私ってば

 

もしかして HSP なの ?


何かの拍子に知らない言葉(HSP)が画面に出てきたので いろいろ見てみた。

医者が書いている ガイダンス的解説は どうも 「自分のところに来てね」 感が強い気がして参考にというか当てにできない。 そもそも HSP とやらが必ず単独で存在する訳じゃあるまいに。

属性 4 つのみならず Wikipedia の当該項(当時の|今は書き換わっていて属性云云は書かれていない、@2023/4/10 追記)で言うなら " 属性・特性 " の全部が見事に当てはまって気持ち悪いくらいだけど 今は取り立ててというか何も困ってはいない。

基本的に 20 代の後半くらいからは何かを犠牲にしてでも素の自分を生かす方向で生きてきた。 それこそが自分の存在意義だ、と。

カッコ良く聞こえるかも知れないが結果として最初の結婚は破綻し親権は持って行かれた。

特性を変えられなくて社会生活上で困る部分が いくつか判明してる。 条件は把握してるから自分の外側を調整しても回避できないと思ったらスパッと諦めるようにしてる。 これが病まずにできるようになったのは 35 歳を過ぎたころか。

誰かの念が近くにあるとそれに同調しようとしてしまうので体調や寂の程度や念の位相などが原因で遮蔽ができないときは こちらが逃げるしかない。 だから深い集中と広大なアタマの作業域を要する(仕様の策定みたいな)仕事は定時後か休日だった。

これはこれまで誰にも言ったことがない。 信じてもらえるとは思えなかったから。

卒業後に とにかく家を離れたかったのは母の念が私のシールドを通り抜けるから、だったのか ?


いろいろ気づきがあったのは収穫だ。 もっと早くに知れていれば違う人生だったのかもだが 今が安寧だからソッチは茨だと思うのが仏教哲学である。

ハタチくらいの時の私の知力では理解はできなかっただろうし。

もろもろに合掌。 もろもろに謝意。 皆さまにも安寧あれ。

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二伸

このところ 「アタマのなかの言語」 を 「私のニホンゴ」 にしたあとで 「普通の日本語」 に変換しさらに 「平易な日本語」 に変換するという作業を強いられていました。ww

何だか 久しぶりに自分の言葉で書いた気がします。 ちょっとすっきりしました。 あはははは。

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