嘆きの雨

この世界には三柱、神がいる。 

一柱は世を強大な力で生命を守護する愛情の神と呼ばれる者。
一柱は世に知恵を与え恵と厄災を齎す恩威の神と呼ばれる者。
一柱は世の乱れを監視し生命を刈取る規律の神と呼ばれる者。


はるか昔、とある地域の人々は神を呼び降ろし願いを請うていた…そんな時代の、悲劇の話。


美しき花園の中心に佇むは愛情の神。
その視線の先に広がるは地上の戦。
力を手に入れる為だけの、己が強さに慢心した者達の行為。

…幼子ですら容易に予測出来たであろう、あまりに愚かな未来。 


「ごめんなさい…ごめんなさい、私の愛し子たち…」


崩れ落ち、花園に注ぐ神の涙は、その悲しみの深さを思い知る程地に降り注いだ。
戦に明け暮れ、いくつもの命が散る地上で、赤く染まる大地を、洗い流すかのように。


「神よ…」 


泣き暮れる神の前に跪くは、始まりの天使。 


「私の力不足故の事態です…神がその様になってまで嘆く必要がどこにありましょう…!」


どうか、どうか涙を止めて下さいませと懇願するが、それが止む気配は一向にやって来ない。神がどれだけ、地上の、人間の傷を痛んでいるかが身に染み…ただ自らの無力さを恨み拳を握る天使を、神が包んだ。


「いいのです…いいのです……貴方の責任などではありません…!」

「…なにを仰るのです…私が、私が止められなかったのです……!堕ちていく仲間を、私は…っ 私は仕留められなかったのです!!この様な失態…!許される事ではありませんっ…!」

「いいのです…そんなに、自らを責めるのはおやめなさいカミル……優しいカミル…私のカミル……私の初めての、誰よりも素晴らしい天使…」

「―――……」

「私が神として…あの子を、かわいい天使を罰する事を躊躇したからです。貴方が自らの失態だと言うのなら…その失態も、私の意思が招いたもの…全て、神である私の責任…」

「、……"オフィル"様…っ!」


その戦いは、1人の堕天使の力を巡る争いだった。

『勝った国に加護を授けよう。今後一切生きる事に困らぬ大地にしてやろう。』

あの天使だった者に、そんな大地を豊かにするだけの力は勿論ない。争わせる為の虚言だ。それを人間は真に受け争った。なんと哀れな生き物か…


いいや、愚かなのは神とて例外ではない


「―――……」


あまりに非道な光景に、愛情の神が絶句し立ち尽くしていた。壁際には規律の神が口角を上げたまま、興味のあるそれに視線を向け言った。


「クク…これはまた、随分と面白い事を願われたものだな?」

「愚かしいが、悪くない願いと思うてな」

「気分は悪くない、というのだな?」

「そんな…そんな事で許されるのですか…その…その娘と赤子はなんです…!!!」


それは床に無造作に、まるで捨て置かれているかのように横たわる赤く染った人間の娘。そして恩威の神が腕に抱く赤子。嫌な汗が肌を伝い、理由を予測し憤りで拳が震える。


「"何"…と申すと?余は人の願いを聞き入れたに過ぎぬぞ」

「全てを了承するが神などと馬鹿げたことを!!!」

「おお愛の神よ。そんなに怖い顔をするな。余が受けた願いは簡単な事だ」


淡々と、しかし楽しげに、恩威の神は語りだす。


【人間の娘がこの神たる余に恋をし、愚かにも神の子を宿したいと自ら進言をしたのだ。その願いを"贄"として娘を捧げる事で叶えられた。しかし当然、たかが人間が神の子を宿せる筈もない。
―――して、余は娘の子を持ちたい願いを叶えた。
娘の命に余の力を流し込み、正真正銘、人間と神の子を生成した所だ。当然、神の力に人間が耐えられる筈もなくこの通り息絶えてしまったのだがな】

話し終わると同時に、恩威の神は下顎を鷲掴みにされ、神殿の壁に頭部が埋まり込む程の力で押さえ付けられた。抱いていた赤子も恩威の神の腕にはもういない。

「貴様が…これ程までに愚かだとは思わなかったぞ…」

怒りで震えた唇から、低く重たい言葉が吐かれる。愛ではなく、紛れもない力の神としての姿。

「この娘が真の願いは貴様の愛だと何故分からない…贄になってまでここへ来たにも関わらず、早々に命を奪うとは何を考えているのか!!!!!!命に貴様の力を流し込んだだと…?愚かにも程がある…人間に我らの力を与えてはならない…!天使の力、神の力…!これは人を狂わせるものだ!!!面白半分で神の力を得た人間を作るべきではない…!」

「しかし、その過ちもヒトの歴史…というものではないか?」

「これが"人"の歴史…?ふざけるのも大概にしろ、規律の神…"これ"はこいつの失態だ。」

「何を言う。この規律の神がよいと言うのだ!コチとしては、今回はどちらにも非があり、どちらが悪いことでもない。それこそ運命というもの、あって然るべき運命だ!」


愉快に紡がれた規律の神の言葉に力の神は呆れ返り、恩威の神と距離をとる。


「…クク…愛ある力の神よ。貴方はその赤子をどうするおつもりか?」

「厄災の種として、今ここで始末をしてもそれもまた一興だぞ?」

「、下衆が…ッ」


何をするか楽しみにしている二柱を尻目に、赤子の柔らかい頬を撫でる。


「我が預かる。その娘もだ」


先程の覇気ある瞳ではない、慈しみの眼差しをしたそれは娘と赤子を抱き締めた。が、


「ふん、つまらんなぁ」


恩威の神の遊具を取られた子供のような発言。

これは恐らく愛の神への挑発…逆鱗を逆撫でし、楽しみを得ようとしている。


「何故貴様のような者が神として生誕したのか…理解に苦しむ。」

「では、こうしようではないか力の神よ。」


人差し指を立て、嫌な笑みを浮かべる恩威の神の口から吐かれた神の誓約。

神は自らの花園へと戻ると、そこへ娘を横たえ膝を付いた。


『この非道な神をどうか許して』


赤子を抱き、命を毟り取られた娘の亡骸に謝罪を零し続けた。

この子を"人間"として生かす為には神の力を封印する必要がある。

しかし神の力を完全に封じるには、この赤子には負担が大きすぎる。


「ごめんなさい…ごめんなさい……あなたに最悪の運命を歩ませる事になってしまう…どうか、どうか……、いいえ…許さずとも、構いません…生きて…あなたの母の分も…あなたが…」


神の力には出来るだけの封印を施すが、人間としては秀でた能力を持つであろう子。

人間にしてみれば"英雄"と呼ばれる子の誕生なのだろう。

しかしそれは英雄神話の始まりであり、戦の始まり。

あまりに決まり過ぎている、酷な運命だ。

分かっていながら地上に返さねばならぬ心苦しさから、神は泣いた。

ひたすら、何日も泣き続けた。

神の感情に感化されるかのように草花は娘を、神を包み、他の干渉が絶たれる空間となる。


「ぁ、ぅあー」


初めて、赤ん坊が目を覚まし、声を出した。

しがみ付くように神の衣を掴み、神に声を掛けるかのような動作。

その愛らしさに、笑みが零れる。

それと同時に、守ってやれなかった悔しさに苛まれる。


「あぁ…あぁ……!ごめんなさい…愛する子よ…!許さないで…この愚かな神を憎むといいわ…!」

「うぅー」

「こんな…………こんなッ…!!」


無邪気に手を伸ばす赤子に頬を寄せ、必死に抱き締めた。


「誓います…私は、貴方に誓うわ…」


封印と共に、その赤子に誓われた愛の神の決意。


「もうこれ以上、我らの力を地上に持ち込まぬ為に………私は、今後一切、悪意、堕天…この大地と、私の花園に害成す者に…

一片の慈悲も持ちません。」


全ては、世界の崩壊を防ぐ為に。


「…我らが神の、仰せのままに」


草花の籠から出た神に跪く始まりの天使とその配下の天使達。


「………これから私は、貴方達に対し、愛ではなく…力の神として指揮をします。…この赤子を地上に返し、散っている堕天使を捕獲して来なさい。」

「…捕獲、でよろしいのですね…」

「……………我の手で、1体ずつ処刑する。」

「―――…、」


堕天した者には罰を、口だけではなく…行動を起こさねば、堕天使が減る事はない。寧ろ、こうすることで増えるとも思える。

神にさえ、正しい結論など出せはしない。

…そして、こうすることで一番辛いのは、愛の神自身だ。

それを、神を見る天使だけが理解している。


  

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