自分のかかわる子どもたちへ

自分のかかわる子どもたちのことを笑顔で語る人がいい。
そこには愛が溢れている。
愛おしいという訓をあててもいいのかもしれない。
愛しむという訓をあててもいいのかもしれない。

おそらく,かかわる子どもたちにもその笑顔は向けられている。
そして,その愛を子どもたちも感じている。
言葉はなくとも,身体はいとおしまれていること,いつくしまれていることを感じているはずだ。

一方,
この方法論を使えば,子どもたちは話を聞く。
脅して威して嚇していけば,子どもたちは素直に話を聞く。

そんなかかわり方は,かかわるということではないのではないか。
そもそも,かかわるということはどういうことか。

かかわるということを問い続けること。
昨日読んでいた本の竹田青嗣の言葉を援用すれば,
本質を探し続けることのみが,
かかわるということがどういうことかを教えてくれるのだろう。

上條晴夫は著書の中で,
教師の決めゼリフを工夫することを提唱している。

とりあえず私が今かかわるということを決めゼリフにするとしたら,

まずは,自分を大切にすること,
そして,身の回りの人・もの・ことを大切にすること,
それから,その大切にするものの半径を広げていくこと,
そうすることがかかわるということだと伝えたい。

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