そんな程度で自称するとは片腹痛いが彼らを端から捨てて行くと誰も居なくなる

 

例えばガッコのセンセイとか。

所詮は上層部が自分達に都合のいいのしか採用しないから偶さか出来が良いか外圧があったとかじゃないと何かあったときに自分達に累が及ばないようにとぼけてくれるか責任とって首を括ってくれる者しか居ないのは自明だと思うぞ普通に考えれば半世紀も前ならいざ知らず昨今なら。


今なら首長とか政治家のセンセイとか。


例えば自動ナントカとか。

所詮は誰かの設計なわけだ。 大概は電子がそこを右に行きたがることを知りもせず知ろうともせず望んだとて知ることも叶わない程度で設計とかエンジニアとか自称する、誰かの。



ときに、このネタの切っ掛けとなった事象について少し。


つごう 15 年もがんばってくれたお気に入りの洗濯機がダダをこねたのでお別れをして新しいのを選択した。


しばらく使って、あることに気が付いた。

いわゆる全自動洗濯機というのは排水が終わって脱水に移る際にさてこの後全力で回していいか確かめるという処理が入る。


この新しい東芝は洗濯物が偏ってた場合に再度注水して少しだけ回して排水する、という処理を挟んでくる。


ダメなら何度も何度も、延延と

だ。

何回目かで気がつき手ごねするとかしてしまうから分からないがもしかするとこの世の終わりまで繰り返すんだろうか ?



電子の気持ちを分かろうともしないできない者が客の行為や都合を想像するできるとは思えない。

こんなもんなんだよ昨今の製品は。


焼け野原にでもならなきゃ軌道を変えることはできないと私は思っているしもう何か働きかける気力も残っていないし記録が残っている人類史の範囲でも何度も繰り返しているジンルイの浮き沈みが一回増えるだけくらいにしか思わなくなってるし。


マークが言った有名な言葉を額に入れる方もいるみたいだけど web サービスに必要とされる思慮とキカイに必要とされる思慮の最低線は次元が違うのです女と男くらいに違うのですたとえ同じソフトウェアと称したとしても。



たったそれだけのことと私は思っていることすらしなけりゃセンセイも自称エンジニアも掃いて捨てるほど居るから掃いて捨てたいけれど端から捨ててゆくと殆ど居なくなって社会が存続できなくなる。

酷いのは捨てるとしても残った者で何とかなるように組み立てるしかないのと世の中そういうものだと認識して相応の付き合いを考えるしかないということは分かっているのかな ?


困るのはいつだって客で子供達で国民なわけだけど少しだけ長い目でみればそうしてきたのは少し過去の自分たちなわけで、望んだとおりになったんだから喜ばなきゃいけないわけですよ。

ワクチンが無いのも自動運転で誰が死ぬのも。


そんなところまで考えなかった、とはまあ皆さんが反論する第一声だと思うけど好きなようにする自由には結果を担保する義務がセットになっていることはお忘れですか ? 恋愛だけでなく。


誰を責める前にもう少しだけその首の上に載っているカボチャを働かせてくれるとアナタも私ももう少し幸せになれると思います。

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