#68_「呑気と "Baby Blue"」
ふとマガジンに文章を記したくなった。
冬のベッドで目覚めるときのような、くたっとしたムードについて。
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テレビの仕事をしている。
どうしても結果を残さないわけにはいかないので、配信数を競うにあたり、Xでの広報活動などに腐心しているうち、
自身を世の中に明け渡している気分と同時に自身のペルソナが解体されていく気分に陥って少し調子が悪くなる。この仕事は実は不向きかもなと思ったりする。
何かと言われたら、実生活を生きている実感が乏しいのである。
見えない大勢を相手に正体を晒すことがそもそも身の丈や性分に合っていないのかもしれないが、それを武器に勝負しなくてはならないことが何より怖い。
そろそろ良い加減強がることもできないのだけど、それも「強がることができない」自分を演じているように錯覚してしまい、虫の居所が悪い。
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今日X(旧Twitter)の機能障害が起きた。
同時に社内の無線LANも謎の不調をきたし、
そんなこんなで退社したら、会社の近くが燃えていた。木造建築で火事があり怪我人はいなかったようだ。
火災現場を目視することはなかったが、
会社からしょんぼり出てきた私を瞬時にして煙が覆った。
なんだか今日でこの世が終わってしまいそうだと、感じた自分は呑気だ。
檜を燻したようで良い香りだと感じてしまった自分は、ひどく呑気だ。
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ヘッドホンを付けて、King KruleのBaby Blueを聴いた。ギターと声だけで構成された、退廃的でロマンチックな曲。
音数が少ない分余白に満ちている。
街の音が漏れ聞こえてきて、歌声の隙間に自然と入り込む。
街のざわめきとKing Kruleの歌声。
King Kruleには失礼も承知だが、
この曲を聴くたび、この曲はこうして完成される、と感じる。
彼が与えた余白に現実が滑り込んで、
そのコントラストがそれ全体として
甘い音を奏でている。
そんな風に感じるのだ。
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炎の前で踊る女性、というモチーフが心象風景の中にあることを思い出した。
実際にそのモチーフを描いた映像を2作知っている。カタストロフを目の前に、絶望をかわしながら踊る。その呑気な光景がひどく美しく感じられた。
余白があるのだ。
悲しみに飲み込まれない、あるいは飲み込まれ切った先に、それでもなお横たわる余白が。
そしてそこになぜだか「実感」がある。
カタストロフという残酷な現実に相対する、
圧倒的な非現実の実感がある。
その呑気な実感には、
甘いムードとユーモアの香ばしさがある。
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呑気。呑気。呑気。余白。呑気。
呑気の燻らす甘い香り。
何かを滑り込ませる余白。
悲しいニュースの数々に日々
目も当てられなくなるけど、
そんな絶望的な現実に、それでもムードを嗅ぐわず余白を与えてくれるのが、
私にとって芸術や音楽の色気なのかなとか。
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疲れている今だからこそ
その色気とムードをたっぷりと受け取りたい。
こんなことを記す自分は極めて無責任で、呑気で、少し申し訳なく思うけれど、
それでも少し元気になった気がして
人々の赤ら顔に目配せして呑気に家路についたのであった。
早く実家に帰省したいな。
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