変われないし変わらないし

子どもを作るのを諦めようかと思っています。これは確実な決意ではなく、もう仕様ない選択です。

夫は子どもがほしいと言いました。それはもう、付き合いたてのころ、まだ二人が結婚をぼんやりとしか考えていなかった頃からの話です。また、私も同じように「いつか子どもを産み育て、家庭を築く」ことを願っていました。

プロポーズはすぐに受け入れました。それは二人にとってあまりにも自然なことで、互いに寄り添い合うことが普通だったのです。それは今でも変わりません。

思えば、結婚式の準備でもよく喧嘩をしました。フルタイムで働いて、家に帰り、ご飯を作ったあとに式の準備で色々と手作りをする嫁と、食器も片付けずに趣味をする夫には、当たり前のように溝ができました。

たくさん泣いて怒って、結局予定していたこともいくつか諦めて、結婚式をしました。キラキラに着飾って、みんなに祝ってもらって、「終わりよければ」をひしひしと感じたものです。

夫は気づくことが苦手なようでした。学生時代、バイトを共にしていた私は、夫がどれほど仕事のできる人かよく知っています。気配りもよくできる人でした。

けれど、家では違うようです。たとえ嫁がひとりで家事をしていようと、やるべきことが溜まっていようと、夫にはどうでもよいことでした。

これは私が招いた結果でもあります。結婚前から夫の家に上がり、仕事が忙しい彼に代わって洗濯や夕食作りを率先していました。彼にとって何もかも用意してある状態は当たり前であって、自分がやらなければならないものではないのです。

私は体調を崩し仕事を辞め、現在は在宅で都合の付きやすい仕事をしています。シフト制の夫の休みに合わせて休みを取り、なるべく一緒にいられる時間を取ってきました。

それがいけなかったのでしょうか。ある日夫に「外で働いてない人を手伝って子育てや家事をする意味がわからない」と言われてしまいました。

かなりの衝撃でした。時代錯誤も甚だしいな、と。いままでそんな考えで横にいたのか、と。

私は仕事を辞めてからずっと、子どもを作ることに抵抗を感じていました。体調を崩したからとはいえ、信頼してくれていた子どもたちを放る形で、仕事を投げ出したからです。

子どもを抱いていて泣かれ、落としてしまう夢や、飼った覚えのないペットを放置して殺してしまう夢を何度も見ました。私には我が子を育て上げる力がないのだと、強く感じさせられました。

それを励ましたのが夫でした。「俺は子どもに好かれるから」「子どもがいたらああやって遊んであげたい」と、彼はしきりに話してくれました。この人が父親なら、子どもはしあわせだろうと思って、本当に嬉しかったのです。この人を父親にしてあげたいと思いました。


でも違いました。「手伝う意味がわからない」ことも問題ですが、そもそも子育てを「手伝うもの」として考えていることが悲しいのです。私は彼と二人の子どもだったら育てられると感じたのに、彼は「私が育てた子」を可愛がるつもりだったようです。

話し合いもしました。彼にとってはひどく恐ろしい態度だったかもしれませんが、私は冷静に話をしました。

二人の子どもだからこそ育てたいこと、手伝うのではなく二人でやることだと思ってほしいこと、出産で命を落とす可能性だってあること、いまのままでは出産後きっとあなたを嫌いになること。

話している間彼はずっと黙っていました。喧嘩したときはいつもそうです。今回は喧嘩ではなく、お互いの意見を擦り合わせたかったのですが、彼にとっては喧嘩も話し合いも同じことのようでした。

「このままじゃ産めないよ、できないほうがよかったと思っちゃう」

そう話すと、夫は泣きながら「ごめん」と言いました。彼の涙を見ると私もなんだか泣けてきて、私も感情に任せて夫を振り回してしまうところがあるから、お互い頑張っていいパパママになろう、なんて話をして、抱き合いました。

怒る気力もなくしていたけれど、話してよかったと思いました。

でもその日の晩、夫は夕食を食べ終わると早々にソファで携帯ゲームをしていました。夕食の後片付けは、私がひとりで済ませました。三日坊主にすら、坊主にすらならず、それまでと変わらない日常が続いています。

(話し合ったの、私の妄想だったのかも!)

その日から私は絡まって絡まって、ぐちゃぐちゃになった毛糸のようです。なんて詩的な表現で誤魔化さずに言うと、虚無です。

もちろん何度か怒ることもありました。「なにが変わったの?」と詰めたことも。それでも彼が変わる様子は、ないです。

怒る気力も、再び話し合う気力もなく、喧嘩もしたくないので夫の前では平然と過ごしました。夫は何も気が付かず、仕事の話やテレビの話をします。


買った家はもちろん、子どもができてもいい想定です。でも今は、作らなくたっていいと思っています。

子どもはかわいくて、大好きだから、子どもと接する仕事をしてきた。でも、私はひとりじゃ育てられない。根性なしだから。子どもを産んで、夫のことを嫌いになるくらいなら子どもはいらない。ずっと二人でいいです。

人の考えはそう簡単に変わるもんじゃないのでしょう。夫も例外ではないことを痛感しました。仕方のないことです。夫が悪いわけではないのです。積み重ねてきたことを忘れちゃわないよう、そういう仕組みとして作られたのだろうから。


だから、もう子どもを作るのを諦めようかと思っています。私は、夫のことを憎いと思う未来よりも、二人で仲良く過ごす未来を選びたい。

でも本当はさ、

夫の大きな瞳、長い睫毛、筋の通った鼻や、おおらかで優しい性格を受け継ぎたかった。できることなら、二人で子育てしてみたかった。夫をパパにしてあげたかった。

明日朝起きたら、ぜんぶ変わってたりしないかな。

よしなに…