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縄文人は超人だった?!

 人類の文化は縄文が最古かもしれない。
 
1万2,000年前、人間は他の動物には真似できない「火を使う」文化を創造した。いろりを真ん中に暮らす「竪穴式住居」という建築技術を生み出し、矢じりや斧などの最新の道具を作り、狩猟や農耕を覚えていった。さらに、調理や保存に使う土器や、未だ使徒が明かされていない様々な形状の土偶の存在など、中には現存したのか?という創造もいわゆる4大文明とは明らかに違う生活文化が生まれている。
 
紀元前5.000年中期に出現した、神器とも言われる火焔型土器には、見事なデザインと技を感じる。最近の研究では、器に施された模様は火ではなく、水流の水紋ではないかという説もあるようだ。現代でも再現は難しいと言われているそのデザインは、縄文中期をピークに徐々にシンプルな形状の器へと推移し、4大文明や現代にも通じる器の形状へと変化していく。おそらく大量生産しやすい、いわゆる誰にでも作れる物へと変化していったのだろう。

 
それにしても、文字や文化がない中、それぞれの役割や技術をどのように伝達、伝授していったのだろう?果たして言葉はあったのか?現代の常識と言われる範疇から外れてみると、日本人特有の「阿吽の呼吸」や「間を読む」「襲 」という能力が表出していたに違いない。いわゆる波動を感じたり、気を読むことができたわけだ。これは近代の「茶文化」にも通じている。
 
1万年以上続いている人類の歴史はない?!
 
人類の歴史は、自然災害や疫病、それ以上に度重なる戦争によって消しさられてきた。そもそも人間はいつから戦い、勝者が敗者の利権や人生まで奪ってしまうことになったのか。縄文中期以降土器が簡素化されると、農耕技術による安定的な大量生産とも思えるものが、奪い合いと権威、利権へと発展。世界中が加速的に文明に飲み込まれていったのではないか。そもそも縄文時代が長きにわたり続いたのは、戦争がなかったことも大きなポイントかもしれない。
戦いがなければ、他者から奪う必要がない。きっと一人ひとりが家作りや土器作陶、狩猟までマルチに対応できたのかもしれない。もしかすると、ちょっと先の未来を予知することもできたのではないだろうか。視力や聴力、身体性も今の数十倍高いだろう。今日は俺が土器を作る。お前は漁に行く。といったような。いや それ以上にテレパシーで。いわゆる「超人」のみが生き残り、阿吽の中で自然のリズムに乗りながら生きていたのかもしれない。
 
一方で我々現代人は、文明の発展の中で「便利」と駆け引きを行い、退化の一途をたどってしまっているのではないか。
 
人類が火を使うことで大きく変身したと言われているが、今後はそれ以上に、コンピュータを皮切りにAIやALIFEが動き出し、生活も宇宙へと広がり映画『マトリックス』のように、身体性が極端に変化していくのだろうか。SF映画にもあるような、自然崩壊やALIFEの誤った働きによる人類壊滅の危機が起こっても、不思議ではないのかもしれない。昨今の世界情勢や自然環境や疫病などを見ていると、そう思えるのだ。
 
生き抜く鍵は人間力。
 

激変の中でも「超人」力の多くはテクノロジーによりカバーされていくだろう。生きるうえで、何の超人となるのか。そこを見いだし、学び、鍛え、磨き出すことから、それぞれの人間力が生まれ、やがて個性となっていくのだ。
 
縄文時代とは違ったテクノロジーの使い方ができる現代なら、時空を超えたクリエーションが全ての人に湧き出すのではないかと、胸の鼓動は高まる。
 
ただ、個性を生み出すために必要な「感性」や「美意識」とは、未知なる経験を夢中に重ねるほどに生まれてくるものでもある。より一層未知に踏み出し、夢に飛び込む。それこそが「人間力」たる一点を見いだすことに繋がるのかもしれない。

そして決めた。
 
「ボーダレス」に動こう! 

「変化」を楽しもう! 

「解らない」を更新しよう!

「楽」を徹底的にしよう!

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