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Op. Ingress10周年記念パーティーのこと

こんにちは。東京のすみっコぐらしでポータルには囲まれていますがイベントの時しか活動しない "かーず" ことAG名 "cb23kg" と申します。どうぞお見知りおきを<(_ _)>

本記事は Ingress & Wayfarer Advent Calendar 2022 の 12月22日分のエントリーです。

Ingress(イングレス)というのは現実世界をプレイグラウンドとして遊んじゃうというスマホゲームでポケモンGOの前身でもあります。主な目的は実地に自陣営の三角フィールドを広く数多く作り、中に囲んで味方に引き込んだ人々の数を競うというものです。
今ではスマホの中だけに限らず様々な"プレイ"に発展して"沼"と呼ばれる多種多様な趣味界と人間模様が錯綜し、社会実験とも「ゲームではない」とも呼ばれております。興味を持たれたら前述のカレンダーから他の記事をご覧になると、その一端が垣間見えるでしょう。この記事はそれにハマってしまったエージェント(AG)と呼ばれるプレイヤー達に向けてのとある作戦記です。


さてこれをお読みの方は今年2022年9月下旬に日本をお騒がせしてしまったBAF(バカデカいフィールド)のことを覚えていらっしゃるでしょうか。
これについては何か総括的なものを出さねばならないな、と思いつつも他の作戦やアノマリーでズルズルと引き伸ばされそうなときに、このAdventカレンダーの募集を見かけたので締切を決めないと進まないだろうと初めてですが筆を取らせていただきました。

9月24日 13時チェックポイント 時点の様子

きっかけは小笠原と対馬と繋いで豊後水道を打ち抜きたいと悪い🐻からの一本のメッセージから。
海外含めあちこちにひょろひょろふらふらとやってきてはお騒がせするも何故か憎めないやつで、こいつがきっかけで以前に九州や四国を沈めたりしたので話しを聞かないわけにはいかない。そこで二人してあーでもないこーでもないとあちこちラインを引いて遊んでた。「線を引く」というのは移動を目的とする位置情報ゲーの中で幾つかある動かないで楽しむ背徳的な遊びだ。
ある程度形になったところで東西南北の黒い有識者たちに意見を聞いて更に細部を詰めていく。悪巧みというのは少数で空想してる時間が純粋に楽しい。

とにかくここを通す!

しかし今年は三年目でも相変わらずコロナ禍が吹き荒れ、以前よりは出掛け易くはなったものの職場や家庭の事情で制限や後ろめたさもある。そんな中で作戦をやる大義名分とは何か、とずっと考え込んでしまいました。

作戦なんて何だってやれば楽しいんだよ、と言う人がいる一方で多数動員しなければならない大規模作戦では目的が嵌まるかどうかでノリが違ってくるのも事実。また個人的には裏テーマとして、今年から各地でバトルビーコンやリージョナルセル戦が行われたものの開かれない地方は蚊帳の外だし、コロナもあって多くのAGが半引退状態だったり地域間の繋がりが希薄になってしまったのが、本作戦を機会に一時的にでも復活したり活性化しないかなという淡い期待を持っていました。自分を含めイベント遠征勢は何人もいるけど各地ではそれぞれの地元の方が動いてくれるといいなぁと。

目先のことで落ち着かないまま、やる時期は秋だなぁとモヤモヤしてるとハタと閃いた「今年の秋ってIngress10周年やん」

テーマが固まると難しい説明は要らない。
simple message complex thought だ

と書いた簡単なペラ一枚をみせて「どう?」と一人ずつ声をかけると直ぐに各地の猛者達が興味を持ってくれた。

そうしてようやく諸々が始動し始めたのでした。

・・・

それから◯ヶ月、最初の関門は小笠原に渡れるかどうか。
そもそも何日も休まなきゃいけないのに人が集まるのかと自分が行かねばと腹を括ってたのに、募集をかけたら我も我もと手を挙げる人が現れて弾き出されてしまった。けれど時期はシルバーウイークのハイシーズン。乗船券の争奪戦に殴り込んで人数分確保せねばスケジュールの引き直しとなるか下手すりゃ不成立。発売開始時は心臓バクバクで片手で電話を片手で端末を叩きなんとか確保出来た。それでいよいよ実現に向けて気が引き締まるわけだが、渡航者たちは作戦そっちのけで南の島で何食べたいどこに潜りたい等と当日までずっとお気楽極楽でうらやまけしからんかった。

といいつつも、この陽気さに救われた感もあった

そもそも何故9月の連休になったかというと、今年になって各地でBBアノマリーが催されたのはよいものの毎月開催で四半期ごとのを発表されるのが1ヶ月前とかで長スパンのスケジュールが組めないんですよ。そこで3Qはどうも7月のミュンヘンだけで8,9月は無さそうだというところから。それでも急にぶつけられないかとハラハラしてたら案の定別府と小樽でやるというけど重ならなくて良かった。
(本当は記念日か近い日にしたかったけど諸々の事情でやむなし)

次の関門はコロナ情勢。政府の方針転換で去年一昨年よりは国内旅行はし易くなったが地方によっては特に離島では現地医療状況で歓迎されない向きがあったり、案の定8月の第七波が高くて再び緊急事態宣言出るかもしれないし、なにより参加者が作戦前や作戦行動で感染するリスクもあるので毎日の推移を様子見し、自身も罹らないよう注意しなければなりません。

そして最大の難関が台風。
先ず作戦前週に西日本をギタギタにしてくれた台風14号。宮崎で1000mm降ったのを筆頭に高知愛媛大分山口の山間部沿岸部のダメージは如何ばかりか。一過で浸水中だったり片付け等忙しいところで恐縮しながら各地に現状チェックをお願いしてると、豊後水道を閉じてるうちの一つのノヴァ基点の島の港が壊れて当分渡れないとの連絡が! 仮設の艀(はしけ)を留めて島民向けの輸送を優先とのことで観光客受け入れは未定とのこと。
さらに石垣ではクロスリンクが飛んでる展望台に至る道路が土砂崩れで通行不可に!

クリティカルなのはその2つで他にも危なっかしいところはあったようだが、私は無念を覚悟しながらも一方で冷静でした。
というのも参加者の皆さんは気を悪くするかもしれないけど、たとえコントロールフィールド(以下CF)は完成しなくても通せるところは通して10周年という節目に日本のエンライテンドが見せ場を作ろうとしたという意地を見せられればよい、見せなきゃなと思っていたからです。

しかし大分では枝の方をカットするのに急遽何人もの地元AGを更に集めてくださった九州陣の動きは凄まじかった。
また石垣のクロスリンク対応では実質不定期にしか運行しない対向の島へ渡るのに天気図と相談して2日前なら行けるだろうと急遽渡って潜伏してくださる方が登場。

だが天からのイジメかよという追い打ちで作戦当日に向けて次の台風15号が接近。当日は近畿から関東は大型台風の真っ只中で東北から南北海道も大雨注意報。それでも大東島ではその間隙を縫ってカットに成功したり前日には日本海側や南西諸島の各離島や岬をはじめ全国各地で移動も始まり、緑のうねりも止まらなくなっていたのでした。

作戦中にど真ん中を突っ切る台風15号
直前の日本近海の状況。
遠景だと一カ所から延びてる様にみえるクロスリンクも
当地では何ヶ所かに別れていたりする

そして作戦当日の9月24日。CF起点の小笠原、対馬、石垣は好天に恵まれ、その頃の私といえば巡り巡って石垣の担当となり折角初めて来たからと後ろめたさを覚えつつも南国を楽しんでたものの、東日本の状況には気が気ではなく、事故なく進めばよいなと悟りのような面持ちでした。

そうして自分の中では静かに作戦開始。すると東北の岬の方で早速問題発生。濃霧の中遊歩道を進んでいくと通行止めでクロスリンクのカットに行けないとの連絡が飛び込んできた。もう既に運を天に投げ出して為るようにしかならんだろうと思ってると「違う道でした!予定ルートに戻ります」との一報が入り胸を撫で下ろす。

この作戦の肝は対馬小笠原ラインが通るかどうか。開始前に「台風で東だけ西だけのCFになるとしても続行します」と宣言してたので「じゃあ真ん中が通らないとダメやん」とライン担当の方々にはプレッシャーと気合が入っていた模様。大分や高知で要注意RESさんが近くで動き出したと耳にしたものの、自分はカットやガードで動いているので詳しい様子は追えていない。そんな中予定よりちょっと遅れて「通ったー!」の声を聞いた時は小さくガッツポーズが出ました。

センターラインのTelegramでの様子

懸念されていた日本海側もガードリンクに成功した様だし後は粛々と欲張り多重が出来るだけ、と思いきや「リンクが引けません」との声が入る。結局先にトライした西より東側が先に作れた模様。スキャナ上ではリンクの線が描画されずモヤモヤが広がってるだけでCFが作れてるかの確認とリンクトライの時間が取られてしまい西側はチェックポイント(計測時刻)通過が予定通りの多重にはならず、その後のお代わりタイムも大幅に遅延することとなってしまいました。

フィールドは作れたもののラインが無かったりモヤモヤが足りなかったり

またその頃になると小笠原と対馬にスプーファー(位置偽装野郎)が現れ基点を脅かしていたが大ごとになる前にNIAが退治してくれました。
一方石垣では最も警戒していた半分地元のRESさんが襲撃に登場。こちらは人数が多いから全損には至らずともあちこち飛び回っては基点を次々破壊され、一人相手に結構やられました。その間防衛と再構築、リンクプランの練り直しと慌ただしかったけれど、これぞIngress!とアノマリー並の充実感を覚えたし、彼から去り際に「石垣を楽しんでって下さい」と声掛けもらったときは来て良かったと心底思えたものでした。
なのに後日彼が同陣営から責められてイヤになったとAGを辞めてしまったのはつくづく残念でなりません。

作戦は予定を大幅に過ぎて夕暮れまでかかってしまったけれど、無事に終わって何よりでした。

この為に参加してるようなもの
各地でも多くの方が力を尽くして下さいました。他の写真も見せられなくて残念

北日本では開始時は大雨に苦しめられたし、東海のオペさんは避難勧告が出て停電したにも関わらず自宅に留まって続けてくれたり、荒波や強風に揉まれて苦しみながら島に渡ったり、、、と目立たないところでも多くの方々が活躍して頂いたお陰で爪痕を残せ、NIAの方を含め多くの反響を頂きました。多数が参加にも関わらず当日罹患や事故で欠ける者無く、また厳しい荒天の合間を縫って履行出来たのは奇跡的で参加者全員を誇らしく思いますし、10年目以降も「我々は続けられる」と底意地を見せられたと満足しています。

後日談としては、この後一週間も九州沖縄が沈み放しになったり「ママ、お代わり!」と再び同じドボンしたりとありましたが、更に長くなるのでこの辺にします。

最後に自分の至らなさをつくづく思い知るほどご迷惑かけてしまい、お力添えを頂いた各方面の方々に厚くお詫びと御礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。

Photo by 
asylum13, Bang Doll, cb23kg, kaginw, katz1234, junkjunkjolly, mamitom, nantak, naomia, Skylla, sovamong, tarmn3, uni8, yukiatom, and 🐻


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