見出し画像

お弁当の日

  自分でお弁当を作って学校で食べる『弁当の日』が浸透中なのだそうだ。香川県の中学校長竹下和男さんが提唱して10年になるという。39都道府県の約600校で実施したそうだ。県内ではJTグループも推奨しているとか。竹下さんはその成果について、「食事を用意する親の気持ちが分かり、親や食材の生産者など作る側に感謝したり、親も子供の成長に気づき、家庭の絆を強める」と言っているそうだ。
   毎日お弁当を作ることは大変なことだが、月に1度とか週に1度ならばできるのではないだろうか。何を入れるか、自分の食べたいもの、彩り、さらに栄養にまで考えが届くようになったら素晴らしいと思う。米1粒でも1年かからないとできないということ、それを作る人がどんな苦労をしているか考えていくと、お弁当箱の隅についているご飯1粒でも捨てることにためらいを感じないはずはない。
   私は、白いご飯を食べられない生活を経験した。農家にいてなぜなのかと思うが、『米がない』という現実からしか出発できなかった子ども時代には、ご飯の中に何が入っているかが大きな問題であった。じゃが芋、さつま芋、南瓜のご飯はおいしかった。麦や大根は食べるのが辛かった。麦は今市販されているきれいな押し麦などではなく、自分の畑で特った麦の殻をむいて煮て柔らかくしたものであり、大根も独特の甘ったるい匂いが鼻につく。息を一杯に吸って、急いで食べて飲み込むような食べ方をした。それでも食べられるだけいい、というような時代だった。だから白いご飯に色とりどりのおかずを詰めた現代の子どものお弁当など考えもつかなかった。苦しい時代の経験があるからこそ食に対してはいい加減にできない想いがある。頂きものの野菜一つも、ただ捨てることはできない。豊かな恵まれた生活が当然の現代の子どもたちに、食の大切さ、それを支えている親、生産者の想いが、お弁当作りを通じて少しでも伝わればと思う。
                       (H22.3.19)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?