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かのこさんについての個人的な話

今更だけど、私、かのこについて、個人的な話をしようと思う。
プロフィールには、「ただのしゅふ。小説書きます。」としか書いていないから。
※2020/02/02現在

本当に、ただの主婦です。信じてください!私は、何も、していないんです!!
(最近、旦那さんに頼りきりで料理以外の家事すらしてない気がする…ごめん。)

結婚はしてるけど、中性…いわゆるアセクシャルです。
基本的に家の外に出ないのに、ファッションとかメイクは好き。
メンズもレディースも着る。どちらも、性別を着る感覚がある。
つまり、男装と女装。
男装はシンプルに。女装の時は過剰なまでの少女趣味を纏う。
ピンク色の部屋に住んでいる。

インドアすぎて、家の外に出ることが少ない。家どころか部屋から出ることも少ない。お出掛けは、いつも旦那さんと一緒。
基本、家から車移動のドアtoドアな生活。
サイクルサッカーは旦那さんのオマケで始めたのだけど、やっぱりこれもインドアスポーツ。
旦那さんは、少しだけ過保護。だけど、ちゃんと理由がある。

4年前、私が脳梗塞を患い倒れたから。

結婚式の翌週。
当時32歳だった私は、仕事に出掛けた旦那さんの帰りを待つ家の中で意識を失い、失語と左半身の麻痺の状態で発見された……らしい。あまり憶えていない。
気付いた時は救急車の中で、隊員の呼び掛けの言葉が、聞き取れるのに何を言われているのかわからない、自分の名前も答えられない、自分で起き上がることも出来ない、そんな悪夢みたいな状態だった。
目を閉じたら死ぬと思った。私、このまま死ぬんだきっと、ひとりで死ななくて済むなら、運が良いな…そう、思った。
救急車の中、私の顔を覗き込む旦那さんの横で、多分咄嗟に持って出たのであろう旦那さんの鞄の端から私がとても大切にしている仔鹿の編みぐるみが顔を出していたのだけ、妙にはっきりと覚えている。

上の写真は、入院して2日目の写真だ。
面会時間終了の15分前、この日は来られないと言っていた旦那さんが、息を切らして駆けつけてくれた。動かない私の手を、包むように握ってくれたその手は温かい筈なのに、私には触れられている感覚もなかった。ただただ、冷たく重い何かが左半身を支配していた。

喋れるようになって、歩けるようになって、自分のことが全部自分でできるようになって、今は以前のように日常を送れている。運動だってできる。

あれから4年経って、まだ4年しか経ってなくて、置かれた環境は緩く変わって、以前の暮らしはもうほとんど思い出せない。
多分、あの日に一回死んだのだ。私は、ノックしたドアの前で神さまに蹴り返されて戻ってきた。その理由を、まだ、見つけられていない。
左手・左脚の感覚は、今も時々無い。
どんなに親しくても、目の前の人が誰なのか認識できないことがある。
わけもなく悲しかったり腹立たしかったりするけど、何が私をそうさせるのかわからない。
最近になって“楽しい”ことが出来た。

例えば、サイクルサッカー。
例えば、文字を綴ること。


↓私や私のnoteについては、こちらの記事もどうぞ↓


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