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#私の旅行記 エルパソで国境パトロールに捕まった(9)

私の事聞いてくださいシリーズ

出発:1980年6月30日大韓航空 
成田発ハワイ経由ロスアンジェルス行き
23歳女性。一人旅。初の海外旅行。
目的:振られた男を忘れる。
願わくば当地で職を得る。
総額費用:50万円。
定時制高校当時から貯めていた預金全額。
費用詳細:航空券往復18万円 
日航やアメリカの航空会社はこの2倍はした。
グレイハウンドバス
1ヶ月乗り放題周遊券7万5千円(342ドル)
為替レート:1980年6月1ドル226円
トラベラーズチェック1000ドル 約23万円
残金:小さな手土産代

(前noteからのつづき)
バスが止まった。
警官が乗ってきた。

出身地は?
日本です。
パスポートを見せなさい。
パスポートは、バスのトランクルーム
に入れた荷物の中です。
バスから降りなさい。

エルパソ国境パトロールの警官は
バスの運転手にトランクルームから
私の荷物を取り出すよう、
要求した。

満杯のトランクルームから
私の荷物を取り出すことを
諦めたバスの運転手は、
一言、二言、警官に
呟いて、バスを出発させる。

私は、ただ一人、荷物なしで、
その場に、警官と共に、
置き去りにされた。
あたりには人家の灯りは見えない、
アメリカとメキシコの国境付近。
暗い平らな荒野。遠くの低い山を、
大きな月だけが照らしていた。
夏の夜の快い微風が頬を通り過ぎた。

国境検問で停車中だった
2台のグレイハウンドバスは、
同時にヒューストンへ向かって出発した。

バスが走り去った。その跡には、
誰もいないはずの、その停車場に、
彼が、呆然と、立っていた。

~~~~~

サンフランシスコ滞在。
9月になっていた。
私の法的滞在期間は既に終了。

所持金が尽きた時が出国日に。
そう長くはない。
でも、できる限り長くいたい。
残りたい。

実は一目惚れだった。
前出の遅れてきたヒッピーさん。
そう、フィル氏のこと。

ある日の夕方、街歩きを終え、
シェアハウスに戻った。
リビングからピアノ演奏が、
誰が弾いているのか?
ホゼ氏ではないはずだ。
いつものサティでないから。
では、?

リビングの薄暗い照明に包まれて、
フィル氏がピアノを弾いていた。
数日前聞こえていたピアノ演奏は、
フィル氏だったのだ。

「彼のような人が、
毎日私のそばでピアノを弾いてくれる」
憧れた。それが二目ぼれとなった。

そうそう、前出のパウンドケーキ、
テーブルの上に置いたのも彼だった。

私は用もないのにキッチンへ。
リビングでピアノを弾いている
フィル氏に私の存在を意識して
欲しかったから。

でも彼はキーボードから
目を離さなさず、ピアノ
を弾き続けた。

隣の部屋にフィル氏がいる。
それだけで、胸がドキドキ。
物音が聞こえれば、
何をしているのだろう?
彼への想いが増していった。

二目ぼれ後、
時間はそれほどかからなかった。
フィル氏との会話解禁。
彼を慕う私の気持ちが通じたのか。
寡黙なフィル氏は、
心を開いてくれたようだ。

出国する前にもう一度
プロ野球が見たい。
私はひとりで、
キャンドルスティック球場へ。

サンフランシスコジャイアンツ
対ニューヨークメッツ。
1日目の試合を見て、
メッツのMazzilliのファンに。
だから翌日の試合にも行った。

その日私は、ホゼ氏のお母さんの
再婚パーティに招待された。
野球観戦後、シェアハウスに戻ると、
すでに10数人が集い、
新婚カップルを祝っていた。

パーティは長々と続いた。
主役の新婚カップルはすでに退散。
残っている人たちは私と同年代。
各々話し相手をみつけ、
おしゃべりを楽しむ。
流れる音楽はジャズ、ロック、
フォーク、パンク、ソウル等々。
とっかえひっかえ、誰かが、
棚の数百枚のレコードコレクション
から選んでLPに針をおとす。

私は大胆にでた。
酔ったふりをして
フィル氏の隣に座り、
彼を質問ぜめにした。
私の拙い英会話力。
彼は忍耐強く、対応してくれた。
アメリカ映画の話題で
話はつきなかった。

その夜、フィル氏と私の距離は
急速に近くなった。

持参した千ドルのトラベラーズチェク。
ついに残金100ドルチェックだけになった。

帰国するしかない。
サンフランシスコ以外
の土地を見てみたい。
と私は呟いた。
そばにいたフィル氏は、
「来週弟の結婚式の出席のため
ヒューストンに行くけど、
一緒に行きませんか?」

続く

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