flowers〜再発明されし兄弟らによせて〜

「皮肉だね、悪党の血の方がきれいな花がさく…」
とはレジェンド漫画、幽☆遊☆白書の名台詞である。このセリフには大きく2つの読解り筋がある。

①致死性の種を植え付けるという残虐な攻撃には罪悪感を伴うが、悪党が相手ならむしろ、ざまぁ。冷徹をもって花を堪能できる
②魔界植物というファンタジー都合込み、悪党→実力以上に好戦的→栄養源となる妖力の融点が低い傾向。みたいな?疑似相関なりの客観的事実がある

①の場合、ざまぁと感じてしまう自身の悪党みが皮肉の特異点と見える。②の場合はわざわざ悪党に対して美しい死に花を添えてしまう皮肉が際立つ。
どのみち、悪党のくせにきれいな花ってんじゃねえよ式に死者をdisってしまう流れなため、49日だか75日くらいは哀悼しておくのが我々にとって無難な態度と言えそうだ。(死者より噂のほうが保護されてね?)


言うて、人質とられたらそのくらいイラつくのも仕方ない蔵馬氏、物語終盤では再度(似て非なるシチュエーションで)人質とられる閑話休題。
結局は苦し紛れの戦法であってリスクリターンが合わない。人質作戦ごと囮なら普通にだるい。さらに奥の手を持たないでくだしあ。



以上を枕に、大きく2つの通説集合がある。
ひとつは、いわゆるクズモテ説。果たしてクズ人間の血の方がモテの花がさくのだろうか。


あんなやつがモテてむかつく。という嫉妬バイアスを除外するに本来、幸せならオッケーなはず。てか、あんなやつとくっつかなかった世界線を長い目で見てみたら、こじらせフェミ爆誕してた☆なんて妄想も取り得るっていうかそれ現実に割とある。
49日だか75日だかは祝福するからリア充ゆっくり爆発していってね!俺のほうが先に好きだったあの子がリア充に転生したら最推し単推しオールインで爆滅した件。泣きっ面に塩を踏んだり蹴ったり、非モテのチンポ自己責任すぎだろ!(意味不明)

こう、仕事に遊びにくつろぐリア充に比較して、非リアにしか悲劇の花を咲かせるモチベがないとはよく言われるもの。シマネキ草がおハーブですわ⤴︎
ただのシマネキ草など、よほど大量に枯らさないと肥料にもならないが……


なんか著名なエビデンスとして「犯罪者の方のうち加害性の強い罪状はやけに婚姻率が高い」という統計があるっぽい。
個人的には、あくまで統計的傾向であって半分くらいは疑似相関っぽい希ガス

・安定した社会生活してたら自由恋愛する余力ないがちだけど、出所後とかかなり暇そう
・一般社会に対して互角にアクセス可能な娯楽が自由恋愛くらいしかなさげで、集中が桁違い
・何らかの対人関係で心理的基盤を得られるまで再犯ガチャに回収されがち的な生存バイアスあるくね?
・衝動性や依存心といったものが積極性や親切心として作用するのではないか?という仮説については別に「法律上の」犯罪をしない方にも当てはまるくね?それって確信バイアスくねくねくね?


でも、残り半分ほど直接的な因果あると思う。
リソースの多寡よりむしろ、全体化がやばい説。

今楽しければオッケーですし、拗れたり反対されようものは捨てればいいし、物足りなければ好きなだけ追加すればよかろうし、いよいよダルければ逃げるがヨリドリグリーンで夢がひろがりんグリーン。
長らく、通年の発情期が生存上不利でなかったなら、暇さえありゃ接触しとくのが適応的だったと類推できるよう、生殖成功率と子供の生存率とはザックリ相殺するのか未だに、自由恋愛を直接的に制限する法令は(年齢を逆詐欺されるパターンとかしか)ないっぽい。

結婚前提とはいかずとも持続的なパートナーシップが望ましいし、もし別れても拗れなさそうな感じで、やっぱ自慢したいし応援されたいし……などとバーチャルLGBTするほど恋はインフレーションしてしまい、図らずもクズモテ風潮をより強めてしまう皮肉がよく示唆されるところ。
弱肉強食から適者生存を差し引き、植えるか植えられるか飢えるかwelcomeという原則論上においてクズモテ説は成り立つと見るに、やはり有機物どもは化学レベルで淫らなんよ。男は黙って無機。
(なお鉄すら歯周病菌とかに食われる模様)


付け加えるなら古くより、一盗二卑三妾四妓五妻(今風ならヤンデレメンヘラメスガキ?)とあり、インモラルな関係ほど共にテンアゲなり。と伝えられる模様。
クズモテ説が偽であれ、悪党自身にシマネキ草の種を直結するならば気持ちェ↑花がさくようだ。そん代わりだいたい死ぬけど。
(蔵馬氏も作中において自分に植えて相手だけ殺してるあたり冨樫仕事しすぎだろ)



どうも釈然としないなー。というところでもう一方のフラワーアレンジ。
作者と作品は別であるか論争。

よくある、作者不祥事による作品自粛は適切か問題ってのは大概が、とばっちりを恐れた関係者の緊急避難に由来してそうで、作者と作品との関係性からはかけ離れた議論に終始。
ザ・ハシゴ外しに加えて「原告は二次懲罰を求めている」みたいなアフレコみが発生するし、もちろん販売機会も喪失う悪手っぽいけど株主か誰かを忖度せざるを得ない自粛要請かなー。

他方、ファンにとっては割と死活問題。え、クズの作った作品を楽しんでた自分はクズ??(むろん作品をdisると後ろ指めんどいし作者を人格攻撃したいだけ勢および遡及的無罪になりたいだけの陪審ファンはクズっぽい)
ここはゲリラ命題の起点として避けては通れない道。俺も予防線貼りたい(その苦悩を少しでも和らげたい)もん。同人誌の片隅で誰かの罪を告白されるように。


もし、悪党の血の方がきれいな花がさく…のなら、やはり植えられる側は悪党でこそ望ましいのか。
作品は作品であると割り切れる人でないと(コンテンツを扱うのは)難しいのか。
だとして、どこまで割り切ればいい??
タレント、アーティスト、ひいては人類。成功者の一般傾向が悪党であるなら既に自明であり、悪徳は果てしなく乱れ狂うのか。創作行為は自由恋愛とは桁違いの末法地帯で、悪意の増殖は悪党にも勝るのか。


傍流に、いわゆる作品は排泄物orわが子対立があり、それを俺流に言い換れば作者こそがティッシュorコンドームで、つまるとこ創作ってば煩悩が煩悩を呼ぶ単為生殖?という疑惑もまろび出る。
更に言えば、広義の著作人格権は作者も作品も超えて跨ってね?うんこに価値を与えるのは消費者とかだし、少し親離れするだけで二次創作的解釈も作品のうちだから損なわれたイメージは不可逆に思春期と加速するくね?

またAI作品は、集合意識の上澄みを母体とした非嫡出子だが閾値を超えてサジェスト汚染に至ればGoogleとかが捻り潰すレモン。ライガーのよう一代限りの命は親権者不明であれ中絶されし神隠しの宿命。
我々は友がらを喪うときテンポ正しく、握手せざるを得ない今楽しければオッケー、拗れたり汚れたらばポイ、消費しきれないほど無数で、尚にも癒えないなら遺伝子など組み換えてさらにおいしくなりました!

大きく育てるならハウス栽培か。どうにも尋常ならぬエキセントリックをこそ編集やプロデュースで整え、お花屋さんケーキ屋さんに卸せば腐っても自転車ライクのメイクは捗る調教ごり押す利益率。
今風なら有機栽培に雰囲気整形、才能も意欲すらない奴もスカウトしておけば加速させてパチンコ玉に。善性だけが取り柄の志願兵は映えロハス風の演出で塗り潰して隙間に捻じ込めば凡才の盆栽に。


一切合切は搾取か軍事かプロパガンダに行き着くから俺、喋るの好きくねーんだ。少なくとも愛って概念イマイチわからんし。作者がどれほど平和とやらを切望もうと、買い叩かれ転用されて用が済めば改造被験体となる。
こんなに不景気だって夢はインフレーションして暴落して資本家が肥えてスタグフレーション。淘汰圧って保育器の時点で胃ろうに繋げられていないと生きられないほど悲しいけど過当戦争だろうが1Fビタで認知。

ティッシュもコンドームもうんこもわが子も所詮物質に過ぎないなどと供述する俺系ポンコツにとって、作品自体に主体的意思はないのだから作品は罪を犯しようがない?そして、作品に対しての罪を犯しようがない?
こういった怪文書めいた泡沫コンテンツであれ凶器に認定されれば作品自体も罪を問われ、なんなら被疑者より重く無期ゾーニングまである。やっぱ作者と作品は別でありながらトートロジーのニコイチじゃん。

両者の遺伝的近似こそが愛?より強く生きられる何かに託すことが愛?誰かを病ませようが燃えようがマルチポストすべき?誰が何と言おうと信じ抜くべき?換金性や政治力を持たせられないなら産む資格はいかなる修正的結果論であれ同じ収束だとわかり切ってる。
ただ脳裡に活ければよいものに形を与え、いじり回して公開し、評価されて拡散されて、歪んで腐るほどに気持ちェ↑花がさく…盗作を下請けに換金させた盆栽の風情にリア充必爆の理をあらはす。幻滅で適正価値になれば愛でたい程度の能力でママちゅき。


せめてインプットを大自然に限定すれば煩悩ごと逓減して下方硬直できるはず、だったのに人生が長すぎたせいでもはや物質ぜんぶクズに見える飽和。
逆に考えて、何をどうしようと情報値0なため多少は無敵。『あ、お花だぁ お花がいっぱいくそぼけ』とは、咲かせれば多少ざまぁであると同時、死に花を与えてしもうてぐぬぬ。つまり、俺もぽまいらの仲間だぁ〜って意思表示だくそぼけ。知らんけど。単にミソジニーとかかもしれん。


こうして、冠婚葬祭ぜんぶ抜いてみた。そこにはド底辺の噂話。無数の不発弾からは、クズ未満のうめき声が末永〜く、響くのでした。愛でたし♠︎愛でたし♡

こうして、今回は完全手遅れ時の希望として純粋直感が残った形だ。ガチ孤独は(人手不足なため)裁きようがないために内心の自由とお茶を濁すのだろう……

こうして、細胞各々は手前勝手の利害を追い、総体として生命を模すのが作品。作者は頭脳であるにましてや、流通や消費者は自律神経に従う。水や空気は絶対条件でありながら、したたかな世論として臓器の取り引きチャンスを窺ってもいる。

こうして、作者も作品もテセウスの船。今にも何かと入れ替わってしまった。0親等の契りすら移り行くなら言われずとも推せるときに推している……『ブッ推した』なら使ってもいいッ!もちろん使わなくてもいいッ!ウチ、死んでも許さんやで〜

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