がんばらない晋ちゃん

2007年9月14日


安倍首相が辞めた…。
「小沢が会ってくれないから」
という理由らしい。
「後ろから鉄砲玉が飛んで来ては勝てる訳がない」
参院選惨敗の結果を受けて、いみじくも舛添が嘆いていたが、確かに安倍の信頼していた周囲が次々とオウンゴールをやらかしてしまった要因は大きい。
本間税制会長の公務員宿舎での愛人問題。
松岡農水大臣の事務所費、光熱水費、献金問題など数々の疑惑による疲弊が原因かと思われる自殺。
久間防衛相の「原爆投下はしょうがなかった」失言。
絆創膏で有名になってしまった赤城農水大臣の事務所経費、不正補助金問題。
内閣改造後の9月1日には、遠藤農水大臣が自ら組合長を務める米沢市の置賜農業共済組合の果樹共済を農業災害補償の水増し申請や、その申請による共済掛金の国庫負担分である補助金の不正受給が発覚し、責任を取って辞任。
これは就任四日目の辞任という不名誉な最短レコードまで作ってしまった。
そういえば柳沢の「女性は産む機械」発言もあった。

安倍の臨時国会開催直後の辞任は体調悪化で仕方ないとしても、ならば国政の混乱と停滞を回避するために臨時代理を置くべきだった。
年金や構造的な社会不況を始めとする国民の暮らしに即直結する問題の認識や思い入れに対して、政治、行政のトップとしての資質云々、と世間からはとやかく言われる安倍だが、実際は身内思いのナイーブな人物なのか。
閣外に去る人たちを必要以上にかばい続けた姿勢にもそれが表れている。
これは決して皮肉ではない。
誰だって自分の親しい人をかばうのは当然だろう。
ただ、それは政治に関しては通用しないという至極当然のこと。
郵政造反組に刺客を多用して選挙に臨んだネオリベの小泉は非情に徹したが、小泉を踏襲したはずの安倍にはその冷徹さが欠けていた。
しかしもう決断してしまったのだから仕方ない。
今は「ご苦労さま、政界を退いてのんびり暮らしなさい」と言おう。
ゆっくり休んで体調を整えることだ。

こうして一年前のことを記しているが、その間に福田が退陣し、麻生が総理に就任した。
思い出しつつ一年遅れで日記を綴っている弊害を露呈してしまった。
それにしても政変のスピードが早すぎる。
麻生に関しては各メディアが大体同じような報道をしているので、それでは外国メディアはいったいどんな論調なのかと調べてみた。
先ずはワシントンポストだが、さして注目すべき内容のものでは無かった。
次に「NYタイムズ」を見た。

Nationalism is enjoying a disturbing political revival because many Japanese fear that their country, once Asia’s clear economic leader, is losing ground to booming neighbors. The answer for that doesn’t lie in the nostalgic fantasies about Japan’s ugly past for which Mr. Aso has become well known.

日本は中国の経済成長に飲み込まれつつあるという警鐘なのか。
いや、アメリカはそこまで日本を気遣っているとは思えない。
nostalgic fantasies…。
言ってくれるではないか。

そして「フィナンシャルタイムス」

Taro Aso, a blue-blooded aristocrat known for his slips of the tongue and penchant for teenage comics, is the latest gamble by a Liberal Democratic party desperate to retain its long hold on power.

こちらも簡単な英語なので訳すまでもないだろう。
笑ってしまうほどスパイスが効いている。

お隣の中国や韓国に関しては語学力ゼロなのでスルー。

さて、最近の国内に目を転じると、以下のニュースを見て安倍政権時のゴタゴタを思い出した。

<元農相政治団体>松岡氏自殺後も人件費1億円 07年 毎日新聞(09月13日15時20分)

 不透明な事務所費支出が問題となった松岡利勝元農相の政治団体が、本人の自殺(07年5月)後も解散せず、人件費として07年に1億円もの経費を計上していたことが分かった。事務所は人件費の詳細について具体的な説明をしていない。

 資金管理団体だった「松岡利勝新世紀政経懇話会」は7月に「新世紀政経懇話会」と名称を変え、それまで事務担当者だった女性が代表者に就任した。事務所も東京都千代田区の議員会館から杉並区にある女性の自宅マンションに移った。

 07年分の政治資金収支報告書などによると、懇話会は松岡氏の死後、松岡氏の議員活動を記録したDVD制作費として、元側近の関連会社とみられる業者に2835万円を支出していた。さらに1年間に人件費として1億1229万円(06年は2460万円)を、事務所費として2488万円を支出していた。その結果、パーティーや寄付などで集めたとみられる資金2億5397万円(07年1月現在)は、年末には2212万円に減った。

 代表者の女性は「事務所のスタッフはいない。対応は弁護士に任せている」と説明。その弁護士に人件費を支払ったスタッフの人数や事務所の活動実態について取材を申し込んだところ、「解散するための残務をしているところであり、必要な手続きは法令に従って適正に行っている」と文書で回答した。それ以上の具体的な説明はなかった。

 総務省によると、政治家が死亡したり引退したりした場合、政治団体の解散は義務付けられておらず、政治資金の処理は政治団体関係者に任されている。後継者に引き継いだり、所属政党などに寄付するのが一般的だという。
【日下部聡、神澤龍二】


死んだ松岡をも食いものにし続けた輩がいるのにはいささか驚いた。
改正しても相変わらずダダ漏れの政治資金規正法ならば、当然それを悪用する不届き者も出て来るだろう。
これでは松岡も浮かばれない。

解散総選挙が目前らしい。
(これは2008年9月30日に記している)
麻生は総裁選や臨時国会冒頭の所信表明で「民主党と闘う」と言ったけれど、いま闘う相手は小沢ではなく食の不安の払拭や不況、経済対策、公務員改革、そして社会保障の整備だろう。
「民主党」の名は何度も出たが、拉致問題に関してはひとこと言及しただけだった。
これが不満だ。
たぶん水面下では動いていたのだろうが、安倍、福田ともに目に見える成果は皆無だった。
拉致被害者家族の心情を思えば焦眉の急の施策だ。
それとも拉致問題は山拓に任せるということか。

小沢はかつて自民党中枢にいた保守政治家。
その周囲だって同類と見做して差し支えないのか。
衆参ねじれ現象というけれど、ねじれているのは政党というよりは人のねじれに他ならない。
仮に民主が政権を獲れなくても票は伸ばすだろうし、それによって政界再編が進めば誰もが判りやすい構図になることは間違いない。
共産党が常に数パーセントの支持を集めているのだから、その対極に極右政党が誕生しても良い。
それでこそ民主国家である。
三角大福時代の自民は、三木を抱えるほど包容力のある政党だったが、今の自民にそれだけの力量はない。
逆に民主は左右の幅が広すぎる。
再編でぜひスッキリしてもらいたいものだ。
ただし選挙では、郵政民営化の是非をいつの間にか「改革は善か悪か」にすり替えてしまったロジックには、もう国民は騙されない。
選挙をやりたければ勝手にやればいい。
しかし与野党合意の上で、先ず補正予算を通すことが先決。
アメリカ発の金融不安の先行きもしっかりと見定めなければならない。
またぞろ政治空白を作っている場合ではない。

JFKの有名な大統領就任演説がある。

My fellow Americans. . .ask not what your country can do for you. . .ask what you can do for your country.
My fellow citizens of the world. . .ask not what America will do for you, but what together we can do for the Freedom of Man.


自動翻訳をすると、以下の意味不明なバカ文になってしまう。

「あなたの国に何ができるのはあなたのためにお問い合わせください。 お国のために何ができるかをお尋ねください。 世界の私の仲間の市民。 アメリカがどうなるかではなく、お問い合わせください。何一緒に私たちは人間の自由のためにできること」

これでは外国の人が覚えたての日本語をしゃべっているのでは、と錯覚してしまう。

気を取り直して読んでみよう。

「あなたの国があなたのために何をしてくれるかを問うてはいけない。あなたがあなたの国のために何をなしうるのかを考えて欲しい。わが友人である世界の皆さん、アメリカが皆さんのために何をするかを問うてはいけない。私たちが一緒に自由を得るために何が出来るのかを問うて頂きたい」

というところだろう。

今の日本の政治状況にこの言葉を持引用する人がいるが、それは当てはまらない。
詳しく述べるまでもないだろう。
国はいつの間にか800兆近い借金を作り、その失政のツケを国民に払わせようとしている。
任せた国民がバカだったと言われれば確かにその通りかも知れない。
しかし己を律することなく、過去の政策の総括もせずにこれ以上の負担増を国民に強いる恥くらいは自覚して欲しいものだ。
高齢者や弱者に向って、為政者は今さら国のためにいったい何をせよと言うのだろう。

Government of the people, by the people, for the people,

「人民の、人民による、人民のための政治」
ケネディではなく、いま注目されるべきはリンカーンの言葉に他ならない。

もう多くは言わない。
不戦と核廃絶の平和外交、利権の排除、そして思いやりを持って福祉や医療を中心とした社会保障さえ整備してくれるなら、右でも左でも麻生でも小沢でも、国のトップは誰でも政党はどこでも構わない。
しょせん保守政治家同士の近親憎悪を見せられるのはもうウンザリだ。
そして同時に物価対策。
優先順位は国民の生活や生命に直結する施策から願いたい。

先に極右と書いたが、なぜか思い出すのは、数寄屋橋で毎日街宣活動を行なっていた赤尾敏だ。
当時は幼くて理解できなかったが、赤尾の標榜する日本の姿が何となく判った、納得はしないが…。
右翼にも親米と反米が存在することを知る人は意外に少ないだろう。


さて、話を安倍に戻そう。

テロとの闘いは重要だが、翌年に控えた洞爺湖サミットを意識するあまり優先順位を誤り、国民の一番の関心事であった年金問題にひと言も言及せずに終わった安倍の最後のメルマガを転載して終わりにする。
「国民目線に立つ」と繰り返し聞いた記憶があるが、国民の怒りもどこ吹く風と、最後までいわゆるKYだった安倍の本音が如実に表れている。
眼を皿にして隅々まで読んでみれば判る。
福田も同様だったが、最後まで国民へのお詫びがないのは、残念を通り越して愚弄しているとしか思えない。

[こんにちは、安倍晋三です]

● 改革、テロとの闘いを前に進めるために

 こんにちは、安倍晋三です。

 内閣総理大臣の職を辞することを決意いたしました。

 7月29日の参議院選挙の結果は、大変厳しいものでしたが、改革を止めてはいけない、戦後レジームからの脱却の方向性を変えてはならない、との思いから続投の決意をし、これまで全力で取り組んできました。

 また、先般のAPEC首脳会議が開催されたシドニーにおいて、テロとの闘い、国際社会から期待されている、高い評価をされている活動を中断することがあってはならない、なんとしても継続していかなければならない、と申し上げました。

 国際社会への貢献、これは私の「主張する外交」の中核であります。この政策は、なんとしてもやり遂げていく責任が私にはある。こうした思いで、活動を中断しないために全力を尽くしていく、職を賭していくと申しました。

 テロとの闘いを継続するためには、あらゆる努力をする。環境づくりについても努力しなければならない。一身をなげうつ覚悟で、全力で努力すべきと考えてまいりました。

 そのために、私は何をすべきか。

 局面を転換しなければならない。これが私に課せられた責任であると考えました。

 改革を進めていく、その決意で続投し、内閣改造を行ったわけですが、今の状況で、国民の支持、信頼の上で、力強く政策を前に進めていくのは困難である。ここは、けじめをつけることによって、局面を打開しなければならない。そう判断するにいたりました。

 新たな総理のもとでテロとの闘いを継続していく。それを目指すべきではないだろうか。今月末の国連総会へも、新しい総理が行くことがむしろ局面を変えていくためにはよいのではないか、と考えました。

 決断が先に延びることで困難が大きくなる、決断はなるべく早く行わなければならない、と判断いたしました。

 無責任と言われるかもしれません。しかし、国家のため、国民のみなさんのためには、私は、今、身を引くことが最善だと判断しました。

 約1年間、メルマガの読者のみなさん、国民のみなさん、ありがとうございました。

 この間にいただいた、みなさんの忌憚のないご意見、心温まる激励を、私は決して忘れません。

 私は官邸を去りますが、改革、そしてテロとの闘いは続きます。これからも、みなさんのご支援をお願いします。(晋)



付記

国交大臣を辞めた中山成彬は日本人を単一民族と言い放ちましたが、NHKは昨夜(2008年10月15日)の「その時歴史が動いた」でアイヌ民族を取り上げ、明治新政府は「富国強兵」の名の元に、先住民であるアイヌの土地を侵略したばかりでなく言葉や文化も否定、本来のアイヌ姓名の改名まで強要したことを紹介して、中山発言を痛烈に否定する放送をしていました。
昨年、経営委員会長職に就いた古森重隆の意思も現場には浸透していないようで、NHKにも常識や気骨は残っていたのかと感心したり驚いたり。
もし中山発言を受けて製作したのであれば、まだジャーナリズムは死んでいないと考えて良いかも知れません。
今年6月に衆参両議院で採択された「アイヌ民族を先住民とすることを求める決議」に賛成した中山が決議内容を知らぬはずはなく、単一 ⇒ 純潔 ⇒ 優等と、民族主義、国家主義の持論を展開させたかったことは誰もが知るところでしょう。

道路特定財源の暫定税率廃止論議では、奇しくもいわゆる道路族、建設族議員の顔や名前が全国民に知れ渡りましたが、同様に、確固たる思想信条を持つ人たちの顔や名も、国民には知る権利があるということです。
「道路」が欲しい人と「道路工事」が欲しい人は厳格に区別しなければいけません。
道路工事や華美なハコモノが欲しい人は安定した高収入が欲しい人であり、ならば希望を募って業種を建設土木から社会保障関連にシフトさせ、それによって福祉をはじめとする社会保障の整備と収入維持を保証するのが、これから我が国が目指すべき健全な国政の在り方でしょう。
高齢化の進む現在、この選択は必ず巨大な内需拡大、雇用促進に繋がるはずです。
それが出来なければ財源を地方に委譲し、道州制に移行させるべきです。
たった5日間で国交大臣の座を投げ出した中山は、地元に道路や工事を持って来る絶好の機会を自ら放棄しました。
自分の選挙さえ無くなれば、宮崎県知事が熱望する「道路」も、中山の頭の中では所詮その程度の重要度のモノなのでしょう。

極右と極左に共通するのは独善的な粘着気質であり、双方には信じるものを過大評価し、吟味するものを過小評価する傾向があります。
例え政治がイデオロギーやプロパガンダを振りかざしても、共産党の支持が常に数%にとどまっている現実を見れば、国民はいつも急変のない無難な選択をしていることが判ります。

その意味で、国民の良識や判断に安心しているからこその「極右政党があっても良い」なのです。
国家とは国あっての国民ではなく、いつどんな時であろうと、絶対に国民あっての国家でなくてはならないのです。
そして弱者が大切にされなくてはいけない国家なのです。
独善や好戦的な思想から得るところは皆無です。
また同時に、いかなる言論も保障されなければいけません。
健全な国家とは軍事優先や独裁国家ではなく、自由にものが言え、日々を安心して暮らせる福祉国家のことです。


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