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【Legacy Ocean Report】#14 コキュートスの底へ

二十一世紀初頭、インターネット上で乱立する無数のコミュニティの中にあって、もっとも先進的で未来的なVRネットワークがあった。

「メガロチェイン・ネットワークス」

処理の大半をサーバーサイドでこなすことで、非力な端末でも現実とみまごう高品質なVR体験が出来ることを売りにしていた。それはもはやもう一つの現実の誕生であり、数多の業界の勃興を招き、そして没落を招いた。

「…冷静に考えれば、この時点で何かがおかしいと気付くべきだったのかもな。」
長い耳の青年が、暗闇の中でテントを畳みながら呟いた。光源は背後でチリチリと音を立てて燃える焚き火が一つ。

それを神妙な面持ちで見つめる影が三つ。六本足のロボットと、体からヒレや尾が生えた少年、そして自在に植物を生やす幼い少女。

青年の名はシュミット。メガロチェイン内にあるカヴンチェインという現代型魔術コミュニティの出身で、メガロチェインの実態がただの電子空間ではない可能性について調査していた。


彼らが今いるのはヨルムンガンド・システムと命名された未知のサイバースペース。見た目はどこまでも続く地底迷宮とでも言うべきか。この洞窟は過去何回かに渡って、各地の電脳都市に突然ポータルを出現させ、時に敵対的な電子生命体をもたらしてきた。

「僕達は普段意識しないけれど、クラウド型サービスのデータだって、世界のどこかに建っているサーバーにあるはずなんだ。メガロチェインの基幹プログラムは多くの機能を独自のAPIを叩くことで実現していて、コードを読んでもわからない事が多い。だから僕らはまず、サーバーの物理的拠点を調べた。」

グローバルロケーションIDを頼りに、自らの都市の物理的な場所を突き止めた都市リブレスの調査団は目を疑った。それは、地中海のどこの島でもない海の上そのものを指していた。

海底あるいは地下にサーバーが建造されている可能性も考えられたが、ダイバーによる潜水調査や海底を貫通する音響探査でも、それらしき構造物は一切発見されなかった。

「どういうことだ…?」
レイはキョトンとした目でテントをバッグに詰め直すハイエルフに尋ねた。
「何百万という人々が利用している、そして君たちが生きているこの空間は、物理的にどこにあるのか全く分かっていないんだ。」

「で、その手掛かりを掴みたかったんだがね…ご覧の有り様だよ。このまま朽ちて行くのかとアンニュイになっていたが、君達のお陰で目が覚めた。何としても生きて帰る。」
シュミットは荷物を抱え、立ち上がった。
「さあ、出発だ。」


未知の現象によって自我を得たアバター、スケープゴートだけで構成されたレッドチェインの特殊部隊アヌビス。そしてカヴンチェインの魔術小隊の生き残りシュミット。4人はテントの脇を流れている、データストリームの小川の先を目指した。

霧のカーテンのような不可視のフィールドを抜ける。一帯の空間を秘匿し危険な電子生物の侵入を阻止していたこのバリアを出たら最後、どこから何が襲ってくるかわからない。天井から一滴の雫が垂れ、地面に広がるとやがてわずかな傾斜にそって流れ、小川に合流していった。

「一見すると本当に水にしか見えないこのデータの流れ。これが各地でこの洞窟内に染み出しては、ある一点を目指して流れているように見える。計算では目的地までおよそ10km。近くはないが…。」
「近くはないが、終点かもしれない以上目指す価値は十分にある。」
ボストークは小川で喉を潤すアルミラージを見つめながら返した。

「勿論だ。ただ、この先もしかするとより危険な存在を相手にすることになるかもしれない。雫は小川に、そして大河になっていく。この場所の生き物はそれを糧にしているため、下流ほど生物密度が増していくことが考えられる。そうすれば上位捕食者も…。」
シュミットはブレーサーに格納されているクロスボウを撫でた。強弓から放たれる火矢は強力だが、所詮火に過ぎない。実際アラガミ相手には歯が立たなかった。

勿論逃げられるならその方がいい。だが、資源が乏しいこの場所に住む捕食者は執念深く、撒くのは簡単ではない。どこかで一戦交えることは覚悟しなければならないだろう。


ヘッドランプを点灯し、洞窟に向かって照らす。長大な空間、その闇の向こうに流れは続いている。光はある程度の距離を超えると急速に減衰し、数百メートルも先になるとほとんど見えなくなってしまう。鳥型の電子生物がランプの光に一瞬映りこんだが、驚いたのか空中で身を翻すと、闇の中へと飛び去って行った。

足元は小石や砂利が無造作に散らばっていて、所々に赤茶色の植物が地を這っている。これらの生き物は入り口近くでも見かけたが、より密度が高く所々に背の低い茂みを形成していた。

「さっきからゴーレムの姿を見かけないな。打撃音も電子音もしない。見た目が変わらないようで、この洞窟にも何らかの区画が存在しているのであろうか。」
「そういえばゴーレムもこの雫を食って生きてるのか?まさかあの腕を伸ばしてアルミラージを獲って食うとも思えないんだけど。」
レイの足元を数匹の一角兎が駆け抜けていく。速い、洞窟内の小型電子生物はすばしっこいものが多く、中々サンプルが得られない。拳銃型のドレインシューターと高速で伸びるジャスミンの蔦が無ければ、周辺の生態系の調査に必要な情報を得るのも一苦労だったであろう。

「レガシーオーシャンに生息する電子生物でも、どうやって活動に必要なエネルギーを得ているのかわからない種類がいくつかいる。そもそも、我々を含め摂食活動からエネルギーに変換しているプロセスは不明なのだ。」
頭上、天井から垂れ下がった珊瑚と植物の合いの子の様な生き物から伸びた花に、蝶ほどの大きさの羽虫が集まっている。そのうちの一匹を、鳥がかすめ取っていく。

「そういえば前世紀のSF冒険小説においては、岩盤を突いて湧き出てきた熱水が下っていくのを追って地球の中心を目指していたな。」
ボストークはライブラリを開こうとするが、ストレージ内に見当たらない事に気づくとそっと閉じた。外部との通信が効かない以上、手に入る情報にも制限がかかっていた。
「それ、最後はどうなってたんだ?でかい化け物はいたのか?」
「地底海洋で巨大な古代生物と邂逅してはいたな。映画では人食い植物や陸生の肉食生物もいた。」
「地底海洋か……この川も、いずれ海かそれに類する何かに通じているのかな。」


川の水音は少しづつ、しかし着実に大きくなっていた。ボストークはこの体に囚われたあの日、トッシャーシティの沿岸で泥を掻いて走り回っていたことを思い出した。たとえこの洞窟を出ても、二度と人間の体に戻ることはできない。でもシュミットは違う。このハイエルフの丈夫は恐らくまだ肉体が生きている。何としても生きて帰り、肉体と再接続を行い蘇生させるのだ。

草の生えていない辺りを狙って、ビーコンキューブを設置する。200メートル以内にポータルが出現した場合、端末に通知が来る仕組みだ。シュミットが以前から配置していたものから数えて30を超えるビーコンを仕掛けている筈だが、まだ反応はない。

「ビーコンがポータルを見つけてくれるのが早いか、地底海洋からレガシーオーシャンへの抜け道を見つけるのが早いか…。」
ボストークはため息をついた。どちらでもいい、どちらか片方を達成できれば我々の勝利条件は満たされる。
「ところでこのビーコンからの信号って、ちゃんと届くのか?かなり通信状態が悪そうだけど。」
レイは鞄からキューブの一個を取り出し、怪訝な目で見つめた。キューブは半透明のガラスのような立方体で、中心で黄色い光が脈動している。
「確かに実践利用はこれが初めてだけど、試験結果ではノイズがコンティネント負荷最大、つまりノイズで前が見えないような状況でも50km彼方との通信に成功している。それに、今でもキューブが生きていることを確認するために定期信号を送らせているけど、すべて正常に……おや?」

シュミットは眉間にしわを寄せ、コンソールを凝視しながらつつく様に指を動かしている。
「どうした?脱落したキューブがあるのか?」
「違う……一個多い。」
魔術部隊の遺品であるバッグには、予備のキューブが未使用のまま残っていた。そして、ビーコンからの応答に紛れ込んだ偽の信号がどれかも、すぐに特定できた。

ビーコンIDがグリッチで崩れた謎の発信源が、彼らの元に急速に迫りつつあったのだ。