを、今になってなんとなく始めようと思った。 特に面白いコラムとかが書けるわけでもないので、日々の日記や元気があればエッセイみたいなものを書ければ良いなと思っている。 最初なので、自己紹介めいた独白を書くが、もう30代にも差し掛かろうとしている男で、日々やっていることと言えば惰性で続けている仕事とゲームだけ。きっとこうやって自分は死んでいくのだろうと、切っ掛けがあるでもなしに覚悟が決まりかかっていたところに、敬愛し