逃げる恥だが役に立つ。

今の家に引っ越してきて、もうすぐ一年になる。
知っている人も多い町ではあるが、道はまったくわからないし、
お店も前に住んでいた場所より少ないし、家から駅も遠い。
だから今でも結構頻繁に、「前に住んでいた家に戻りたい」などと思ってしまう自分がいる。

今の生活に不満があるわけではない。
私が寝たきりで動けない間、恋人はそっとしておいてくれるし、
小説もばりばり書けるようになったし、
悪夢を見てうなされることも減った。
(前はしょっちゅう大声で叫んだりしていたらしい)
だから、色々な思いや思い出が渦巻いていても、
私はこの町に引っ越してきて正解だったんだと思う。

前の町には約二十年住んでいた。
都心へのアクセスもいいし、住み心地も良かったから、
このままここに骨をうずめるんだと思ってた。
その町で出来た友達もたくさんいた。
でもその反面っていうか反動と言うか、
辛い思いが蓄積していってもいたみたいで、私は壊れてしまった。
誰のせい、とか、何が悪かった、とか、
そういう答え探しをずっとぐるぐるやってた。
しばらくは怒りというか、こんなことになってしまった自分を呪った。
コロナさえなければ、と、世界を憎んだ。

実際のところはどうかわからない。
遅かれ早かれ、私は限界を迎えて何らかの形で倒れていたと思う。
だって、家のロフトの階段に、いつでも首を括れるよう、
タオルを結いてあったんだもの。
いつどうなったっておかしくなかった。
むしろ、その状態で何でもない顔で
何でもない状況を演じていた方が異常だったのかもしれない。

家には今、恋人と犬と猫がいて、
まだまだ後遺症的に一日中動けなかったり、
フラッシュバックを起こして人格がブレブレになってしまったりもするけれど、なんとか、元気にはやっている。と、思う。
それに倒れる前は小説を書けないことが何よりのストレスだったから、
それが解消してくれたのは本当によかった。

幸せですか? と聞かれるとまだ困ってしまうけれど、
安全安心ですか? と聞かれたら「はい!」って答えられる。
今までは図らずもそうじゃない場所に巻き取られていたから、
自分で自分の安全な場所を選ぶことが出来たことが嬉しいとも思う。

一年前の私はいろんなしがらみで雁字搦めになってて、
入り口や出口どころか、行先さえ見失っていた。
ただじっと、部屋の中で息をしているのが精いっぱいだった。
色々な理由があったけれど、今いる町へ引っ越してきたのは
「逃避」以外の何物でもなかったのかもしれない。

二十年暮らした町への想いは今もあって、
「帰りたい」と思う。
でも、「もうここに君の居場所はないんだよ」と言われて落ち込んだりもしたけれど、それは正しいんだろう。

新しい町で、私は生きていく。
新しい言葉を、紡ぎながら。

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