見出し画像

Legacy Ocean Report #33 港を目指せ

ヴォーテックス王国王都西部、緩やかな坂が続く市場。左右に立ち並ぶ家屋の間にえぐられた谷底のように伸びる道を、小屋ほどもある車が駆け下りていく。事前に連絡を受けていた市民は道を開け、目の前を風のように通過する巨大な質量を見守る。彼らもまた、「作戦」の担い手達なのだ。

ビドーは引き手をハンドルに持ち替え、下り坂を港に向かう。動力はない。ただ傾斜に沿ってどんどん加速するボックスカートと化した人力車を制御し、港まで到達するだけだ。口の中に血が溢れたが、怯まない。これが自分に課せられし使命だと自らを鼓舞し続ける。

それを屋根の上から追走する者達がいる。その手には暗赤色の装飾が施された弓。ホーンド家に仕えし弓撃隊だ。彼らは建物の上を自在に飛び移りながら射程内に入り、走ったまま「谷」の上から狙い撃つ。
「あいつら追って来るぞ!」
「しぶとい奴らですね…これでも食らいなさい!」
ジーンは後方に煙幕弾を投射、弾は地上を二回バウンドしたのち爆竹のような音を立てて炸裂した。

「むっ…。」
立ち上る煙の壁に刮目する弓兵、だがその目は煙の中を動く黒い影を捉えた。引き絞った剛弓から放たれた矢が雨のように降り注ぎ、そのまま素通りに貫通し、地面に突き刺さった。

「何ッ!?」
灰色の煙が晴れるとそこには、生き物のように動く黒い霧。内蔵スクリプトによって囮として機能する高密度の黒色パーティクルは、弾けるような音を上げて消滅した。本物は既に遥か彼方、路地の深奥を走り抜けていった後だった。
「追え!このままでは我らの面目丸潰れだ!」
怪訝な視線を向ける市民を横目に、十数人の部隊が暗い路地へ入り込んでいく。


王都地下通路。地下と言っても水上から突き出た建築物群を繋ぐパイプのような通路のうち、水面より下にある部分だ。網の目の様なこの通路には商業区画から非合法なもの、さらには一般にはその存在が明かされていないものまである。隣接する通路や構造物に巧妙に隠されて、こうした非常時に利用されるのだ。
「つまりこの壁の外は海なのか。」
「そうさ、ここを抜ければ港のある区画に出られる。」
坂を下り切った車は勢いを失ったため、ビドーは再び柄を掴み引き始めていた。その体は擦り傷だらけで口から血が流れ、しかし彼は文句一つ垂れることなく港を目指す。

「ビドー殿、大丈夫か?ずいぶん君には無理をさせてしまった。」
人力車の隣に躍り出て、滑走するボストーク。重量のある彼は路地を抜けるや早々に車から降り、胴体下の車輪と六本の足で器用に路上をローラースケートのように駆ける。その背にはレイとジーンが乗って負荷を減らす。
「何のこれしき、先ほどより軽くなったのに音を上げるわけにはいかぬ。それに、今も広場では戦闘が続いているやもしれません。」

「しかし、こんなに暴れてしまって大丈夫なのか?ここまでやるとはさすがに思っていなかったが。」
人力車の中でマオは一瞬黙り込んだ。彼らを解放したとして、これから幾つもの大仕事が待っている。政権を握るフレイミー家の者達との折衝を何度もこなさなければならないだろう。だがこのまま黙っているわけにはいかなかった。我々を見送った市民たちを信じるしかない。
「……何とかするさ。」

まるで下水道の様な秘密地下道は妙に長く、何度も上下を繰り返した。周囲の構造物に擬態するために回り道を余儀なくされているのだ。人力車の前方でボストークがライトを点灯し、暗闇を照らす。
「む……マオ殿、行き止まりに見えるが。」
前方にはヨルムンガンドで見かけたような岩塊。電子オブジェクトデータが劣化を繰り返した結果、タールの様に歪に固まったものだ。
「大丈夫、少し離れて見ててくれ。」
マオは人力車を降りて岩塊の前に立ち、その表面のわずかな凹凸を小突き始めた。すると岩塊に仕掛けられたロックが外れ、左右に開き始めた。

「すげぇ!」
「開けるのは造作もないんだけど閉じるのが大変でね、でもこういう時のためにあったようなものだ。」
マオは外から一気に差し込んできた光を手で遮りながら、深く息を吐いた。ここはもうオケアノス家の不可侵領域。水上建築物群の間を縫うように船が行き来し、荷物をせわしなく運んでいる。闇の中から人力車と一行が歩み出てくる。


「ビドー殿、大儀であった。」
数名の兵と共に、キリノが出迎える。それに気づいた港の人々が一斉に歓声を上げ、群がってくる。遠い国で施政者となったヴァルハイ姫と、その命を受けて旅をする異邦の民。彼らをフレイミー家の陰謀から救い出すこの作戦は、政権喪失以降陰鬱な日々を過ごしてきた彼らにとって、とても痛快な話であった。
「暴風のビドー、為すべき事をしたのみです。」
気丈な大男はしかし、血を吐きながらその場に崩れ落ちた。

ふらつくビドーの体が蜃気楼のように揺らぎ、流れ出るように溶け、地面に突っ伏した一匹のサメが現れた。待機していた医務班が慌てて駆け寄り、三人がかりで担ぎ上げると建物内に運び込んでいった。この「港」は海底からラッパのように伸びて水上で開き、その皿状の構造物を人工島として運用しているのだという。ここは街であり、同時に要塞でもあった。

「あれは!」
思わず声を上げ指差すレイ、そこには停泊するドリトル号の姿があった。
「君たちの船で間違いないね?残骸に似たものがあったから外海のものとすぐに分かった。拿捕された時の傷が若干生々しいが、下手にいじるのもよくないと思ってね。」
甲板上では数名の船員が、航行に支障が出るような損傷が無いか入念に調べている。

「ずっとここにあったんですか?」
「まさか!フレイミー家のドックに雑に突っ込まれていたのを目ざとく見つけたのさ。僕たちを追いかけてきた連中がそうであるように、あまり表に出ない仕事をこなすのが得意な連中がいるんだ。」
マオはにやりと笑った。この半径数百キロの王国にも、海より深い深部があるのだ。

それから我々はマオから、港を発ってリラティア海底火山に到達するまでの詳細な航路を教わった。ゴードンから貰った海図にそれを重ね合わせ、アップデートする。周りでは民衆が、見たこともないホログラムマップに映し出される冒険航海の地図に目を輝かせていた。

当初の航路はヴォーテックス王国の近海に広がる岩礁地帯と部分的に被っており、ここはフレイミー家の主要な狩場となっている。ドーナツ状に広がるこの岩の迷路には所々穴があり、特にこの港から五キロメートルほど先から続く、霧の濃い一帯を抜けて外洋に出るのが最短ルートだ。

「急がせて悪いが、なるべく早くここを出たい。タイムロスは避けたいんだ。それに、時間をかければかけるほどフレイミー家の包囲網が広がる。」
そう口にしたところでシュミットは、背後で信じがたい音がするのに気づいた。先ほど見かけたドリトル号が離岸し、徐々に沖へ向かって進み始めたのだ。
「何!?」


「馬鹿な!?あれは人間をキーにしなければ起動しない筈!」
ボストークは遠目に船を見ながら、小刻みに震えていた。そして五秒ほど置いて、キリノ達の方に向き直る。
「……何のつもりだ。」
「先ほど私は、似たものを見たと言ったね?我々はあれが君の船だとは一言も言っていない。」
キリノはゲラゲラと高笑いをした。
「……敵を騙すにはまず味方からか。まったく心臓に悪い。私の場合、もう動いてないのだが。」
大きなロボットは皮肉で返した。相手が自らの事情を到底理解できないと知りながら。

「うめぇ!これどうなってるんだ?」
その晩。近海でとれる電子生物を使用した料理を港の皆に振舞った。聞くところ、彼らは丸焼きの様なごく初歩的な調理しか知らなかった。調理法を教えようにも、こちらの装備の使用が必要になるそれらは彼らにとって、文字通り一生に一度となる可能性が高い。その後、我々は港通りの中心に設営されたキャンプファイアを囲んで夜中まで語り合い、歌い、概念の炎が天に向かって繰り出すパーティクルを見つめた。

その翌朝、日も出ないうちに本物のドリトル号に荷物を積み込み、出航の手立てを整えた。桟橋の手前では港の皆が見送りに来ていた。全員ではない。幾人かは囮の残骸を引いて敵を惹きつけてくれているはずだ。
「こんな状況でなければ、もっと一緒にいたいのだがな。」
「構わないさ。それより、君たちに一つ頼みがある。」
「頼み?」
「最初に牢屋で見せたヴァルハイ姫の動く絵、あれと同じような感じで僕たちの姿を残す事は出来ないか?」
マオはやや恥ずかしそうに、自らの銀髪を軽く掻いた。

ボストークは自らのアバターボーンを固定し、アイカメラの録画機能を回した。赤いランプが点灯し、港に集合したマーシャリアン…いまだ何もかもが未知の魚人達を映し出した。彼らは皆映りこもうと跳ねたり歓声を上げ、そしてサメに変じて水中から飛び出して見せたりした。
「ヴァルハイ姫、我々はよくやっているぞ!」
マオのその言葉で、三十分にわたるビデオメッセージは締めくくられた。

シュミットはドリトル号のキーを回す。船のエンジンが起動し、振動が船を包む。それは彼自身がまだ生きており、物理空間と繋がっていることを示す何よりの証拠だった。
「よろしくな!」
出航するドリトル号に向けて手を振る人々。そして何名かは変身して海に飛び込み、船と並走し始めた。海面を裂くいくつもの背びれ、海面から飛び上がるサメたち。パニック映画ならこの後惨劇が始まる光景だが、いまや彼らは幸運をもたらす海神のように去り行く船を見送っていった。