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目ばかり手ばかり

「友達の家で料理を作ろうとしたら秤がないので、<にんじん50g>はなんとか検討を付けて切ったけど、<塩少々>が分からないのでスプーンに半分入れたらしょっぱすぎた」という話が出ていた。家に帰っておじいちゃんに話したそうだが、おじいちゃんは「目ばかり手ばかりを覚えると便利だ」と教えてくれたそうだ。[少々]は人指し指と親指でつまんだ量、[一つまみ]は3本指でつまんだ量と言われている。卵1個はⅯサイズで60g、キュウリ1本は100g、大根200gは約1/5本だそうだ。刻んだ野菜は、まな板の上で片手で隠せる程度ならざっと100g、両手ならば200g見当だそうだ。
  自分に合う食事量は、ご飯、麺なら両手に載る量、火を通した野菜なら片手に軽く山盛り、魚の切り身なら片手に載る大きさだという。
 手のひらや指を使って10cm、20cmを測れるようにすると、布の長さなどを測るときに便利だ。両手を広げた中指から中指までの長さは、その人の身長と同じというのも聞いたことがある。身長が縮んできた私は、身長が縮んでも手の長さは同じなのだろうかなど、余計なことを考えてしまう。
 おばあちゃん子だった私は、小さい頃から祖母の料理する姿を身近に見てきた。昔は手近なところに秤などなかった。秤で量るのは、大きなものか重いものをはかるときだけだった。祖母も秤など使わなかった。それでも食べられない味だったことは一度もないので、それを当然のように思っていた。私も材料や調味料を量るようになったのは、家庭科の調理実習の時からだと思う。料理も長い間作っていると、計量器を使わなくても一定の味に仕上がる。忙しいときなどパツパツと調味料を入れて、そのままテーブルへということもたびたびある。「適当な味付けだから」と言い訳を添えて。食べる人たちは、「適当に味をつけて適当な味になっているのだから素晴らしい」と言ってくれる。それをいいことにして、未だに「適当」を続けている。
 ただお菓子だけは計量器に頼らざるを得ない。なるべくなら目分量でもそれなりに量れれば、と思って、「100gは大体これくらい」と思う量を量ってみる。多少の違いがあっても殆ど同じ、というときは嬉しい。自慢するようなことでもないが、「よしよし、よくできた」と自分をほめて満足している。小麦粉100g、砂糖100gと秤なしで秤取れたら最高だが、なかなかそこまではいかない。ペットボトルの蓋は1ccと計量できるそうだが、まだまだ身近なもので計量できることが分かると、料理ももっと楽しく簡単にできるようになるかも知れない。
                        (H21.9.27)

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