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【Legacy Ocean Report】#17 過去が落ちてくる海

僕らは暗い洞窟の中、地底湖の渦に飲まれ、声も視界もすべて闇に沈み、

そして、空が見えた。

雲を貫き天空から注ぎ落ちる巨大な滝、一方眼下には広大な海が広がっていた。落下する水塊の中でパニックに陥りもがく影が4つ。うち3つは、大まかに人の形を成しているように見えた。

巨大な直瀑は水面下20m近い滝つぼとなって海中に突き刺さり、周囲に恒常的に白波を引き起こしていた。時折何mもある巨大な残骸が大量の水と共に落下し、そのいくらかは海上に漂い、いくらかは海中に沈んだまま二度と浮上してくることはなかった。

波が海面を打っては砕けるその先、大小の残骸をかき分けて海面に浮かんできたのは、先ほど滝の中でもがいていた者達。ドーム状の大きな物体が浮かび上がり、それにしがみつきよじ登るように3人が海上に姿を表した。

「一体なんだこりゃ、ここはどこだ?」
体からヒレを生やした青い肌の少年が、辺りを見渡し海水を吐き出しながら言った。
「わからない。強いて一つ確かなことがあるとすれば、僕たちは元の場所に帰ってこられなかったという事くらいだ。」
そう言ったのは黄色い髪の丈夫、長い耳を伸ばしたハイエルフだ。その背では、ずぶ濡れの少女がしがみ付いていた。

「あまり悲観しなくてもいいかもしれない。」
彼らの頭上、ドーム状の物体から長く伸びたチューブの先で、監視カメラに似た頭が語り掛けた。
「足元、水中を泳ぐ影をよく見てほしい。落ちないように気を付けて。」
水面下に、何千何万という影。それは一見、魚群のように見えた。

「あれはシミー。レガシーオーシャンでよく確認される魚型の電子生命体だ。」
「ボストーク、それは本当か!?ここはレガシーオーシャンなのか?しかしあんな滝は見たことないぞ?」
まくしたてるハイエルフに対して、ボストークは冷静に答えた。
「一歩近づいたのは確かだが、ここはまだ我々の知るレガシーオーシャンではない。スキャナには無数の電脳都市のIDが入り乱れている。」

電脳都市。それは、「メガロチェイン・ネットワークス」というバーチャル空間サービスを構成する何千というインスタンスの通称で、正式名はコンティネント(大陸)という。

彼らは電脳都市に出現した謎のサイバースペース「ヨルムンガンド・システム」の調査中に未知のバイパスに飲まれ、行方不明扱いになっていた。ボストーク、レイ、ジャスミンの三人はアバターに未知の要因で自我が宿ったもので、強制ログアウトによって離脱する事すらできない。そのためこの電子の迷宮からの脱出を図っていたのだ。

道中で、別経路でヨルムンガンドに侵入したシュミットと合流。ハイエルフのアバターを駆る彼のプレイヤーは生身の人間だが、謎のエラーでログアウト不能に陥っていた。そこで、この電子回廊を小川のように流れるデータストリームの先に、出口があるのではと仮定したのだ。

十数年前、バラバという電脳都市の海洋区画が突如拡張され、数百km彼方まで続く広大な電子海洋が出現した。これが後のレガシーオーシャンで、海底のあちこちから未知のデータストリームが噴出を繰り返し、まるで生きているように振舞う魚やカニ型のbotが出現し始めたことでそう呼ばれるようになった。

「あわよくば、その噴出口に通じていればとは思ったんだけどね。」
シュミットは頭に手をやって、空を流れる雲を見つめた。それは驚くほど精彩で、解像度という概念そのものをあざ笑うかのようだった。だが彼は気づいていた、物理空間の肉体と断絶状態にある彼はこの電子空間に呑まれつつあり、この感覚の変化もその兆候かもしれないと。

「でも同じ生き物がいるってことは、どこかで通じている筈だろ?しかも、生き物が通過できるような形で。」
レイは海水を掬って遠くに投げた。この海の正体は、膨大な情報が注がれてできた巨大な電子空間。電子の海は水平線の彼方まで広がっていた。
「…そのどこか、がどこかが問題なんだけどな。」

その時だった。彼らの背後、滝を伝いながら蒸気機関車が空から落下し、飛沫を上げながら海中深く沈んでいった。よく見れば、遥か彼方にも同じような滝が転々と存在しており、巻き込まれるように大小の残骸が海に落ちていくのが見えた。

「なんにせよまず滝から離れよう、あんなのに潰されたらたまらない。」
「ええと、あそこあがれない?」
ジャスミンは海上に突き出た小さな孤島を指差した。それは直径1kmもない砂浜のようなものだが一応の陸地であり、南国の植物がいくらかと数本のヤシの木が生えていた。

一行は海上をゆっくりと漂いながら進み、這うように砂浜に泳ぎ着いた。
「ぜぇ、ぜぇ…。」
「ようやく一休みか、こんな状況でなければ久しぶりの陽光で気分がいいんだがな。」
ボストークの6本の機械足が、砂浜にめり込みながら胴をウミガメの様に進ませる。その頭上では、日光がさんさんと降り注いで4人を照らしていた。

「ヨルムンガンドからレガシーオーシャンに通じているポータルだと思ったら、もう一層挟んでいたってことなのかな…あるいは此処こそがレガシーオーシャンの本体で、僕たちが見ていたのはその一部が電脳都市に突き出していただけなのかもしれない。」
ハイエルフの青年はヤシの木に寄りかかり、座り込んだ。

小島を囲む海はどこまでも広がっていた。