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兄からの見返りはいつ弟に与えられるのだろう。

第32話感想。

自分の思っていることの整理と、再構成がようやく出来ました。
掲載するかどうかは非常に悩みましたが、やはり何かしらの掲載をしておこうと思いました。

かなり言葉を選んで感想を書きますが、当方、第32話に対して、かなり深くショックを受けているので、普段とは掛け離れた言葉選びの感想になると思います。

前提として、わたしは、公式様を全肯定したいし、公式様が全てだと思っています。
どんなアンチョビ君も愛しているし、その他のキャラクター、展開も、全て愛しています。
否定の意もありません。

-10点と感じた部分があるとしたら、+1億10点が前提としてあって、相殺したら1億点のところ、どうしても相殺が出来なかった-1点の話をしている、というところです。

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弟にだけ、無償の愛を叫ばせておいて、その見返りを未だに寄越さないカラスミ様のこと、流石にズルいと思いました……。

旧作まで遡って話をします。
旧作におけるアンチョビ君は、『兄の役に立つこと』について、重要視していたように思います。そして、それは、ざっくり言うと、『アンチョビ君はそうせざるを得ない状況であったから』だと思っています。
父が死亡し、兄が発狂した状態で、頼れる大人は一人もいない。そうなったら、兄についていくしかない。兄の世界征服に従う他ない。
旧作のアンチョビ君が愛嬌ある振る舞いをするのは、愛に飢えた子供の典型的な姿だと思っています。機能不全家族におけるピエロ(不安定な家庭を、底抜けの笑顔と明るさと気遣いで、何とか維持しようとしてくれる子供のこと)に該当すると思っています。
けれどもカラスミ様は、少なくとも本編中において、アンチョビ君を褒める・認める、という行動をしていません。それどころか、切り捨てる行動をしています。
アンチョビ君は、それでもカラスミ様の為に涙を流して叫べる程に、兄を愛しているのです(カラスミ様がリゾット君から手を離すシーン)。
わたしはこの、強過ぎる愛情自体を、無意識の兄によってコントロールされた物だと思っています。アンチョビ君には舵を切るのが極めて困難であり、不健全な物です。
でも、それが解決する前に死別となってしまったのが旧作です。
兄への愛を叫び続けたアンチョビ君に、残酷な死が与えられた以上、カラスミ様には禁貨を集めるくらいしか出来ることがないのは、致し方ないことでしょう。
それはそれで完結していたと思っています。

しかし、ブラレで再び問題は提起されました。カラスミ様によってアンチョビ君とフォアグラーが生き返った状態で、アンチョビ君が置いていかれるという提起のされ方が。
『家族と平穏に暮らしたい』その背景には、父と兄への愛情が多分に含まれています。けれども、二人はその願いに同意しなかったどころか、ろくに取り合わなかった。『ゆるせ アンチョビ!』と言っているので、罪悪感がない訳ではないのでしょうが、それで済む程度には軽視していたのだな、という印象です。
アンチョビ君のことを愛しているのだということを、言葉にしなくても伝わっているものだという、カラスミ様の怠慢ではないでしょうか。結果として伝わっていなかったのですから。

第32話の話に戻ります。
アンチョビ君側の一方的な暴力構図を表現されてしまったことは、(流れとして仕方なくとも)個人的にショックでした。
第31話の時点で、わたしの想定し得る展開は、相打ち、または、いずれかの死、または、いずれかが重傷を負ったまま和解しない、というものでした。
なので、『アンチョビ君側の一方的な暴力構図、及び、アンチョビ君側だけが無償の愛を叫んでの和解』というのは、わたしにとってかなり絶望的でした。
アンチョビ君は、またカラスミ様からの、たった一言の見返りも得られなかったのです。そして、この期に及んでも、カラスミ様を切り捨てられずにいるのです。

そもそも『殺すしかない』と、明確な殺害の意志を明らかにしたのは、カラスミ様が先です。
『殺すしかない』と言った直後の攻撃は、わたしには本気のもののように見えました。

『オレを殺せ』とカラスミ様は言ったけれども、それは、最終的に自分の方が追い込まれたからではないのでしょうか。『殺すしかない』と言っておきながら、自分を殺させようとする理由とは何なのでしょう。

アンチョビ君の愛を試していませんか?
そして、自分の窮地を誤魔化していませんか。

体力が万全で、アンチョビ君と互角、または、互角以上に渡り合えていても、カラスミ様は『オレを殺せ』と言ったのでしょうか。
いいえ、わたしには、そうは思えませんでした。
カラスミ様には、打倒シャトーブリアンという、死ぬ訳にはいかない理由があるのですから。世界征服への贖罪が、まだ残っているのですから。

では、第32話と逆の構図だとしたらどうなっていたでしょうか。
カラスミ様が攻勢に出て、滅多打ちにされるアンチョビ君。そこでアンチョビ君が『ボクを殺しなよ』と言ったのだとしたら。
この構図の場合、アンチョビ君の言葉は本物なのだと思います。何せ彼は、一度は自死を選んでいるのですから。
コロッケが描く共存の未来に願いを託して、けれどもその世界に自分は要らない、と言うように死を選んだ。
『兄が描く未来にも自分は要らない』と考えてもおかしくはないと思います。
そこで『アンチョビは大切な弟だろう!』とフォンドヴォーが言ったとしたら? きっとカラスミ様はアンチョビ君を貫けないのでしょう。それもきっと同じ。
けれど、決定的に違うことがあります。
そこでカラスミ様が、アンチョビ君に対して、どんなに大切に思っているか、愛する家族なのか、自分も本当は一緒にいたいと思っているということを涙ながらに叫んだとしたら、それは、ようやくアンチョビ君に見返りが与えられたことになるのです。
長い年月、与えられなかった、けれど、アンチョビ君が求め続けた『兄からの無償の家族愛』が。
そうなった時に、アンチョビ君がカラスミ様を無条件で許してしまうことがあることは、致し方ないことでしょう。もちろん、この程度の見返りで許していいことではないのですが、それくらい、この兄弟は不健全な関係なんです。

カラスミ様は、言葉にしなくても伝わっていると思っているのかな。そうなんだろうなあ、と思います。
『自分はこんなに弟を愛しているのに、それでも伝わらないのなら殺すしかない』ってことなんだろうなあ、なんて思いました。それは流石に身勝手というものですよ……。
一つ一つきちんと伝えていたら、何かが変わっていたことに気が付いてほしい。
『たった一人の大切な弟』『一人でよく頑張ったね』『愛してる』そういう、家族でないと与えられない言葉。そして、それを何十年も言わずにきたことの謝罪。

カラスミ様が悔い改める今回のチャンスも、アンチョビ君が折れる形となり、わたしは深いショックを受けてしまいました……。この後の兄弟への言及がまだあるならいいのですが、これが和解に相当するのならば、アンチョビ君の人生はめちゃくちゃなままになってしまいます……。

最早、本気で殺し合ってもらうくらいの精神的対決が必要だと思っていました。
死亡なり重傷なりの状態で、カラスミ様が悔い改めるか、アンチョビ君がカラスミ様を手に掛けるに至るまでに世界平和を優先させる(兄との決別)か、そういうものを望んでいたことに気付いたわたしは、アンチョビ君の幸せが遠ざかったような気持ちになっています……。
何もないままの和解は非常に厳しい関係にあると考えています。
アンチョビ君に幸せになってほしい。

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そしてフォンドヴォー。
口を出してくるのは、彼の性格上納得なんですが、わたしの絶望に拍車を掛けたのが彼の一言。

『お前の大好きな兄さんじゃなかったのか!?』

兄側の立場であるフォンドヴォーに言われるのが、かなり苦しい気持ちになりました。
『大好きな兄さん』という言葉を、兄側の立場の人間が振りかざすのは、あの兄弟に対して攻撃力が高過ぎると思います。そして、言い回しがやはり、アンチョビ君の愛を試しているように聞こえてならないのです。
だからここの意味でも、アンチョビ君とカラスミ様の構図は、逆が良かったと思いました。
しかし、その場合、フォンドヴォーは言ったのでしょうか。
『アンチョビはお前の大切な弟じゃなかったのか!?』
言ったかも知れない、でも、あまりしっくりこない気もします。やはりフォンドヴォーも、兄側の立場の人間なのだなと思いました……。

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どんなに素晴らしい思い出があっても、家族愛とは、無限に湧いてくるものじゃないと思っているから、アンチョビ君にはもう頑張ってほしくないし、頑張りたくない結果としての殺戮の選択が彼にあったことに感動を覚えた者としては……やはり……悲しみに暮れています……。

とはいえ、戦ってるアンチョビ君は最高に格好良かったし、1ページまるまる使った破顔するアンチョビ君も本当に良かった。
そして、兄弟の件を抜きにすれば、『兄の立場を振りかざしてくるフォンドヴォー』という、フォンドヴォーのダメっぷりは個人的に物凄く大好きポイントなので、フォンドヴォーへの好感度自体は割と上がりました。

倒れたアンチョビ君が突然ヒロイン的になったのも良かったです。抱き寄せられるところかわいい。
彼らに未来があるのならば、やはり幸せを願います。どんな形であれ。

そんな気持ちを抱えて来月まで生き抜きます。
何よりも応援の気持ちを込めて。