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【Legacy Ocean Report】#28 この海の彼方へ

テーブルの上を、心地いい夜風が流れる。
ここは電脳都市トッシャーシティ、東部観光区画、上空五百メートル。二十世紀都市崩落以降、電脳トレジャーハンターが激減する中で行われた大規模な区画整理事業の結果、観光産業は空に活路を求めた。

ステラーラウンジと呼ばれるこの輸送船団のごとき空中都市は十数のユニットを空中に固定したもので、地上との行き来はポータルの他に軌道エレベータのミニチュアのようなもので行われる。喧騒を嫌っていた旧来の市民には好評だが、ゴールドラッシュと共に成長してきた都市部には大きな打撃であり、早くもドーナツ化を招き始めているという。

一昔前のMMOを思わせるアバターが屋上の縁に向かう。エリオットはかつてパーティーを組んでいた仲間が、一年近く前に行方不明になっていた。ネット越しの仲間なんてそんなものと皆は笑ったが、彼女は何故か妙な胸騒ぎがしたまま、ずっと拭い去れずにいた。

「ジーン…。」
「あんたの言いたいことも分かるよ、だって私らが今見てるこの海だって、本当は存在しない筈なんだろう?」
大きな蛇のアバターはそう言うと、鎌首をあげて水平線を睨んだ。かつてこの街の「海」は沿岸におまけのように付いたものだった。それがある日、何百キロも彼方まで拡張されたのだ。

「この海って、これで行けないのかな?」
エリオットは屋上から離陸する気球を見つめた。もちろんこれはただのアトラクションだが、似た様なもので一気に飛んでいけないものか。
「無理だね。レガシーオーシャンではフライトコンポーネントが動作不全を起こすらしい。電子誘導弾でさえ有効射程数百メートルなんだから、こんな気球あっという間に着水、沈没しちゃうよ。」

電子生命体が蠢く水中を避け、上空を飛行する試みは初期には数多く行われ、「既存のフライトコンポーネントが全て正しく機能しない」という絶望的結論をもって頓挫した。この電子の大海を制するには、どうしても船を出すしかないのだ。

今この時も、数十隻の調査船団が彼女らの足元を発つところであった。アンカーユニットが切断され、唸りをあげて船が動き出し、電子の大海に白波の軌跡を描いていく。


その、はるか下方。あるいはそれすらも比喩か。

彼らのいる電脳都市群の「足元」には、まるで地下水脈のように電子の大迷宮が広がっていた。電脳都市ラビリンスガーデンに虫食い穴を開けたことで発見されたこの未知の空間はヨルムンガンド・システムと命名され、その全体像を探るべく探査bot、次いでアバター部隊による有人探査が試みられた。

有人……このアバター部隊の中には一つだけ、誰も"入っていない"部隊があった。第十一番隊「アヌビス」は未知の原理でひとりでに動くようになったアバター「スケープゴート」を試験的に起用したもので、彼らの特殊部隊としての可能性に期待する半面、強制切断による離脱が不可能であるという指摘がなされ、そしてそれは現実となった。

アヌビス隊はヨルムンガンド捜索中にバイパスポータルに飲まれ、脱出不能に陥った。そこは敵性種を含む電子生物が巣食う暗闇の世界で、出口はおろか現在地すら不明。絶望の底で、彼らは新たな遭難者を発見した。

アヌビス隊を含む調査部隊とは別ルートで、ヨルムンガンドへの侵入を試みた者達がいたのだ。その名も現代魔術連合「カヴンチェイン」。超常現象や魔術信仰の調査研究を掲げる彼らは、設立経緯に謎の多いこのバーチャル空間の謎を解くカギとして魔術部隊を送り込み、壊滅した。

一人生き残るもログアウト不能に陥っていたシュミットは、アヌビス隊と合流する道を選んだ。目指すはこの電子迷宮を地底河川めいて流れる電子ストリームの最下層。ここから何らかのポータルに通じている筈だった。あわよくば、レガシーオーシャンの海底から噴き出る残骸群と共に脱出を。

だが最下層の大渦を抜けたその先で待っていたのは、視界一杯に広がる未知の電子海洋だった。まるで空に開いた穴のように01の瀑布が注がれるこの海で、彼らの旅は再び振り出しに戻ってしまった。海底に沈没していた電子クルーザーの再起動に成功した彼らはあてもなく航海を続ける中で、巨大な"観測所"を発見する。

"観測所"の主は自分が深宇宙より送り込まれた異星文明の観測装置である事、バーチャル空間「メガロチェイン・ネットワークス」は自分が設計者である事、他の観測端末によってこの島に幽閉されていることを語った。

そしてこの海の辺境の海底火山に、今度こそ出口がある事を。


ブラックヒース観測島埠頭区画。係留されていたドリトル号は人形達の手で入念にメンテナンスが行われ、概念防御フィールドなどの追加武装を施された。向かうは北西千八百キロメートル。観測島で示された海図の最も端にある。

泡のように現れては消えるランダムポータルと違い、このワームホールはレガシーオーシャンと直結している。余計な中継点も挟んでいない。かつてゴードンが送り込んだビーコン人形がそれを証明してくれた。

到着からわずか一日。ドリトル号は再び大海へと漕ぎ出す。メンバーのうちハイエルフのシュミットと、観測島で託された機人アバターのジーンは生身の人間であり、物理空間の肉体と意識が今にも切れそうなのだ。

「がんばれー!」
「人間の本気みせてやれ!」
桟橋や上層階楼には島中の人形達が集まり、手を振り、歓声を上げていた。無機質に見える彼らにも意識があり、この状況に対する思いがある。恐らくや今生の別れ。彼らのためにも、この旅を果たさねばならない。

この海に落下してからブラックヒース島に辿り着くまでより、更に長い航路。だがこれで終わる。クルーザーを全力で走らせれば一週間もかからない。たとえ嵐が待とうとも…。

水平線の彼方に船が消えてゆく。人形達とその主に出来ることは、全て行った。これは自らをこの島に閉じ込めた上級端末たちに一矢報いる、またとない機会でもあった。
「時が動き出す…。」
ゴードンはぼそりと呟いた。その声に何体かの人形が気付き振り向いたが、そこにはもう、誰も立っていなかった。


「もう、一生帰れないと思った…。」
船首近くに鎮座した大きめのラジコンほどのロボットアバターを、真上近くまで昇った太陽が照らした。ジーンは不運にも電脳都市に突如開いたランダムポータルに飲まれ、このアナザー・オーシャンに転落した。海底で意識不明になっていた彼は調査中の人形達に発見、蘇生されかろうじて命を繋ぎ止めた。

しかし島外での活動コストが高い人形達にとって彼を帰還させるのは簡単ではなく、いたずらに時間だけが過ぎていった。それでもいつかはあの危険な海底火山ポータルのカードを切らねばならない、その矢先に訪れた新たな遭難者達。最後のチャンスだ。

「ん?……うわぁびっくりしたぁ!」
ジーンのすぐ横で、見た目十にも満たない少女が座り込んでボディをまじまじと見つめ、ぺたぺた触り始めたのだ。
「…この体がそんなに珍しいかい?」
アヌビス隊の一人、ジャスミンは目を見開いたままゆっくりと頷くと、背中から木を生やし、リンゴの実をもいで見せた。

「え?これどうなってるの?こんなアバター作れないよね?」
「スケープゴートの特殊なやつだ。アバターの力じゃない。」
ボストークが右舷から身を乗り出し、長い首を向けた。
「まだ確定ではないが、この子にはかつて運用停止直後に突如消失した電脳都市エデンが、そのまま組み込まれている。リンゴだけでなく、エデンの遺伝情報バンクに登録されていた植物の電子実存体を、全て再現可能と思われる。」
ジーンは呆気にとられた。

「…てことは、そちらの魚の坊っちゃんもただの亜人じゃなくて、何かしらヤバいものが入ってたりするわけ?」
レイは怪訝な目で見つめ返す。
「レイは制作者不明のアバターで、かなり強力な電子兵装が組み込まれている。だがそれ以外は、ほぼ見た目どおりの思考力を備えた少年だ。」

「見た目どおり、か…。」
操舵ユニットを握りながら、シュミットは昨夜の事を思い出していた。自我を持つアバター、スケープゴートの大半がほぼ人型な理由も今なら分かる。スターダストが人間の記憶の紙片を紡ぎ合わせる際に、人間の形の器でないと上手く嵌まらないのだ。だとしたら、レイの核はどこから…。


「それにしても、もう少しまっすぐ向かえるといいんだけどね。大分迂回してるよこれ。」
ジーンが手に持つホロコンソールには海図が表示され、現在地やブラックヒースを含む島々、そして目的地であるリアティア海底火山への航路が表示されている。それは、まるで直線上の何かを避けるように途中で大きく曲がっていた。

「ゴードンの説明では、詳細不明の電子生物による大規模なテリトリーが存在するらしい。単純に強力なだけなら強引に突っ切るべきだが、この個体群はある程度の知性を備えている可能性が否定出来ないらしい。」
「うん知ってる、一緒に聞いてたからね。それでも、ジャミングとか使って発見を遅らせたりするなりして…無理やり通った方がいいんじゃないかと思ったんだ。」
「気持ちは分かる。だが本番は火山への大深度潜航だ。そこまでリソースを温存したい。なにしろ深度四百五十メートルは、有人としてはほぼ例のない深さ。敵に追われながら出来るほど甘くない。」

「別にまだ敵と決まった訳じゃないでしょうに…坊っちゃんもそう思うでしょ?」
ジーンは身体ごと捻るように機体をレイに向けた。
「まあな。そもそも詳しい姿も分かってないんだ…何だあれ?」
レイの視線の先、船と並走するように黄色い大きな魚のようなものが泳いでいる。

「データにない電子生物だ、恐らく新種と思われる。」
首を伸ばして海面を見やったボストークはライブラリを見返すが、同様の生物は見当たらない。
「姿は物理空間のサメに酷似。強いて言うならレガシーオーシャンでも赤色のサメ型電子生物は見つかっているが、捕獲後すぐ崩壊してしまうため詳細は分かっていない。」

「こんなところでサメの餌とか真っ平ごめんですよ!…と言うか、もしかしてそのお魚が知性体だったり?」
「うーん、リトが交信しそうな相手には見えないけどなぁ。」
レイが海面を覗き込んだ、その時。

突如海面のすぐ下を泳いでいたサメの形が溶ける様に崩れ、噴水のように噴き上がると、ドリトル号の船首に注ぎ込まれた。いや、降り立った。

「な、何だ…?」
一行の前に現れたのは、褐色の肌に白いタトゥーを走らせた屈強な青年の姿であった。