先輩の話 1
先輩の話をする。
先輩と僕は大学のサークルで出会った。
先輩はドラマのような人だった。
大学2年の夏休みに僕と先輩は小樽と舞鶴を27時間で結ぶフェリーに乗って帰省した。先輩の地元は僕と同じ関西だった。時間はあるけれどお金がない僕たち学生にとって、雑魚寝の2等船室の5千円という運賃はとても魅力的だった。夜の8時過ぎに小樽のフェリー乗り場に着くと、ちょうど船内への搭乗が始まったところで、案内口から30人くらいの行列が残っていた。
切符を買い終わると僕達もその後ろへ連なったが、いよいよ乗船というところで、船内での暇つぶしにするためにその日発売の漫画雑誌を持ち込もうとしていたことを思い出した。
「コンビニでジャンプ買うの忘れました。中で売ってるかな」
「どうやろ?買いに戻ろっか?」
「いえ、そこまでは」
「…!」
何かに気づいた先輩は数メートル先に置かれていた大きなゴミ箱に駆け寄って中に手を突っ込むと小走りで帰ってきて、にまっと笑いながら僕の顔の前にジャンプを突き出した。僕が喜ぶことがわかりきっているような、戸惑ったり嫌がったりマイナスの感情が浮かぶことなど一欠片も心配していないかのようなその笑顔に、子供にお菓子を差し出すような圧倒的な“正しさ”のようなものを感じてしまい、僕はそれをスッと受け入れてしまうのだった。「何故こんなことをするのか」ではなく「そうか、こんなことしていいんだ」と思ってしまう。僕にとって先輩の振る舞いは、先輩がやった瞬間にそれが「やってもいいこと」に変わってしまうような説得力を持っていた。先輩の持つその“正しさ”と、すこし浮世離れしたような突飛な言動が、僕の中で先輩を「ドラマのような人」にしていた。
先輩と初めてちゃんと話したのは大学2年生になってからだった。
大学2年の4月、僕に生まれて初めての彼女ができた。同級生だった。その人に告白する日を決めて、ボクシングの試合に臨むようにその日に向けてMDプレーヤーでゴーイングステディの恋愛ソングを聴き込んで気分を高めながら告白のイメージトレーニングを重ね、そのくせ本番では言葉を噛み、告白の返事を聞くはずの待ち合わせの学食では本人はなぜか不在で友人の女の子2人が待ち構えていて、僕はこれから彼女らになじられるのかと戦慄した展開からの「いいよ」の返事は、自分の中ではそれなりにドラマチックな出来事だったし、そのわずか4ヶ月後に「結局好きになれなかった」という理由で振られたのは、それなりに世界の終わりだった。
その日、僕は振られたその足で小学校へ向かった。サークルが地域の体育振興会に所属することで小学校の体育館の週2回の使用権を確保させてもらっていた関係で、夏休みに開放したプールの監視員をすることが僕達2年生の仕事だった。僕以外の2年生はその日大学の試験があって来られなかったので代わりに先輩が来てくれていた。
先輩はとても察しの良い人だった。
口数の少ない僕に「何かあったの」と声をかけてくれ、僕はそれまで挨拶を交わすくらいであった先輩に洗いざらいを話した。それを先輩は黙って聴いてくれた。
その数週間後、サークルの人達で行ったキャンプ場で、先輩は海に面した展望台の上へ僕を連れて行った。ちょうど夕日が水平線に沈んでいくところで、僕たちの全身をオレンジ色に染めた。夕焼けの空とキラキラ輝く海を眺めながら先輩が呟く。
「こんなところで告白されたら別に好きじゃなくても付き合っちゃいそうやわ」
そういうものなのだろうか?と思いつつも、リアクションに困って僕が黙っていると、先輩はとんでもないことを言い出した。
「思ってることは吐き出した方が良いよ。ほら、叫んでみ」
“夕日に向かって”というやつだ。躊躇していると、
「絶対、幸せになるぞーーー!」
先輩が叫んでしまったので、僕もやらざるを得なくなってしまった。何を叫んだのかもう覚えていない。
「◯◯(僕の苗字)は犬みたいやな」
最初に聞いたときは聞き違いかと思ったが、先輩は通算で多分3回は僕にこう言った。どうやら先輩的には「かわいい後輩」という意味らしいのだが、これで喜ぶ男はいるのだろうか。
それでも、先輩が昔飼っていたという犬の名前まで引き合いにして僕の犬っぽさについて説明する先輩の笑顔を見ていると喜ばないといけないような気がしてきて、それでも良いかと思い直してしまうのだった。
大学4年の冬、僕と先輩は卒論に追われていた。
先輩が留年したわけではない。先輩は僕とフェリーで帰省した数ヶ月後、つまり僕が大学2年で先輩が3年の秋に1年間の海外留学へ行ってしまった。そして先輩が日本に帰って来たときには僕達は同じ3年生になっていたということだ。先輩は僕に、同じ学年なんだからため口でいいよ、と言った。僕は頑なに敬語をやめなかった。先輩と友だちにはなりたくなかったのだと思う。
僕と先輩は農学部に在籍していた。僕は高校3年のときに英語教師が授業の合間に話した、「地下鉄の駅3つ分」というキャンパスの広さと雪国での学生生活という魅力に加え、わざわざチョークで黒板に書かれた「少年よ大志を抱け」の言葉に深く感銘を受け、というよりノリと勢いだけで受験を決めてしまったクチだった。
理学部の友人が度々口にした、「農学部の奴らは理系っぽくない。論理的思考ができない。感情でしか行動しないロマンチストばかりだ」という寸評は、残念ながら僕にはそのまま当てはまるし、僕の観測範囲では概ねその通りだったと思う。そういえば先輩もそのケがあった。
端から端まで1キロ以上もある大学の敷地の南端に農学部の建物はあった。新築から100年近く経っていて、そのまま文化財に登録されていそうな外観だけでなく、正面玄関から入ると目の前に1階から最上階の4階までを貫く大階段が登場する構造だったり、床のタイルが剥がれて天井の配管が剥き出しになった細部までが、嫌でも大学が辿ってきた長い歴史を感じさせてくれた。それでも研究機関として最低限のセキュリティーは備えていて、正面玄関の古めかしい大きな木製の両扉の隣にもうひとつ小さな開き戸があって、学生はそこに付いた読み取り機に学生証の磁気シールを通すことで、24時間いつでも自由に出入りすることができた。
その日、僕は深夜の研究室でキーボードを叩いていた。壁沿いに2列、部屋の中央に向かい合わせに2列、窮屈に並べられた合計16台の学生用の机には僕以外は誰も向かっていない。誰もいない部屋の空気は、学生で溢れる日中と違って冷たく澄み切っていた。二重になっているガラス窓の外では止むことなく雪が降り続けていた。踏み固められた雪が溶けることは春までない。その上にしんしんと降り積もる雪に周囲の音はすっかり吸い込まれていた。時計の針は3時を指していた。
携帯の着メロが鳴った。先輩からのメールだった。
大学に来てるの?
当時流行った、仲間内で互いに日記をアップしてコメントし合うmixiというSNSに僕は研究室に来ていることを書いていた。先輩はそれを読んだのだろう。
はい、卒論進んでなくて。先輩もですか?
1分も経たずに、また着メロが鳴る。
私も来てるよ。まだかかりそう?
もうちょっとやっていこうかなと思ってます
すぐにまた携帯が鳴った。
朝までがんばったら、そのあと朝マックに行かない?
夜明け前の6時に玄関前の大階段で僕たちは待ち合わせをすることになった。
携帯の電池が切れかけていたから絶対に遅刻できないと思って急ぎすぎたのか、僕は待ち合わせの10分も前に大階段の前に着いてしまった。当然まだ先輩の姿はなかった。
僕の研究室は1階の南西の端にあった。先輩の研究室が4階にあることは知っていたけれど、実際に行ったことはなかった。だから、歴代の研究室の学生が持ち込んで置いていった新旧の漫画が本棚から溢れて床に散乱していたり、コタツや冷蔵庫や麻雀稗が置いてあって、そこで寝泊まりしている学生もいるという話が、どこまで本当なのかは知らなかった。僕は階段の隅で腰を下ろして先輩を待つことにした。
夜間通用口の扉の上にわずかに開いた窓から見える東側の空は、漆黒から藍色へと変わってきているように見えた。
構内には他に誰かいるのだろうか。ひょっとしたら誰もいないのかもしれない。こんな時間に待ち合わせをしている。夜明けに朝マックに行くだけなのに、胸が高鳴って仕方なかった。
6時になった。先輩は来ない。
正確には、6時になったのだろう、だった。僕の携帯の電池は待ち合わせの場所に着いてすぐに切れてしまっていたので、当時は腕時計をつける習慣の無かった僕は体内時計を頼りにするしかなかった。そして恐らく6時を10分は過ぎていた。4階に登ってみようかとも思ったけれど、もし先輩が別の階段を使って入れ違いになってしまったら、僕に連絡を取る方法は残されていない。そのまま待つしかなかった。
それからさらに10分後、先輩が大階段を降りてきた。全く悪びれていない様子を見て、少し不機嫌に待ってたんですよと言ったら、時間をずらそうというメールを5時半くらいにmixiに入れたという。見ていませんと言う僕にそうなのと答えた先輩はなぜか少し嬉しそうだった。先輩は僕に朝マックを奢ってくれた。
先輩には恋人がいた。
ずっと同じ人だったわけではない。いわゆる「彼氏が途切れない人」というやつだった。
考える前に思ったことを口にするタイプの後輩が「イケメンばかりですごいですね」と褒めてしまい、先輩を絶句させる場面を見たことがある。
そんなわけで、最初から最後まで先輩は先輩で、僕は後輩だった。
それでも良いと思った。