ほんとうに幸せになるために必要なことは。

最近何度も思うことがある。

世の中もっと不便で良いんじゃないのかなあ。
欲しいものをいつでも手に入れるために、ほかのものを蔑ろにするのは、もう終わりにしてもいいんじゃないかなあ。って。

一週間以上前の話、母親と一緒に買い物をしにスーパーへ行った時、青森県産の黒そいが特別提供されていた。消費期限は2日。
売れなかったらどうなるんだろう。
捨てられたのかな。
人間の勝手な我欲で殺されて、挙句食物連鎖のサイクルの中にさえ入れてもらえずに捨てられちゃったのかな。
魚の気持ちなんて、わかりっこないけれど悲しかった。ただ、悲しいと思った。

命ってそんな簡単なものだったっけ、って思ったりもした。


服だって、セールとはいえ500円や1000円で売られていたあの新品の服の原価って、それを作る人の給料って、いくらなんだろう。
その服が売れなかったら在庫はどこへ行くの?
買った人は来年その服をどうするの?

値段が高ければ良いか、そう問われれば絶対に違う、そう断言する。安いからダメだ、と言うつもりも毛頭ない。

しかし、世の中、あまりにも"消費"に焦点が当てられすぎている気がするよ。

自分がほんとうに欲しいと思うものを考えるよりも前に、これ必要でしょ?これがないとやばいよ?と言われているみたいな、息苦しさを感じている。

家にいても外にいても情報がたくさん入ってきて、気を抜いていたらあっという間に世間の価値観に飲み込まれていってしまうし、かと言ってこうして自分の考えを示して、それをまるごと認めてくれるような場所はすぐには思いつかない。学校や家だとなおさらね。


なんかもう、しんどい。
モノがありすぎて、誰かのために商品になったはずなのに誰のためにもならなかったものたちを見るたびにしんどくなる。

考えすぎだよ。そう言われたらそれまでだとは思うけど、わたしは考えすぎてしまう。どうして、まだ着られる服があるのに、まだ食べられるものがあるのに、新しいものを求めてしまうんだろうって。

高校3年生の時、ファストフード店で働いて抱いた食べ物が捨てられる、資源がゴミになる瞬間のあのモヤモヤは2年経った今、もっと大きくなってしまった。

こんな話をしているわたし自身の生活はというと、徐々に変わってきていて、自分がほんとうに気に入ったものや大切にしたいと思ったもので人生を構成していれば、すぐに別のものなんて欲しくならないなあ、と身をもって感じるようになった。

それに、自分にとって良いものを持つ、ということは、自分を幸せにすることだとも気づいた。
今だって量産されたかわいいものを見たら少しはわー!となるし、完全に身の回り全てを自分が気に入っているものには出来ていない。だけど、雑誌に載ってるから、とか好きな人がこういう系統好きって言ってたし、モテそう!みたいな理由で服やものを買っていた時(我ながら健気すきて面白い)に感じていた、そのものや服自体への価値や愛着は見出せていない状態からは脱出できた。あの時は、服は服であること、それ以上でもそれ以下でもない存在としか思えなかった。

少しずつほんとうに気に入ったものを買うようになって、ものが自分のところへやってくるまでの背景に思いを馳せたり、それを纏って自分がどこへ行くかを想像したり、そういうワクワクと、何度手にしてもやっぱりいいな、好きだなとものに対して思える感情を手に入れられた。

わたしはこの感情と共にずっと生きていきたいと思えた。

お金なんて無いし、電車賃もタピオカもディズニーランドも出来ることなら全て無料にしてほしいくらい。
全て無料の世界になったとして、それでも、お金を払ってでもほしいと思えるものをわたしはもっていたい。

すぐに手に入れられなくても、たくさん持っていなくても、ほんとうに必要なものとほんとうに好きなものを手にして生きていきたい。

それが、わたしがほんとうに豊かになるために必要なことだと思うから。

わたし自身が幸せになれそうだと思う生き方は、この2年間で少しずつ形することができた。
だから、次は、これをちゃんと発信することをしたい。そして、消費についての考え方を少しずつでも変えていきたい。 世界を良くするには自分が何かをしないといけないからね。

価値観の押し付けなんてしたくないし、わたしの幸せがあなたのしあわせと全く一緒なんてことは、奇跡が起こらない限りない。というか、たぶん0.01%くらいの確率でも無いと思う。

それを踏まえた上で、一度考えてみてほしい。
今の消費の仕方に自分は満足してる?
ものに頼らずとも幸せになれてる?って。

私は、もう、モノの多さや商品が死んでいくことに絶望を覚える人をつくりたくない。
もっともっと、本質的に大切なものを見抜いた生き方と選択をしていきたい。


さっきした質問の答えが見つかって、何かしらの動きを起こせたとき、きっと世界は少しばかり良くなっている気がする。

それまで、小さくても動きと声をあげ続けようと思う。





サポートしてもらえると好きが溢れ落ちます( ; ; )