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【Legacy Ocean Report】#03.5 鋭いライムとアーミーナイフ

コンティネントと呼ばれる数千の電脳都市を、網の目のように繋ぎ築かれた電子ネットワーク、メガロチェイン。高度なVRテクノロジーによって実存の都市とみまごう巨大コンティネントばかりが目立つが、実はその大半は目立たない小さな都市だ。ある意味ではこれも、現実の都市網の写し鏡なのかもしれない。

電脳都市5400番、マスカテルシティ。その外観は、いや内観は薄暗いバーのような姿をしている。これはソーシャルVRの初期から脈々と受け継がれてきた由緒正しきデザインであり、究極の隠れ家として今もごく少数の人々の間で愛され続けている。

彼らの幾らかは現実空間にそうした居場所を持っていたが、無礼な飲食店検索サイトの犬どもに荒らされ、この時代は本当にゲリラのごとく潜伏した店しか存在しない。ここはそうした苦労多きパルチザン達の会合の場としてもよく使われる、ユグドラシルのような開けた場所では気分的に話したくない事も多いのだ。
「来たぜ、マスター。」
玄関口に魔方陣のように光の円が描かれ、来客がスポーンする。

「いらっしゃい。」
カウンターに立つのはメイド服を着た少年、ジェニファー。彼もかつては物理空間に店舗を構えていたが、悪質なクレーマーに多重アカウントで☆1を乱打され、先月閉じてしまった。再起までの間、彼は気晴らしにここで人々を迎えることにしている。マスカテルシティはバーカウンター型エリアが3つ、サロンが2つ、そして課金制の個室からなる。個室は要望によって後から増設されたものであり、この場所に引き籠っている客も何名かいるという。

「今日はみんな個室かよ、VR空間に来てまでやることかねぇ。」
「中々人の幸せというのは量りがたいものなんですよ、そもそもここだって実際に飲み物が出る訳じゃないですし…。」
メイド服の少年はグラスを磨く仕草をしながら答えた。
「飲み物ならここにあるぜ、今日は忘れず自動ログアウトモードになってる、潰れるまで飲むぞ!」
「やれやれまたペナルティを食らっちゃいますよ、次は出禁一ヶ月でしたっけ。」
「うるせぇ、あ、こぼした!」
来客はゴーグルを外部カメラに切り替え、トラッカーを外すのも忘れて、慌てて足下を拭いている。

滑稽な姿に、ジェニファーは吹き出しそうになりながらも目線を逸らすと、カウンターの端にもう一人居ることに気づく。ほとんど黄色といっていい金髪のポニーテールを垂らした女性が、カウンターに突っ伏しながら何やら呻いている。酔っているわけではなさそうだ。
「…あの、大丈夫ですか?」
数秒空いて、金髪の女はわずかに顔を上げた。
「大丈夫…大丈夫だから気にしないで。」
あまり大丈夫そうには見えない。しかし気にするなと言われてしまった以上、権限の無い彼にはどうしようもない。彼女はカウンターを指でコツコツと叩きながら、顔を貼り付かせてブツブツ不明瞭に呟いている。

「参ったなぁ……。」
ジェニファーは蓄音機型の操作ユニットを呼び出し、静か目のジャズを流した。少しでも場の雰囲気を直そうと…。
「あー、半分になっちまった。端末にかからなかったのが幸いだが床が酒くせぇ。」
ようやく失態の後始末を終えた来客は、先客の存在に気づいた。
「ロック、ロックスミスじゃないか!」
まだ一滴も飲んでいない筈の男はボリュームを間違えたのではというような大声を発した。黎明期のソーシャルVRには、爆音でEDMやヒップホップを流す迷惑ユーザーが結構居たというが、生声でこんなバカでかい声を出す輩はそう居ないだろう。部屋中に漂っているであろうアルコールの吸引で、一気にキメてしまったのだろうか。

「モロー…うるさい。」
ロックスミスと呼ばれた女性は、小さいが荒げた声で一喝した。
「…なんだなんだ辛気くせぇなあ、何か嫌なことでもあったのかよ。あ、そうそうお前の新作…エリックだっけ、あれよかったぞ。」
「そんなモン知らん。」
モローは取り繕うとしたが取りつく島がない。振り返っても、我関せずといった面持ちでジェニファーがグラスを磨くモーションをループ再生するばかり。しょんぼりした顔でモローは壁の方を向き、今度こそ無駄にするまいと慎重に酒を啜った。ズズズというあまり上品とは言えない音に気づくや、慌ててボリュームを下げながら。

彼らはVR喫食には練度が足りない、特別な演出装置なしに味や匂いの疑似感覚を味わう事はできない。それでもVR黎明期から、いやそれより遥か昔から特別な空間で食事をしたいという欲求は人々を魅了してきた。酒を溢したくらいでへこたれる彼らではない。
「世の中、上手くいかねぇもんだな…。」
モローは頭を掻いた。酔いが回って気持ちよくなるには、まだ時間がかかりそうだ。ロックスミスの方はといえば、マイクもスピーカーもミュートにして突っ伏している。うつ伏せのVR睡眠はバッテリーの無駄遣いとよく言われるが、ジェニファーは放っておくことにした。
「何もかも上手くいかないのが人生ですが、明日はきっと上手くいって欲しい…その為に此処はあるんじゃないですかね。」
「上手いこと言った気になりやがって、店を潰したお前が一番ピンチなんだぞ。」
ヤジを入れられ、ジェニファーは苦笑いしながら再び次のコップを手に取った。

深夜1時、この都市はまだまだ眠らない。