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気が触れたその先。

ある一時期、私は自分の髪を、その辺のハサミで無造作に切っていた。
そして、パジャマのスウェットを着たまま家を飛び出して、電車に乗っていた。

気が触れたのではない・・・浪人生だったのだ。こんな言い方だと、全国の浪人生からお叱りの声が届くと思うので、こんな状態の浪人生だったのはあくまで私くらいだと申し上げておきたい。

当時、私は朝起きてから寝るまでのほぼ全ての時間を受験勉強に費やしていた。

朝7時ごろに起きて、イヤホンを付ける。流すのは、日本史の年号を暗記するための語呂合わせが流れてくるCD音源を録音したレコーダー。それを聞き流しながら、昼食用に大きめなおにぎりを2つ握る。中に入れる具は、冷凍食品のおかずで、お気に入りはちくわの磯辺揚げとイカ天ぷら。

そして起きたままの格好で自転車に乗り、15分の道のりを駅まで向かう。もちろんイヤホンからは、語呂合わせが流れている。ちなみにその教材には「泣くよ(794)うぐいす、平安京で」なんてソフトなものは収録されておらず、半ば強引に作られた語呂合わせも多かったが、大量の年号を暗記するのに非常に役立った。(今では、見事に一つも覚えていない。)

そして自転車で向かった最寄り駅には、電車が到着する15分ほど前に着き、先頭に並ぶ。それは、集中して電車内で勉強するためには座席に座ることが必須だからだ。大きな白いバッグから英単語帳とシャーペンを取り出す。英単語は、それぞれの単語を覚えたらチェックをして次からは見ない。電車が来て座席に座ると、そこから到着までの30分間は、そのまま英単語を覚えるか日本史の問題を解く。ちなみに英単語を覚えたり、日本史を解いている間も年号は聞き流していた。

やっと予備校がある駅に到着すると同時に、単語帳などをバッグに片づけ、歩き始める。歩く時間=集中して日本史の年号を覚える時間。10分ほどで予備校に到着

予備校に到着すると、まず自習室へ向かう。そして、その日の授業の予習を始める。英語の授業で使う英文を、主語・述語などに分けながら読んでいく。どれだけ単語帳を勉強しても必ずわからない単語に出会うが、読み飛ばして意味を推測する。授業開始の直前になるといけないので、早めに自習室から教室へ移動する。人気講師の授業は、立ち見の人が出てしまうので、なるべく早めに行かなければならない。

英語は、人気講師の授業を受けていたので一番大きな教室だった。私のお気に入りの席は真ん中の一番後ろ。いつも一番後ろに座っていたら、ある日、近くに座っている黒髪ストレートのものすごい美人に話しかけられた。志望校は違うけれど、彼女も文系私大を目指していた。境遇も私と似ていた。一度は大学に入学したものの、やはり本当に入りたい憧れの大学を目指すため、途中から浪人を始めたらしい。美人な上に、見た目で人を判断せず(なんせパジャマみたいな格好の私に話しかけてくれたんだから)、いい意味で変わり者だった。週に1回、授業前の数分間彼女と話すのは、浪人生活の中で新鮮だった。駅までの帰り道、10分ほど話しながら帰ることも数回あった。

「うちのお母さんがさ、こんなこと言ってくるんだよね」
と、日々の小言を言う浅はかで恥ずかしい19歳の私。
「それは、あなたのこと心配だから言ってくれているんだと思うよ」
と彼女は優しく諭してくれた。



昼ごはんは、いつも一人で自習室でおにぎりをかじっていた。自習室は昼時の決まった時間だけは、飲食自由となっている。おにぎりをかじりながら、英語の復習をする。予習では意味不明だった英文の意味が、頭にスッと入ってくる気持ちのいい時間。ちなみに、予備校講師のちょっとした面白い小話を聞く時間は浪人している期間の中で、クスッと笑える貴重な機会だった。それを思い出しながら予習する。

帰り道もまた年号を覚える。座れたら問題を解くし、座れなかったら英単語を覚える。英単語は、疲れ切った夕方の脳みそよりも、朝の方が頭に入るような気がした。帰り道の自転車、真冬は寒いし、夜分は物騒なので、マフラーでぐるぐるにして顔を覆って、不審者からも怪しいと思われるような格好を心がけた。

家に帰り、サッと食事を済ませると、今度は日本史の問題を解くのに集中する。間違った問題を繰り返し解く。日付が変わる頃にシャワーを浴びて、1時ごろ眠りにつく。

浪人すると決めた初夏、友人たちにも受験が終わるまでは会うことができないと伝えた。ある日、そのうちの友人の一人と、予備校の帰り道で出くわした。「ちょっと、すごい格好なんだけど!」と呆れられた。相手はキャンパスライフを楽しむ大学1年生、こちらはパジャマのような姿の浪人生。

いよいよ受験が迫ってくると、お腹が痛くなるようになった。親にも散々迷惑をかけて、わがままを言って浪人した結果、不合格だったら・・・と考えるだけで怖くて涙が出た。やりたくて始めたことだったのに、いつの間にか私は崖っぷちに立っていた。

私大の受験は学部ごと、数日にわたって行われた。1年前の悲惨な結果を思い出す。実際に試験当日、あまりの緊張でお腹を下し、別室で受験させてもらった日もあった。そして、何日間かの受験が終わった。

結果発表までは2週間ほど間があった。1年前に不合格だった大学は、既に合格がわかっていたので、少しだけ気分が晴れた。それでも本命の大学の合格発表が来る日までは、結果が出ていないまま遊ぶ気にもならず、かと言って勉強する気にもならなかった。そんな私は、家でぼんやり本を読んだりテレビを見て過ごした。「すごい格好!」と言って呆れていた友だちが、合格発表前に家まで来てくれたが、相変わらずパジャマのような格好で出迎えてしまった。せっかくなので、近所を散歩しようかと提案したが、「え!その格好のまま行くの!?」とまたもや呆れられてしまった。

いよいよ合格発表の日が来た。パソコンの前で受験番号を打って、結果を確認する。運命の瞬間、あっさりと「不合格」の文字が現れた。ショックを受けながらも、全ての結果を見るまで手は止まらない。無心で、2文字を探して、別日程・別学部の結果を次々と確認していく。「不合格」「不合格」「合格」最後に1つだけ「合格」の文字を見た瞬間、「合格したああぁぁぁ」と泣き叫んだ。その画面を見つめたまま、喜びのあまり5分程わんわんと大声で泣き続けた。はじめて自分の努力で、何かを成し遂げる喜びを知った日になった。もちろん全ては両親の援助がなければ挑戦すらできなかったし、恵まれた環境によるところが大きいのは言うまでもない。それでも、この日ばかりは、ただただ「合格」という2文字の喜びに浸った。初めて、自分がやってきたことは間違ってなかったという確証を得られた。友人たちにも合格を報告して、約1年ぶりに思いっきり遊んだ。黒髪美人の浪人友だちも合格だった。二人とも憧れの大学に通えることになり、本当におめでとう、と互いに祝い合った。

そして、自分の合格を確認したら、やっとパジャマみたいな格好ではない普通の服を着る元気も湧いてきた。やっぱり普通の精神状態ではなかったし、気が触れていたのかもしれない。大学に入学してみたら、気が触れるほどに追い詰められてでも成し遂げてよかったと思うことばかりだった。良い仲間に恵まれ、充実した学生生活だった。

かつての崖っぷちだった自分を思い出すと、また気が触れそうになってでも、努力して一つのことを成し遂げたいと思ってしまう。あんなに辛く、苦しい道のりでも、たどり着いた先の喜びを知った私の脳みそにはしっかりドーパミンの快楽が刻まれている。

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