花に嵐(20160408)

冬でもなく春にもなりきれない、身体の芯が疼くような、この予感に満ちた季節が本当はすごく苦手だ。

だから遠くへ。

うんと、ものすごい、遠くへ行きたかった。

盛大に咲き乱れた桜の花びらを乱暴に吹き散らしていく、無遠慮な春の風に乗って。

満開になった桜の淡いピンク色が沈む夜更け、川沿いの道を、私はひとりで歩いていた。

独り、とは書かない。

一人、とも書きたくない。

意味のある漢字にしたら本当になってしまいそうだって思うから。

誰とも深く繋がりたくなくて、誰の心にも踏み込みたくなくて、

踏み込まれたくなくて、気付けば永い間ずっとひとりぼっちだ。

親はいる。兄妹もいる。友達も(たぶん)いる。

その日その場の時間を共有でるだけの知り合いだってたくさんいる。

何一つ不自由がない。不足もない。過剰もない。

いつでもふわふわと気儘に、自分勝手にしていられる状況がよかった。

自分がいてもいなくても何も変わらないっていう鋭利な現実をありのまま、

素肌でびりびりと感じ続けられる事こそが、何より安心できた。

人と人は支えあわなくちゃ生きていけない、なんて。

生きていくためには絶対に仲間が必要だ、なんて。

そんな粗悪な聖書めいた言葉、聞くだけで耳が腐ってしまう。

だって今、私はこんなにもひとりぼっちだけど、心臓は健気に動き続けている。

脳味噌も元気に思考して色んな事をつらつら考えられる。

莫迦みたいに確かに生きている。どこにも死の気配はない。

それなのに「人はひとりじゃ生きていけない」だなんて。

あまりにもいい加減だ。詭弁だ。信じない。

川沿いに生い茂る桜の隙間に、白いコブシの花が見えた。

まだ蕾の多い枝垂れ桜の濃い紅色。並ぶ民家の塀越しから溢れるように咲くボケの紅白。

その奥に見える、新月を過ぎたばかりで月の無い空は真っ暗で星一つ見えない。

その代わり、ヤマブキの黄色が昇りたての月みたくいやに眩しい。

不吉な鈍色をした雲がまだらに浮かんでいる。

天気予報によると明日は嵐。

その荒々しい風に吹き散らされてしまう運命を知ってか知らずか、

最後を前に自分の命を精一杯主張するように盛大に咲いて、甘い匂いが漂ってくる。

すっかり春だ。正しい春だ。

それなのに空気がやけに冷たい。まだ冬の気配がしぶとく居座っている。

ポケットにしまいこんでいた手はすっかりかじかんでいた。

ずんずんと家を目指して歩き続けているのに、足先までが冷え切っている。

そうして足らない体温に気をとられているうちに、

心の深い場所へ厳重に仕舞いこんで、

二度と浮かび上がらないようにしておいた気持ちがどうしても芽生えたいとむずがる気配がした。

それは私のささやかで脆い日常を簡単にひっくり返せる脅威で、私は目をぎゅっと強くつむる。

大事なことひとつ、気付いてはいけない。

大事なことふたつ、わかっちゃいけない。

大事なことみっつ、絡め取られたら、おしまいだ。

(本当は、この温度を失くした指先を誰でもいい、人の肌で温めてほしい。)

(どこまでこの世界をひとりで渡っていくのか、

いつまでこの途方もなく連綿と続く宇宙の底をひとり歩いていかなくてはいけないのか、

気が遠くなりそうな心細さを、そっと温かな愛情で融かしてほしい。)

(いつまでも治らない擦り傷のような不安と繋いだ手を、

優しい手でほどき繋ぎ直してほしい)

上を向いて、人気がないのをいいことに、私は気に入りの歌をそっと口ずさむ。

手が勝手に宙へ伸びる。何かを探している。欲しがっている。

――それを阻止するために、涙なんか一粒もこぼさないでいられるように。

かじかむ指先を温めてくれる人はいない。

抱き締めてくれる人はいない。

この声に応えてくれる人はどこにも――きっと、この世界のどこにもいない。

だけど私は自分の足で歩き、自分の頭で考え、自分の身体でお金を稼ぎ、自分の口で食べ物を食べることができる。

どんなにひとりぼっちでも、世界中の誰とも分かり合えなくても、ちゃんと、ちゃんと生きて行ける。

ほら。こんなにも元気。

ほら。こんなにもまとも。

ほら。私は正常だ、だから大丈夫。

だけど、だけどもし叶うのなら、遠くへ行きたい。

春の花々をすべて散らしてしまう春の嵐に紛れて、どこか知らないけれどもう少し温かい世界へ、行きたい。

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