見出し画像

断章3.贅沢に死ぬ。贅沢に健康体をささげる。他『まだ手探りのなかにある断章たち②』

 



 断章3.贅沢に死ぬ。贅沢に健康体をささげる。
 

 贅沢をする手段はいっぱいあって、金をつかうだけじゃない。健康体をささげることでも贅沢できる。
 なので金は貯めずに使えるだけつかって、体はボロ雑巾のように痛めつければいい。アルコールにタバコに薬に、添加物の塊のようなジャンクフードも贅沢に嗜むんだ。コーラで歯を溶かせ。ハンバーガーで悪質な脂肪をつけろ。薬で脳をめちゃくちゃにして、内臓を破壊すればいい。
 そしたら、あとは体を休めるっていう贅沢をすればよくって。芸術に時間使えばいい。
 贅沢に生きようと思ったら怖くなって贅沢なんかできないから、贅沢に死ぬことを考える。贅沢に死ぬことが一番の贅沢だとおれは思う。
 贅沢のない人生。そんな生き地獄からはやく抜け出すことだ。浪費をする。とにかく贅沢。贅沢に死ぬことを考える。

 断章4.単なる悪口

 IQが30だか違うと話が通じないとかいうのを真に受けてる人間はただ相手のことを尊重して理解する気がないだけだ。IQなどメンサ会員の虚栄心を満たすだけのきわめて人為的な指標でしかない。IQは知能でも知性でもない。ましてやコミュニケーションとはまったく関係ないし、人間を判断するときにそんなものをつかうのは貧しい行為だ。問題は、IQというものを誰が流行らせ、誰が有用な指標であるかのように扱えるという欺瞞を普及させたかだ。階級を用意しようとしているのは誰だ?

 

 断章5.闘う勇者

 「本当は嫌だけど◯◯に投票した」という詭弁はやめるべきだ。

 「老人はどうせ早く死ぬからどうでもいい」。公然とこんなエイジズム宣言をしている候補者が、主に俺と同世代の人間から支持を受けている事実には、正直ショックを受けた。候補者は上の世代の人間、すなわち"悪"と闘う勇者を演じている。若い世代はその姿を痛快に思っている。候補者は「愉快な仲間たち」と繰り返していた。勇者なのだ。勇者に手を貸さなきゃやられる。つまり、若い世代は「自分たちが上の世代から差別を受けている」という自覚を持っているようだ。差別を行う主体は、自らの不公平感の説明を差別対象に求める。エイジズムは強く批判し、啓蒙を強化しなければならない。
 それとともに、若者にそのような差別意識を芽生えさせる現実があることを受け止めなければならない。何が若者をそうさせているのか、それを追求する必要があることが今回わかった。彼らは、親、祖父母のことをどう捉えているのだろうか。
 
 公然とミソジニー発言を繰り返す候補者が、11万票も得票していることも同じだ。候補者は自分のことを"公金を貪る悪"と闘う勇者だと思い込んでいる。単にミソジニーがそうさせている自覚はないようだ。支持者は自分が感じている不公平感の説明をそこに集約している。一般社団法人やNPOは本当に彼らにとって問題なのか? 問題は別のところにあるのでは? 不公平感をミソジニーに仮託しているだけなのでは? 何が彼らをミソジニーに走らせるのか、それを追求する必要があることは、前々からわかっている。
 本当に一般社団法人やNPOがズルをしているのではないかと、疑念を持っている人がいることも明らかだろう。一般社団法人やNPOの活動者は、納税者に対して、自らの活動についての一定の説明を果たすことが大事だということの問題提起が候補者によってなされたという、ただその一点だけは評価しよう。しかしながら、一般社団法人やNPOの現場においては、制度の冗長性が弱者を救っているという事実も受け止めてもらわなければならない。本当は救える人々が、制度の束縛によって救えなくなることは避けなければならない。だから、制度には冗長性が必要なのだということすらも説明しなければならない段階に来ているのだろう。理想的なのは、納税者と活動者が、共に一体となって人助けをしているのだという共通認識が広まることだ。納税者が納税した税金を、一般社団法人やNPOの活動者が現場でうまく使って人を救っている。みんなで人助けをしている。みんなでリスペクトし合えればと、おれは思う。
 
 今回は、とにかく"闘う勇者"、"悪に立ち向かう勇者"がたくさん現れた。支持者がその構図を用意することもしばしば見られた。この現象は警戒しなければならない。
 仮の物語をつくってわかりやすい構図をつくることで、本質を見えなくする偽の勇者は危険だ。
 現実においては勇者など存在しない。政治に持ち込まれる物語には警戒しなければならない。本当はわかりにくいはずの現実に、わかりやすい偽の構図を当てはめようとする政治家は、単に現実が見えていない。現実が見えていない政治家に政治は務まらない。

 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?