見出し画像

【Legacy Ocean Report】#07 楽園の子

電脳都市ラビリンスガーデンを侵食し、突如出現した電子のトンネル網型電脳空間ヨルムンガンド・システム。その探査計画6番Bルート、入り口から約1.3km。三匹のカマキリが、暗闇の中指向性カンテラを灯している。彼らの頭上には黄色く光るIDコールが浮き、静かに回っている。彼らはトライデントと呼ばれる電子空間の特殊部隊で、敵対的電子生物の排除や重危険クラッカーの制圧を生業としている。今回はこの未知の電子空間の調査において、緊急事態が発生した場合内部に突入、調査隊の救出を行う手はずになっている。

「…いない。」
「救命信号を発していたbotは見つけた、場所は間違ってない。」
「本部、こちらホイールズ。チーム『アヌビス』の消失地点まで到達した。しかし発信botを残して彼らの痕跡を確認できない。足跡もここで途絶えている。また、大型電子生物と遭遇した様にも見えない。」
通信ホログラム越しのオケアノスは、ひどく焦燥していた。
「…了解した。botのログを解析する、帰還せよ。」
三匹のカマキリは、後ろめたそうにその場から飛び去った。

同時刻、やはり闇の中をヘッドランプで照らしながら進む三つの影。魚と人を混ぜたような少年、腕やうなじから植物を生やした幼い少女、そして全高2m以上ある六本足のロボット。彼らこそ先程トライデントの特殊部隊が探していた遭難者であり、ヨルムンガンド・システムの未踏破領域をあてもなくさ迷っていた。

ボストークは歩きながら、コンティネントスキャナを壁や天井に翳す。
「目で見る以上の情報はなさそうだ、本当にただの洞窟だ。」
レイは足元を這っていたムカデに似た電子生物を摘まんで、まじまじと眺める。
「…さっきまで、あの落とし穴に嵌まる前までは見かけなかった奴だ。本当ならいい発見なのによ…ところで、こいつらは何を食べて生きてるんだ?」
「断定は出来ないが、我々の足元を流れている水脈のようなものが彼らを支えていると思われる。これは各地の電脳都市から流れ出たデータストリームの紙片だ。」
ボストークがアームのランプを灯すと、所々に小さな小川や水溜まりが見られた。時折天井から滴が垂れては、小さな池ほどに成長した水溜まりに波紋を作る。
「これはいわばスープのようなものであり、その地虫を含む洞窟の住人達はこれを啜って生きているというのが先の調査隊の報告だ。」
ボストークの背に乗っていたジャスミンはそれを聞くや飛び降り、地下水を掬って飲んでみた。
「…おいしくない。」
「確かに結構歩いた、そろそろ休憩するとしよう。」

三人は水が流れていない場所を選んで簡易キャンプを設営し、食事を摂ることにした。レイは鞄からケースを取り出すと、ケースの中に無造作に転がった茶色い板切れに齧り付いた。
「まるでレーションだな。」
ボストークはまじまじと眺めながら、胴体前側の開口部にカステラに似た塊を放り込んだ。
「お前が食ってるのも似たようなもんじゃねぇか。と言うかレーションって何だ?」
「人間の軍人用の携帯食だ。民間には基本出回っていないが、『敵から拒絶された食い物』と揶揄されるなどとても不味いという話だ。」
「んだとてめぇ!?」

二人のやり取りを、ジャスミンは絵の具に似たチューブを咥えながら眺めていた。彼らが食べているのは元々、メガロチェインの酔狂なユーザーが電子生物を「食べる」体験を追及した結果産み出されたもの。勿論物理的な人間はそれでは腹を満たすことが出来ないため、あくまでも喫煙と同じ類の嗜好品に過ぎなかった。しかし、電子生物の一種である彼らスケープゴートは、この嗜好ペーストやタブレットを食糧としている。

「大体お前さっきから偉そうなんだよ、ちょっと外の世界に詳しいからってさも自分が人間の食い物を食ったことがあるみたいに語りやがっ…っと!」
レイは頭上から何かが降ってくるのに気づき、慌てて飛びのいた。手を伸ばしてキャッチしたのは、赤い球形の植物質の物体。振り向くと、ジャスミンのうなじから一本の木が生えていた。赤い球体はここから落ちてきたようだ。
「けんかしちゃだめ。」
ジャスミンの背中に、枝が成長を逆再生するように戻っていく。
「お、おう……ところでこれは何だ?」
「これはリンゴという植物の果実、かじって食べることが出来る。」
見上げるとボストークもリンゴの実を持っており、3本指のアームで器用に二つに割ると、搬入口のような口に丁寧に入れた。レイは恐る恐る齧ってみる、電子生物では味わう事のない独特の味がした。
「これは……。」
「甘みの疑似感覚は電子生物ではまず得られないもの。慣れないかもしれないが悪くない筈だ。」

「……ところで、こいつ何処からこんな大量の木やら蔦やら果実やら湧きださせることが出来るんだ?」
首をかしげるジャスミンに対して、ボストークは急に押し黙って神妙な面持ちになった。
「…これを、見るといい。」
ボストークは自分の頭からコンティネントスキャナを外し、レイに渡した。
レイは外部モニターをオンにして周囲をスキャンする。そこには臨時地点であることを示す欠番の電脳都市番号と共に、『Jörmungandr system』とロケーションIDが表示されていた。よく見ると水たまりから異なる反応がある。
「『Iron Maiden』って反応があるんだがこりゃなんだ……?」
「これはデータストリームの源流地点のIDだ。レガシーオーシャンでも補正装置によって一律表示されているだけで、本来漂着オブジェクトには元の地点のID属性が付属していたという。アイアンメイデンは電脳都市の一つで、私の出身コンティネントだ。」
そう言うとボストークは頭上を眺めた、メガロチェインの大規模構造を考えれば、別にこの真上に故郷があるというわけではないのだが。
「へぇ、さっきからあんたこんなものを見てたんか……あれ???」


「……なあ、ジャスミンから出てる『Eden』って反応は何だ?」
ジャスミンは食糧チューブを咥えながら、レイの髪が揺れるのを子猫のように見ていた。ボストークはアームでゆっくりとジャスミンの頭を撫でながら、別のアームでスキャナを指差した。
「それだ、ずっと不可解に思っていた。我々をこうした任務に投入した辺り、恐らく司令部も気づいていないが、ジャスミンはただのスケープゴートではないのだ。」
ジャスミンは振り返り、自らが寄りかかる6本足のロボットを見上げた。


「電脳都市№3、エデン。電脳都市計画が始まって間もないころの話だ。世界各地の穀物をはじめとする有用植物や希少植物のDNA情報を電子化、核戦争などの人類文明の致命的事態に備えるデジタルエデン計画が立ち上げられた。要するに、人類にとって必要な植物のデジタルシードバンクを保管するサーバーとして、電脳都市を活用しようという計画だ。」
ボストークはホログラムを立ち上げ、当時の物と思われるプレゼン資料を見せた。そこには、世界情勢と電子戦争の危険性、デジタルエデン計画の有用性を説いた文言が並んでいた。

「しかし、デジタルエデン計画は間もなく頓挫した。メガロチェインの信頼性が今ほど認知されていなかったことに加え、電子化された遺伝情報を復元するにはバイオテクノロジーが未熟すぎたのだ。また、そもそもデジタルシードバンク自体予算や各団体の思惑が一致せず、最終的に瓦解してしまった。」
レイは頭を抱えた。
「つまり昔々、食える植物とかのデータのバックアップ場所として使おうとしてたけどダメだった都市があった……で、それが何でここで反応が出てるんだ?」


「廃棄コンティネントを見ればわかるように、通常機能停止した電脳都市もある程度の期間…およそ数か月はトラッキングが可能だ。ところがエデンは運用中止になって数日で蜃気楼のようにメガロチェイン上から姿を消し、追跡不能になった。当然貴重なデータだ、関係者は責任を問われ、必死で捜索した。だが、とうとう見つけられなかった……インターネット上から姿を消した幻の都市、それがエデンだ。」
「す、すまん何言ってるかいよいよ分からなくなってきた、その消息不明の都市番号が何故ここで表示されてるんだ?」
レイの尾がぺちぺちと地面を叩く。当のジャスミンはというと、我関せずと言わんばかりにコンティネントスキャナのランプのゆっくりした点滅を眺めていた。

ボストークは視線を下げ、自らのアームの一本を捻りながらまじまじと眺めた。
「……エクト・マスコット現象でアバターに転写される可能性がある情報の種類、あるいはリソースの上限はわかっていない。当の我々でさえ、この現象の詳細については誰一人知らないのだ。単刀直入に言おう、私の推測が正しければこの子は電脳都市エデンその物が転写された化身なのだ。」