人魚と冷たい人間の話

友の力も借りて、少年を探す為にサンディールという砂漠地帯まで足を運ぶ事ができたけれど…長い間深海で過ごしていた彼女にとって、暑さは天敵。砂漠の日差しなんて耐えられるものではない。足元でミスティックが彼女を労る。横に付き、寄り掛かれと言わんばかりのセナルにそのまま身を寄せて、少しでも温度を下げる。セナルの身体は冷えていて、とても涼しいから――…

「なあ人魚さんよ」
「今日も宝石ジャンジャン出してくれよなァ」

でもここには、ミスティックもセナルもいない…とても、暗い部屋の中。
そこに居るのは宝石目当ての卑しい盗賊のみ。暑さで弱り、暴力で弱り、逃げる体力なんてこれっぽっちも残っていない。ただ痛みと恐怖を涙と血で染めるだけの…長い日が経った、そんな気がする。

…と言っても時間の感覚は既になくて、なんと言っても扉が開くのが宝石が欲しい、腹が立って仕方ないなど、私欲を吐き出す為にしか開かない。いつもそうだ。いつも…この扉は彼女を閉じ込めて苦しめるだけで、誰もこの無数に傷付いた細い少女を助けない。助けられた事は勿論ある。あるけれど、もういない。テレパシーというもので声が届いていた彼にいくら救いを求めても、いくら語り掛けても、返事がない。もう、誰もいない。誰にも気付かれない。

騒がしい。この外部の騒がしさを彼女は何度も耳にした。恐ろしい音、隠れなくては…死角へ行かなくては。隠れなければきっとまた恐ろしい目に遭う。だけど身体が思っている以上に動かない。傷が痛い、打ち身が痛い…それでもなんとか起き上がり、脚を引き摺るけれど進まない。恐怖が頭を支配して涙が零れて音を立てる。ぱらぱらと響き、近い足音に動けなくなり…扉は、開いた。

盗賊よりも随分と整った身なり。彼女を見るなり当主を呼び存在を示した。此処から逃げてしまいたいのに、ボロボロの身体は動かない。苦しいくらいしゃくり上げて、止まらない涙が床で弾ける。現れた当主はその姿に目を丸めて、暫く見詰めていた。

そしてゆっくりと、近付いて来る。

ない声の代わりに心臓が叫ぶ。響く靴の音が恐ろしくて目を閉じて、いつ来るか分からない痛みに怯えている。近付いて来る気配がもうそこに居る。自分の呼吸の音だけが辺りに響いて…ふと、触れたのは冷たい感覚と

「大丈夫だよ」

柔らかい声。

ピタリと、涙が止まった。そっと、頭を撫でられている。優しい冷たいに包まれて…恐る恐る、彼を見上げた。

「もう怖くないから」

ぞわぞわと、再び湧き上がる涙と大きな安堵感。それと同時にくる脱力。
傾く身体を支えられ、また声を掛けられてるけれど…触れている彼の温度が心地好くて、疲れきった彼女が眠るのには、十分すぎる条件だった。



目が覚める頃には見たことのない綺麗な部屋、綺麗な服…手当ても済んでいる状態で、柔らかいベッドに横たわっていた。額には濡れたタオルが置いてあって、既にぬるい。暑い布団をどけて、揺れる頭を起こして、なんとか起き上がりベッドから立ち上がってみたものの…足は言うことを利かない。立とうとしても力が入らずに倒れ込んだ。その音を聞き付けてか、すぐに扉が開き、人が現れる。

「ダメだよ、まだ動ける身体じゃないんだ」

知っている、冷たい彼だ。

抱き上げられて再びベッドへと戻される。除けた布団も被せられ、ぽんぽんと、手を添えられる。彼を見詰めていれば、3日程眠っていた事を教えられた。怪我はとにかく酷いもので、少しだが骨にも異常がある状態で、暫くは歩けないだろうと医師からの診断だそう…それで彼女が思ったのは、歩けないと言うことは…大事なミスティックやセナルを探しに行くことも、友達に無事を知らせる事も出来ない。会いたいと思った途端、みるみるうちに悲しさが溢れた。寂しさを察したのか、頭を撫でて家族を探すからと言葉をくれる。でも、家族じゃない。伝わらなくても、そうじゃないの、違うのと、ただ首を振るしか出来なかった。

この邸の人間は確かに優しかった。それが人柄なのか、当主である彼が言ったからなのかは、彼女の理解出来る範疇ではない。ただ、ずっと頭から離れない、ミスティックの口癖。

『人間なんて信用しちゃダメ!あいつらなんて、いつ手の平を返すか分からないんだから!』

信じたいと思う度、いないミスティックが頭を過ぎって不安になる。

「ふうむ…」
「…治らないですね」

いくつか日が経って、怪我の具合を診に医者がやって来る。しかし彼女の傷の治りの遅さに頭を抱えている。それもその筈、今の弱った彼女では、傷を治すだけのエネルギーが全く足りていない。人間の作った薬でいくら処置しようと、ほんの気休め程度にしかならない。足はなんとか歩けるようにはなっているものの、少しだけ…暫く立っているだけでも痛みで無理な状態だ。傷という傷はそのままなのだから当然と言えば当然。

「この子には薬と言うものがあまり利かないのかも知れませんな…」
「ですがそのままだと跡が」
「…残りますでしょうな」

ゆっくりと、自然に治るのを待つしかない。きっと…人間にはとてももどかしい事。なんせ、彼女は毎日泣いている。保護をしてから、いくつもの宝石が零れ落ちて、悲しみに暮れた表情以外、見た事がない。痛みに、心細さに、拭いきれない不安……それなのに、痛みさえ取り払ってやる事が出来ない。

「ごめんね」
「……」

包帯の巻かれた手を撫でて謝る冷たい彼。何故謝られているのか正直よく分かってはいないけど、伝えなくちゃと感じていた。でも持っていたホワイトボードはない。この部屋には書くものもない。いいや、書くという事も、手が痛くて仕方がない。だけど

「…?」

指で、彼の手の平に書いた。

【き に し な い で】
【あ な た の せ い じゃ な い】

初めて浮かぶ彼女の言葉。

【そ ん な さ び し そ う な か お し な い で】

これを、彼がどんな気持ちで見ていたか、それは彼にしか分からない。ただ分かる事は

彼の手を握って、彼女が泣いている事だけだ。


  

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