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塗り固められた偽

気付いた時にはもうあった。

心身共に刻まれていた。

女として産まれた烙印。


「お前が女なんか産むからこんな面倒な事になったんだ!!!」

毎夜聞こえる父の怒声。

「ごめんなさい、ごめんなさいあなた」

殴られて倒れ込む母。

「…おとうさん」

怯えたわたし。

自分が父と呼ばれ、腹の底から嫌悪感をさらけ出す。わたしを床に叩き倒して、腕を踏む。

「どの口が俺を親父と呼びやがった…あ!?お前の父親なんぞ居やしねえよ!!!二度と呼ぶなクソガキが!!!」
「いたいいたいっ…やだ、いたいよぉ!!」
「女が口答えするんじゃねえ!痛いからなんだ、いやだなんててめぇの都合知ったこっちゃねえ!」

痛くて、必死に踏んでいる足を退けようとするけど、当たり前に動かない。しかも触られた事が気に食わなかったのか、腹を蹴り上げた。

苦しい。

「…あなた…骨が折れたら、虐待が世間に出ます…」

母の重い声は、虐待が世に出ることを懸念すると同時に…わたしを殺せない憎悪で満ちていた。…愛されてない事くらい、幼いわたしにだって分かったよ。父は人に見える所には暴力を振るわない。胴体、二の腕、脚中心だった。もちろん顔を殴られる事だってあるけど、痣にならない程度に平手打ちぐらいだ。成長してから頻度は減ったけど、幼いうちは根性焼きもよくされた。性別を偽って人並みに幼稚園も小学校も行った。正直家よりこっちの方が好きだった。誰もわたしを理不尽に怒鳴らない、殴らない。多分、人並みに友達も居た。

「スオウ!今日吉田んちでゲームしようぜ!」
「行けないってば、おれんち門限キツいっていったじゃん」
「ええ?だってこないだお前の弟暗くなるまで遊んでたぜ?」
「あー…うちの人、あいつには甘いからなぁ…」
「お前んちも大変だなー!じゃあまた明日な!」
「おう」

"俺"だって遊びたかった。でも学校以外で長時間外に出て性別が公になるのを母が恐れて、帰りが遅いとヒステリックを起こす。そしていつも吐き捨てるように言うんだ。「あんたさえ産まれなければ、こんな事にはならなかったのに」「私の幸せを返して」…そう言うんだ。

…幸せってなんだよ。あんたらがそうだから、俺はその"幸せ"を知らないんだ。何が幸せなんだよ。食べ物をやるだけでも有難く思えって、ただ俺が痩せ細って虐待がバレないようにしてるだけの癖に…俺はもう小学校の給食で、普通の食事には皿があるって知ってんだぞ。全部床に投げ捨てる癖に。髪だって真っ白だ。ストレスで脱色した。母はそれを「元々白かったのを今まで染めていた」って嘘を吐いた。

「なあスオウ〜、お前っていつもプール見学だよなぁ」
「オレお前と泳ぐのぜってー楽しいと思ってんだぜ?な!次は出ろよ!」
「ごめん、俺そもそも水着持ってなくて…」
「えー!?授業あんだから買ってもらえよー!」
「そういう訳にもいかなくてさぁ…」

言い訳を考えるのだって大変なのに。
みんな弟はいいのに俺だけ出来ない事が多いって、そんなのおかしいって言ってくれる。あぁ、何も知らない友達だから言えて…何も知らないから俺を男友達として仲良くしてくれる。それでも嬉しかった。

「スオウくん」
「なに?」
「…!あ、あのね!こ、これ!あげるね!じゃあ!」
「えっ ちょっと、」

中学になって、女の子から声をかけられるようになった。

「スオウくんあの…数学でね、教えて欲しいんだけど…」
「どこ?俺に分かるとこだったらいいよ」

勉強とか、結構頑張ってるから成績はいい方だった。他の男子とは違うって、女子がよく物事を聞いてくる。次の教科なんだっけ、必要なものあったっけとか…それで男子が茶化して来るから察しは付くけど…

「好きです…」
「…」
「スオウくんが好きです!付き合って下さい!」

付き合って絶望するのはそっちなんだ。お願いだから分かって。告白しないで。

「………ごめん…」
「どうs………」
「ごめん…俺、麻井さんのことは嫌いじゃないし、かわいいと思うよ?でも…でもごめん…うちの事もあるし…大変だから…その、ごめんなさい」

ただの罪悪感だけならいいのに、騙してるっていうのが怖くて、いつも後から言われる。「すごく悲しそうな顔でフラれた」って。男子には「この女泣かせめ」とからかわれる始末。うるせえ俺も女なんだから仕方ねえだろ。男だと思って付き合って女だって発覚したら相手はきっと「騙したな」ってだろう言うし、バレたら父と母がただじゃおかない。「この出来損ない」って…あぁ、息苦しい。

「喉いてえ…」
「うわ…風邪か?移すなよ?」
「ゴホーッ」
「ぎゃあ!やめろよ!?」
「ヘヘッ 風邪じゃねえよ、多分声変わり」
「…あっ ああーなんだそっか…」

や べ え 。

「スオウもさっさと声変わりして早くイケボってやつになれよー!」
「はあ!?どういうイミだよ!」
「だってお前顔も声も女子みてーじゃん」

…いや、普通にショックを受けた自分が悲しい…声は無理しない程度に低くはしてた。それでも女子みたいだって言われたらもっと低くするしかなくなる。でもそんなの、喉がもたなくて会話をしてられない…慣れかなぁ…できる範囲でなんとかするしかない。でも、その"出来ない"で文字通り痛い目に遭うのは自分。誰の為でもない、ただ、自分の身を守るだけ。

守る…だけ…

「き…きゃあああああ」
「なんだお前その顔!!?」
「えっ…顔?」
「そのでっけえ傷だよ!」

みんなが驚くのは無理もなくて、俺は昨夜、泥酔して包丁を持ち出した親父に殺されそうになった。

「あぁ…これか」
「大丈夫…!?スオウくん、病院には行ったの!?」
「病院行くほどの事じゃないよ…ちょっと昨日、大学生くらいの人に絡まれただけだから」

酒で暴れ回る親父は寝てた俺を引き摺り起こして、本気で殺す気だったんだと思う。泥酔してた親父の包丁は刺さりはしなかった。切れたけど刺さりはしてない。だからなんとかなった…顔以外は、隠せる範囲だったから。でも、それ以来眠れなくなった…いつ親父が殴り込んで来るか分からない。すごく眠いのに、うとうとはするのに、怖くて眠れずに、結局気付いたら朝。完全に、不眠症だった。

…中二の夏休みは、親と弟だけで旅行。家に残された俺は黙々と宿題をして、ご飯はひたすら玉子焼きと素麺を食べてた。それ以外に出来ないから仕方ない。なにか考えようにも、俺には最近よくあるレシピが沢山載ったサイトとか、見る手段がない。冷蔵庫にもそれしかない。

…夏は嫌いだ。暑くて、汗が傷に滲みるから。

「…卵、買わないと…」

夏休みっていうのは楽しいイメージがあるけど、俺にはそんな楽しいことは無い。暇を潰せる携帯も、ゲーム機だって俺には無い。やる事と言えば宿題と家の掃除、低い声に慣れる発声練習くらいだ。心底つまらない。誰も居ないから、普段よりは眠れるけど一時間も眠れない。結局、一番の暇潰しは宿題。だけどそれももう終わってるから本当にやる事が無い。とりあえず卵買いに行かなくちゃ

「スオウ!」
「ぅえ…!?」
「ホントに居ただろ!?ドッペルゲンガーじゃないだろ!?」
「ちょ…なにして…」
「オレの母ちゃんが近所でお前っぽいの見たって言うから探してたんだよ!」
「俺っぽいって…」
「旅行って言ってたよな?もう帰ってたのか?」

こんな状況で出くわすとは思ってなくて、言い訳すら思い付かなかった。「まあいいや、来いよ」と引っ張られて、近所の裏山に入って行った。一体こんなとこに何があるんだ。

「ほら見ろよ!」
「…、」
「小学生ん時からうちの親父に手伝って貰って作った秘密基地だ!」
「…すっ…げえ…!」
「だろ、だろ!?ぜってースオウも好きだと思ってた!なっ 入ろうぜ!」

色んな不安も吹き飛んだ。川の近くの木の上に、小屋が建ってて…はしごを登って中に入っていくと、既に物が散乱してて…

「これ!この漫画面白いんだぜ!気になるって言ってたろ!」「ゲームいっぱい持ってきてあんだ!オレのゲーム機貸してやるからやってみろよ!」「お菓子もあるから好きなの食えよ!あんま食わして貰えないんだろ?」

学校じゃない場所で友達の声がこんなに聞ける。それだけでも嬉しくて、なのに小学生の時に言った事を覚えてて…でも、そもそもなんでこんな俺と友達なんてやってんだ…?他の奴と遊んでた方が絶対楽しいのに

「ちょ、むずっ えっどう倒すんだこいつ!?」
「これでもイージーだぜ!」
「うっそだろぉ!?」
「でもそれ確かにゲーム慣れてねえとムズいって兄ちゃんが言ってたぜ!なあスオウこっちもやってみろよ!」
「それは?」
「ロボット同士がバトルするスッゲーやつ!」
「あ、じゃあやる前にお菓子食おうぜ!スオウ食いたいのあるか?」
「えっ、えーっと…じゃあチョコ…ってやつ」
「チョコも食ったことねぇの!!?」
「お前んちやっぱおかしいって!」

多分これが、他愛ない普通の友達との遊び方なんだろうな…楽しい。うん…すごく、楽しい…

初めて時間を忘れて、暗くなるまで遊んだ。

それでようやく家に鍵をしてない事を思い出して、俺は走って家に帰ってった。誰も居ないから出来た今日のこと。すぐじゃなくていい、またああやって遊びた…

「どこ行ってやがった」

あれ…

「鍵もしないでこんな暗くなるまでどこに居たのよ」
「、なん…今日じゃ、なか…」
「ご近所さんから旅行に行った筈の栂咲さん宅のスオウくんが、その辺歩いてましたって連絡があったのよ」
「それも大量にだ。それでてめぇを回収しに旅行を早く切り上げるしかなかったんだこっちはよぉ!!」
「、ぐぇ」

苛立った親父に胸を蹴り飛ばされて、ブロック塀に背中を思いっきり打ち付けた。外だっていうのに、それだけじゃもちろん腹の虫は収まらなくて…アスファルトに投げ倒して殴った。何度も、何度も、何度も

「クソが満足に留守番も出来ねぇのか!!!」
「ごめんなさい!ごめんなさい!!」
「中坊にもなって何考えてやがる!!!!」
「ごめんなさいッ…!許してとうさn」
「何度言ったら分かる!!!!!」

『俺を親父と呼ぶな』

感情のまま、俺は顔を殴られた。ここは外だと、母が止めに入ると、俺は家に引き摺られていった。いやだ、いやだ、助けて、たすけて…!

「い゛やだぁああ゛!!!」

俺はただ遊びたかっただけなんだ。
普通に、生きたかっただけなんだ。
普通に愛されたかっただけなんだ。

「次の学校までそこに居なさい」
「やだ…いやだ、かあさ」
「ふざけないで!!!貴方の母親なんてこの世界にただ1人だって居やしないのよ!!!」
「だし、て」
「誰があんたなんかの我儘なんて利くものですか」
「こわいよ…いやだよ…!」
「うるさいわね…!物置なんだから水くらいあるでしょ!死にゃしないわよ!!!」

俺は…俺は努力したよ。愛されようとしたよ。でも何も、何も認められない…外で絶対傷を見せないように年中長袖長ズボン着て、学校ではみんなにバレないようにちゃんと笑って、勉強だって、運動だって頑張って、ちゃんと、男になろうとしたよ…? それなのに、それなのに父と呼ぶことも、母と呼ぶことすら許されない…羽音で気を引く虫の方が視線を得られるなんて、あぁ…どうして、どうしてこんな事になるんだろう?声を上げて泣いても、防音の整ったこの家でどれだけ叫ぼうと、誰にも聞こえない。誰にも、気付かれない。誰か助けてよ、誰か気付いてよ。わたしは地下の倉庫に居るんだ。ねえ誰か…それか、もういっそ殺してよ…おねがいだよ、おねがいだよ…

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