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コメントとスキ♡はハードルの向こう側にある

何かを“好き”になるのは体力がいる。
その気持ちを誰かに伝えるのは、もっとたくさんのエネルギーがいる。

そもそも、見ず知らずの人の書いたものを読みに行くというのは、気力が必要だと思うの。
これは、noteだけでなくてTwitterなどのSNSでもそうなのだが、慣れてしまうと、他人の書いたものに対してアクションするのは気力がいるということを忘れがちになる。

少なくとも、私は。疲れている時にものを書くことはできても、ものを読むことができない。“読む”というか“汲み取る”というか。とにかく思考が文字の上を滑っていって、それを捕まえる気力がないのだと思う。

その“読む”ハードルをクリアしたとして、次にあるのはアクションとコミュニケーション。
ファボ、いいね、らぶ……そして、スキ♡。
ボタンをポチとタップする、ただそれだけの行為が、結構ハードル高かったりする。いわんや感想やらコメントをや。

だってさぁ、相互フォローしているならともかく、相手は私のことなんて知らないわけじゃない?
「嬉しい!」よりも先に、「……誰?」ってなる人もいるかもしれないじゃない?
(いや、私はスキ♡も感想コメントも「嬉しい!」「嬉しい!」「嬉しい!」しか無いんだけど。だから、私も、もっと気軽に、スキ♡したりコメントしたいんだけど。)

それでもやっぱり、それをギョッとされることがあるかもしれないとか、知らない人の感想なんて……って、思われることがあるかもしれないとか、考えてしまうわけで。
その感想も。いろいろ考えたところで、言葉が追いつかなくて、散々考えたところで出たものが「おもしろかったです。」と。送信する直前で、それ、意味あるか?って思っちゃったりするわけで。
コメントを書いては消して、送信ボタンを押さずにブラウザを閉じるのをやめたい。

だってさ、めちゃくちゃあるよね、意味。
「おもしろかった」って、その単純な一言がめちゃくちゃ嬉しかったりするよね。
わざわざリンクを開いて、最後まで読んで、さらにハートを押して、コメントまでしてくれているわけだよ。
その労力とハードルを超えてくれてるんだよ。
めっちゃありがてぇ!
って、語彙力を全力で投げ捨てたところで、いただいたコメントにすら、すごく素っ気ない返信をしてしまうのだ。(ひとと向き合う体力が以下略…)
でも、受け取る気持ちは、一文字百スキ♡くらいの気持ちで眺めてる。
スキ♡もコメントもメールの通知は全部、とってあるし、何度も眺めてしまう。

もちろん、そんなハードル無いよ、ってひともいるのは分かっている。

だけど私は、いただいたスキ♡を全部愛している。
ハードルを超えてくれて、ありがとう。

スキ♡

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