政治と宗教とスポーツ
「スポーツと政治を絡めるな」ということは常識であるが、この春夏、甲子園野球大会に校歌が韓国語である京都国際高校が活躍したことで、嫌韓思想の人達がネットでその高校の野球部に対する誹謗中傷や敗戦を期待するコメントを書き込むことが目立っている。政治とスポーツとの関係をもう一度考えるべきではないか。また、スポーツと宗教を絡めることはどうなのかを考えていきたいと思う。
韓国野球から見た日本野球
韓国にはNPB(日本プロ野球)のファンも多い。プロ野球では過去に朝鮮半島をルーツとした選手が多く活躍し、もちろんその活躍ぶりは韓国でも大々的に報道されていた。ここに25年、日本にやってくる韓国人選手も増え、宣銅烈に始まりチョソンミン、近年ではイデホやオスンファンが鮮烈な印象を残した。
また、昭和57年にKBO(韓国プロ野球)が誕生し、黎明期のKBOのレベルをあげたのはNPBを引退し海を渡った新浦壽夫や福士明夫がプレーでお手本を見せたからとも言われている。言わばKBOの父はNPBと言ってもいいのかもしれない。1990年代は日韓野球が開催されたり、2000年代からビフォーコロナの令和元年までは宮崎フェニックスリーグでKBOのチームが参戦していた。これを見てもメディアやファンが執拗に煽るだけで、両国の球団の関係は良好であると言えるだろう。
発端はWBC?
嫌韓思想が野球にも流れ込んできたのは平成21年のWBCで全日本が韓国に負けた後、韓国ナインがマウンドに太極旗を立てたことが発端ではないか。試合後イチローが激昂し、「僕の野球人生で1番の屈辱」と言った部分が過剰に報道され、日本の野球ファンもエキサイトしてしまい、10年以上がたった今でもこのことを引き合いに出して韓国に向けたヘイトスピーチが多い。
今回の京都国際校歌問題
では本題に入ろう。なぜ京都国際高校の校歌が批判を受けているのか。ただ韓国語というだけで批判されているのではないようだ。歌い出しの「東の海」
が日本海のことを指し、韓国から見た呼称であることが批判されているのだ。たったこれだけのことと思うかたが殆どであると思うが、これだけのために連日京都国際の敗戦を望む内容や在日韓国人の方々への誹謗中傷が相次いで起こっていた。
長らく日本で差別の対象となり、就職などで不利になっていた在日韓国人の方々の心の拠り所と言っても過言ではないスポーツの世界に、しかも高校野球と言う一生の中の3年間しかプレーすることができない晴れ舞台になぜ政治を持ち込むのか、僕には理解ができない。
もちろん、故意に死球を与えたり相手を傷つける危険なスライディングがあれば批判されるのは当然だが、甲子園という晴れ舞台でそのようなことをすることができるか。僕が見ている限りはそのようなプレーはなかった。
宗教とスポーツ
宗教とスポーツ、特に団体競技との関わりはとてもいい効果ができるのではないか。野球で例えると、併殺を完成させたり走者が盗塁を仕掛ける際にアシストをするための空振りをしたりと言うようになど、チームワークが必要なためにナインが1つの教えを信仰するのはいい事のように思える。今回甲子園で優勝した智辯和歌山高校も辯天宗の高校であり、お経を読む授業もあるようだ。こうしたことでチームワークが鍛えられるのでは無いだろうか。
智辯和歌山高校以外にも、高校野球の名門校として奈良の天理高校、智辯学園高校や東京の創価高校、京都の龍谷大平安高校や昭和の時代に一世を風靡したPL学園高校のような宗教を取り入れた教育をしている高校がズラリと並ぶ。全ての高校に共通してチームの連携がしっかり取れていることは1つの教えを信仰することが要因になっているのでは無いかと思う。
最後に
ニグロリーグという括りで黒人選手専門の球団が作られていたアメリカでは、ジャッキー・ロビンソンという黒人選手がメジャーリーグで活躍して以降多様な人種の選手がプレーしていて、今では人種差別のヤジはほとんど無くなっているというが、日本はどうだろうか。数々の韓国籍、朝鮮籍の選手が活躍しているが未だにそういった心無い差別をするファンも多いのは残念なことであると思う。
野球のいい所は身体の大きさ、人種に関係なくユニフォームを着れば皆平等に楽しくプレーできることでは無いのか。その楽しさを全ての人が体感出来るように応援するのが「スポーツファンシップ」なのではないかと思う。
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