賢くない中年

2010年9月10日




約二十年振りくらいに、會津八一の文庫本を開いた。
あまり面白くない随筆だが、他に読みたい本がなかった。
しかしその中で、奈良をテーマにした部分だけは興味深く読み返した。
それは斑鳩に触れた個所で、読みの「イカルガ」から、鳥の「イカル」の考察に終始していて退屈だが、それでも、私は相変わらず奈良が好きなんだなと、改めて思った。

いかるが の さと の をとめ は よもすがら きぬはた おれり あき ちかみ かも

八一の歌である。

 私がまだ若い頃、初めて奈良に遊んだ時の思ひ出も籠ってゐるかして、自分ではよく愛誦する。あまり賢くない子供と承知しながらも尚ほ撫でいつくしむ親心のやうなものかも知れぬ。しかし自分で口ずさみながら、ゆっくりとよく味つてみるに、この一首の中で、一番聲調豊かに思はれる部分は、ほかよりも、イカルガノといふ一句にあるらしい。してみると、作者としての自負よりも、昔からあり合わせた、いはば誰のものでもないこの五字の一句が、いつもつよく私の心を惹くのらしい。
 それほどのイカルガであるのに、今の法隆寺へ行ってみても、あれだけ数のある建物の、飾金具なり、瓦の文様なり、壁畫の片隅や、又は僧房の調度になり、イカルガといふ鳥は、何所にも表はされてゐない。

< 中公文庫 會津八一著 「渾齋随筆」より抜粋 >


こうして「イカルガ」の名の由来の考察に入っていき、まずは国語辞典から始まり、文献の参照は、日本書紀、続日本紀、万葉集、霊異記、上宮法王帝説、和名類聚抄にまで及ぶ。
戦争中の、昭和十七年一月に書かれた文章だ。
まだ日本軍が快進撃を続けていた時期で、精神的な余裕もあっての一文だろう。
やがて出征兵士が、続々と、入隊前の数日を奈良で過すようになる。
日本人の魂の故郷、奈良の仏像や寺院などを巡る心情を思うと、戦地に赴く前の覚悟が痛いほど分かる。
考えるだけでもゾッとするが、もし私に赤紙が来たら、迷わず、法隆寺や唐招提寺などに向うだろう。
早稲田で教鞭をとっていた八一が、教え子を伴って、たびたび奈良を訪れていたのもこの時期か。


そんな大袈裟なことではなく、私も賢くない中年なので、衝動的に奈良へ行きたくなった。
衝動的に、生姜焼き定食や冷奴やロールケーキを食べたくなる時や、必要のないケータイストラップを衝動買いすることはあるが、それとは衝動の度合いが違う。

サンダルを突っ掛け、最寄りのJR駅で新幹線の切符を購入した。
でも、これでいいのだ、多分…。
とにかく奈良へ行くのだ。


「奈良の絵日記 東大寺」へ続く。

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