安寧を望む者の話


いつからこんなに、辛く苦しい戦いをしなくてはならなくなったのだろう…

…あぁ、いや…忘れもしない、あの光景。

俺の愛しの家族を失った日。



「吉蔵!お前の見合い相手を見付けて来たぞ!」
「見合い…!!?父さん、いくらなんでも急すぎでは…!」
「何を言う!お前はもう27ではないか!長男が結婚しないでどうする!」
「いや…そうではなくて、失礼ではありませんか…よくも存じぬ女性を貰うだなんて…」
「では!お前は今まで女性と親しくなったことはあるのか!」

真っ直ぐ指まで指され、つい黙ってしまったが…どちらにしろ返す言葉もない…

俺は長身で体格も良く、あまりに話さないからか近寄り難いらしく、頼りにはされるものの、そこまで人との交流がなく大変恥ずかしながら女性経験もない。
自分から気になる女性がいたということもないので、こうしていつも催促されていた訳だが…

この父もまた、1度言い出したら本当に納得できること以外をまるで聞こうとしない…この結婚は既に決まったも同然…正直憂鬱だが、父が選んだ相手を疑っている訳では無い。ただ、勢いのままそんなものを組んでいいものか…


「初めまして吉蔵様」


そしてやって来た彼女は淑やかで可愛らしい印象の女性だった。
半ば強制婚だが、それでも女性を蔑ろにする訳にもいかない。多い弟妹の事もあり、負荷を掛けて倒れてしまわないかが心配だ…できる限りは支えなければ…

祝言は盛大に祝われたが、当の俺たちはなんともめでたい気分ではなかった。


「ん、っほん…!」


その夜の静かな部屋に俺の咳払いが響く。


「あぁ…その」
「えぇと…吉蔵様、どうぞお座りになってください…」
「い、いや…すまない。気にしないでくれ…」
「とは言われましても……」


もう一つ咳払いをして、彼女に背を向けてすまないと謝ってから呼吸を整えた。


「す、すまない……やはり、会ってすぐの女性に手を出すなんてとても出来ない。」
「えっ」
「父は気が早すぎるんだ………あぁ、申し訳ない…こんな事ならもっと父と話をしておくべきだった…本当に失礼な事を…」


壁に向かったままでいた俺の言葉が終わる前に、彼女が笑いだした。振り向いて俺が何故笑っているのか検討も付かずに困惑していると…


「吉蔵様は、私の思っていた何十倍もお優しい方なのですね」

あまりにも予想外の言葉に思考が停止してしまって、動きまで止まり彼女を見詰めることしか出来なくなってしまった。その様子を見てまた楽しそうに笑った。


「正直言いますと、私とっても恐ろしかったのです。こんなに熊のように大きな方…私になんて目もくれず、殺されてしまうのではないかと思っていたくらいでした」
「…!!?!??!?」
「ふふ、 1人で気を揉んで損をしてしまいました!」
「む…む…………?」


しかし、そこまで怖がらせてしまっていたのは事実だなと、再び謝罪をすると真面目だとまた笑われてしまった。そして


「私はとても幸せな妻になれそうだわ!」


心の底から安堵したような、そんな声だった。そう思ってもらえて、こちらも心が軽くなった。俺も彼女も望んだ婚姻ではなかったが、それなりに夫婦というものを出来る気がしていた。実際、親や弟妹達との相性も良く、目立ったトラブルもない…本当に幸せな時間を過ごしていった。

翌年には娘、その翌々年には息子にも恵まれ、非の打ち所もない家庭だった。

それなのに


「…、………、」


何故こんな事になってしまったんだ。
一体なにがどうなってしまったんだ。


娘は3つになったばかりで、
息子は乳歯が生えてきたばかりだった。


父の知人の用事で1日家を開けている間に、何故こんな…こんなに……………


「ぁ………ぁぁ…ぁ、ぁあ………っ」


俺の家族は、大量の血痕を残し、跡形もなく消えた。

家族だけじゃない。
大半の家の人間がもぬけの殻になっていた。

獣か魔物か盗賊か、なんの仕業にせよ、言い様もない感情に支配された。

愛しい人たちの血が染み、もう乾ききっている畳の上で、惨めなほど泣き喚いた。

喉が潰れる程泣いた。

どれが誰の血かなど分からない。

ただ、ただただ…

家を空けた自分の愚かさと、何もしてやれなかった無力さと…


何年、何十年も「自分は幸せな妻だ」と言わせてやるつもりが1日…たった1日、目を離した隙に全て潰えてしまった心苦しさ。

広いこの平屋で、たった1人になってしまった寂しさ。

それからの俺は何も出来なかった。

畳を変える事も、もう見たくない血の跡なのにどうにもできず、食事もままならなかった。

毎日毎日…寝ても覚めても、家を空けた罪悪感で胸が潰れる。

そしていくつか日が過ぎた頃、奴は現れた。


「あっまだ居たんだ」


それは小柄な女の子で、何故かうちの塀の上に立っていた。そんな所に居ては危ないから降りなさいと言った途端、降りるどころか俺目掛けて飛び掛って来た。間一髪で避けるとあの畳の上に女の子がしゃがみこみ…


「すーーー…っはぁ〜〜〜………いい匂い……………」


零れた声色に、覚えがある。


「そんなに大きな身体でどこに隠れてたの?」


これは食卓を囲んだ時のあの…



「君も美味しそうだね…」



───…それからの事を、俺はよく覚えていない。



「  み  ん  な   、  美   味  し  か  っ  た  よ  ! 」



ただ覚えているのは、引き千切れるほどの…



「殺゛し゛て゛や゛る゛!!!!!!!!!!!!!」




    ひ   ど   い     怒   り   。




俺は、我も忘れてその女の子の姿をしたそれと戦った。申し訳程度の剣技だが、持ち前の体格と腕力で押し切って…互角だった。

小さな女の子の姿のそれと…俺が。

ただただ、怒りでどう戦った等は覚えていない…


「…チッ このごはん、つよい…」


俺達を食料としか見ていない瞳に、同じ生物とは思えない程の眼光。

こんな生き物は、きっといてはならない。

日が暮れ初めて、もうすぐ視界が無くなるかと言う頃…俺も奴も体力切れで倒れる寸前…奴は、俺の一瞬の隙を逃さず…右腕を捥ぎ捕って行った。

その瞬間は痛みなど感じずに逃げたそれを追い掛けた…だが、容易に逃げられてしまい、俺は限界でそのまま気絶をしたのか…気付いた時には既に集中治療室。慣れない応戦に付いて来られていなかった身体は…たった半日で悲鳴を上げ、動くことすらままならなかった。その大部分は失血による貧血で、まあ当然だ。腕が無くなったんだからな…

入院している間は痛みにもがき苦しみ、奴への憎悪で溢れていた。
必ず見付け出して殺してやると………退院をして、俺はそのまま…奴を探す為傭兵団へ入った。

戦場に赴き、来る日も来る日も戦った。味方になった人に聞いたり、敵をねじ伏せて何としても口を割らせようとしたが誰も知らなかった。
ひたすら、それを繰り返す生活だった。戦闘を有利にするため腕と剣も新調して朝から晩まで振るい続けた。


「朱黒の狼ってのはテメーか」


そうして突然掛けられた聞き慣れない言葉。

「しゅぐろ…?なんの事だ」
「あ…?違ぇのか?」

違うも何も知らない言葉だ。
判断材料がなく、ここは未来ある者のいる場所ではないと窘めてさっさと次の将を落としに足を進めるが、彼は背後から不意打ちを仕掛けて来た。それを躊躇なくねじ伏せる。

「…粋がらない方がいい。さっさと帰りなさい」

子供が思い付く限りの言葉のような罵倒を受けるが、子供の悪口なぞ今の俺に響く筈もない。

………もう何年こうしているか分からない程戦った。
憎しみで周りが一切見えない。それは絶望。
俺は本当に何年も憎悪に囚われ戦った。
あの青年はたまに出くわしては斬りかかって来たが毎度一蹴していた。

そして1度だけ聞いた事がある。

「小さな少女の姿をした悪魔だァ〜?知るかよンな弱そうなヤツ」

聞くだけ無駄だった。

そしてその次に雇われた軍で、ほぼ壊滅的な市街地を奪還すべく派遣された。


「朱黒の狼…!?」
「朱黒の狼だ…すげぇ、初めて見た…」
「あんな男、この世に存在するんだな…」
「アレがいるなら俺ら何もしなくていんじゃね〜?」


周りは頼りなさそうな、口が達者な奴らばかりだ。

…俺は強くなった。数年前とは比べ物にならない程…そして分かったのは、たった1人で戦う煤のように黒い男、戦火と返り血に濡れた赤黒い俺を…誰かが【朱黒の狼】などと呼ぶようになったと…

全くもってくだらない。大方奪還というのは建前で…本当のところ、邪魔な捨て駒を生贄として送るようなものだろう。

崩壊した家屋の瓦礫の中から微かに聞こえた子供の泣き声がする。それは必死に叫び、父と母に助けを乞う幼い声。

戦場ではよくある事だ。


「朱黒を仕留めれば…俺も英雄だ!!!」
「くだらん」


いつもなら気にならない外野の悲鳴がやけに耳に響いて頭が痛い。

雑魚に構ってなどいられない。

俺は…俺は殺さなければならない……あの悪魔を、どんな手を使っても、必ずヤツの息の根を…………!!!


「———………目を開けろ」


憎悪に包まれてる最中…気付いたら、目の前にあるその存在を守ってしまった。


「もう、大丈夫だ」


その小さな身体を抱き締めて、ただ優しく髪を撫でた。


それは幼い女の子。

その子は何を聞いても、よく話してくれた。
ここへは父の仇を探しに来たと、仇を打つんだと。
小さなナイフを震える手で握って、本当はそんなつもりもないというのに

俺が安全な所に案内をしてそこで待つよう言ってもその子は着いてきて、離れようとしない。


「どんなやつか見たいだけなら、俺の所には大量の兵が来るぞ」
「ほんと…!?」
「だがそれが何を意味するのか、分かるか」


俺の元には、俺を殺しに来るやつがごまんといる。子供1人くらい容易く守れるが、お前が恐怖を覚えないと言う事ではない。
それでも知りたいと言うのなら、着いて来なさい。


「いいのか」
「わたし、しりたい…!」


そう言って、数日の間戦場を共にした。

その子は俺を何故戦っているのか分からないと言った。


「言っただろう…俺は復讐の為だけに戦っている。本来、お前だって助けてやる義理もない。」
「でも助けてくれた!こうやってご飯だって分けてくれるんだから、おじさんはとってもいい人だよ」


いい人…か…もう何十、何百と命を手に掛けた俺には無縁の評価だ。とはいえ相手は子供、聞き流している方がいい。

「それにおじさんがしてくれる抱っこ、すっごく優しくてずっといたいの…」
「…人殺しの腕だぞ」
「ううん……お父さんみたい…」
「——、…」



——…あぁ、分かった。


皮肉にも分かってしまった。


俺がこの子を助けてしまった理由。



…そうだ。あの子が生きていたら丁度、



丁度……………


その子が寝た後、頭を抱えた。

本当に気付きたくなかった。

娘とこの子を重ねたくなどない。

もしこの子まで守れなかったらと思うと、

心臓が潰れそうだ。

頭が割れそうだ。

呼吸も整わない。

ダメだ。

忘れるんだ…

俺は戦わねばならない。


愛しき家族を奪った悪魔を見つけ出し八つ裂きにするまでは———



「死ね!!!朱黒の狼!!!!!」
「——憎悪が足りん。」


そうだ、俺は憎悪の化身。

俺を殺したくば俺を凌ぐ憎悪でかかって来い。

平和ボケして、防衛戦などと抜かす愚かな奴らと一緒にするな

俺は、悪魔を狩る死神になる為に戦って——…



「………お前、」
「はっ……………はぁっ…はぁっ…………!」
「…力が、足りんぞ」
「しゅ…ぐろ…!あんたが…あんたが、しゅぐろの狼……………!!!」


脇腹に浅く刺さったナイフを持つ子供の手は震えていて、それ以上の力が入らず進みも引きもしない。

そして俺の顔を見て叫んだ。


「   わ   た   し   の

お   父   さ   ん   を

 返   し   て   ! ! ! ! ! ! ! !  」



その瞬間、脳が大いに揺れて、

走馬灯のように今までのことが脳裏に駆け巡った。




——死神は、悪魔となんら変わらない。




憎悪で何も考えられなかったのが嘘のように視界が開けた。



「、ひっ…ひぃ…ッ」
「助かりたいなら動くな、叫ぶな…!」
「いやあああああ!!!」
「こら…!よしなさいっ…」


子供の叫び声を聞き付けて次々と兵や魔物が集まる。暴れる子供

ひたすらに戦った。

逃げ仰せようとする子供を庇いながら、必死だった。


「いや…もういやああああ!!!」
「動くんじゃない!離れるな!!!」


その子はパニックで正常の判断ができる状態ではなかった。

ただ、俺から逃げるという事だけを実行している。


そんな状態で、俺は勝った。

全ての兵、魔物から子供を守りきり、俺だけが戦場に立っている。


子供はただただ怯えている。

疲れて逃げられもしないようだった。

蹲って、震えている。


「………帰りなさい。帰れる所があるなら帰りなさい。」


反応しない。


「お前にはまだ母がいるんだろう」


これも無反応。


「…まだ残党がいるかもしれないんだぞ」


近寄り、できる限り静かな声で話しながらかがむ。

そして家に送っていくから立ちなさい、と言い終わる前に…矢が、俺の右肩を射抜いた。

その瞬間、今だといわんばかりにナイフを振り上げ頬を掠め、そのままそれを投げ走り出した。



「ッ………、よせ!伏せろ!!!!!!!」


そう言った時にはもう遅かった。

矢は子供の心臓を貫き、次に聞こえた銃声が頭部を易々と撃ち抜いていった。

小さな身体は、地に落ちた


また、自分は何も守れなかった。


放った奴らも瀕死であった為に既に力尽きていた。


俺は…もはや、怒りを通り越して虚無だった。

子供一人護ってやれない惨めな男だ。

小さな亡骸を目の前にしても涙も出ることは無かった…

彼女を家に送ってやることすら出来ない無力な人間。


…どうして、

いつからこんなに、辛く苦しい戦いをしなくてはならなくなったのだろう…

…あぁ、いや…忘れもしない、あの光景。

俺の愛しの家族を失った日。


心の奥で叫びながらも気付かないふりをしてやり過ごしていた事がある。

毎日自分の首を絞めて早くやめろと言っている自分がいた。


…………分かっていた。

戦い自体が向いていないのだと…

しかし家族の為に復讐をしなければならないと………

家族を理由に、行き場のない怒りを戦争という場で打ち晴らしていただけなのだ。

ああなんて惰弱、なんて子供の癇癪のような衝動だったのだろう?

そんなもののせいで、一体どれだけの数、人間を殺してしまったのだろうか

心臓が痛い。

矢が刺さった肩などどうでもいい、どうせない右腕だ。


そんな事を巡らせながら、その子を抱えて…

愛しの我が家まで帰ってきた。

我が家を目の前にした途端、ボロボロと涙が溢れて止まらなくなった。


————家を、長い間空けてしまったと、突然苦しくなった。


泣きながら庭へ出て、家族の遺品と小さな遺体を棺の代わりの箱に入れてその上で香を炊いた。

前は出来なかった血の染み付いた畳や壁紙を張り替え、隅々まで掃除をした後に…

燃えきった香を縁側に置き、大切な、守りたかったものを詰めた箱を燃やした。

それを………


燃え尽きるまで、ただじっ…と、見つめていた。


全てが、灰になるまで



ずっと……………


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