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実家はすごい

 誰にも実家がある。「実家」は解釈が複雑だから、生家といってもいい(ただし、わたしは育ちこそ実家だが、生まれは病院である)。引っ越しを繰り返す人にとっては、両親のいるところになるのだろうか。いずれにしも、実家は最強である。両親が健康でいてくれると、鬼に金棒である。この金棒を持った鬼を味方につけるためには、できる限りこの鬼の近くに住むのがいい。


 実家があるということは、いざという時そこに住めるということである。例えば、無職であったとしても、住所不定になることがない。万一のことを起こしても、「住所不定無職」と報道されるのを避けることができる。多くの場合、食の利は実家に軍配が上がる。味だけでなく、「上げ膳・下げ前・手濡らさず」である。滞在日数が伸びると、手抜き料理の出現比率が上がるが、贅沢のいえる身分ではない。少なくとも、来訪日から数食と最終日は、豪勢な料理が保証されている。

 結婚してからは、実家が駆け込み寺になる。逃げ込んでも離婚話が進むわけでないが、愚痴のはけ口として大いに機能している(両親にとってはたまったものでない)。夫婦が一晩離れることで、両者の反省が促される。

 子どもができてからは、実家はさらに威力を発揮する。祖父母となる両親は、年齢的に暇を持て余している。多忙を極める人が暇人に子どもの世話を頼むことは自然な流れだろう。需要と供給である。青鬼と赤鬼は金棒をでんでん太鼓に持ち替える。その上、まだ顔面の定まらぬ内から、目に入れても痛くないと溺愛してくれる(顔面に絶望しても別の良さをでっち上げて、やはり溺愛の手を緩めることはない)。自分たちが助かる上に、親孝行もできる。まさに、一石二鳥である。
実家はすごい。

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