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【Legacy Ocean Report】#22 フルデプスの先で

電子空間に浮かぶ煌びやかな電脳都市の数々。だがその裏では、未解明事象や未知のサイバースペースの出現の報告が相次いでいた。電脳都市「ラビリンスガーデン」に出現した、洞窟型空間の調査に向かったチームの一つ、「アヌビス隊」のロストから、およそ一ヶ月。

規模不明の電子海洋を東に向かって進む影が一つ。帰還を目指す遭難者達を乗せた電脳クルーザーは、依然この海から脱出するための手掛かりを掴めずにいた。

「洞窟を抜けて大海原に、行き先の見当が余計つかなくなってしまった気がするな。」
「それは喉元過ぎればって奴だよ。今のところ物騒な電子生物にも遭遇していないし、ヨルムンガンドだって岩壁で仕切られてるだけで、ここと大差無いかもしれないよ。」
ボストークとシュミットはマッピング記録と航路を付き合わせる。当面、船を一直線に進ませながら電脳都市に通じる安定したポータルを探す計画だが、何か目星が付いている訳ではない。

ブリッジの上に据え付けられたコンティネントスキャナが、ワイドレンジモードで周囲をレーダーの様に探る。島はおろか暗礁すら稀なこの海域ではレーダーはフラットな値を示すばかりで、たまに出る反応は波間に漂うどこかの都市の残骸だった。


「BEEP!」
スキャナが大きな電子音を発した。それは値が閾値を大きく越え、振り切れた際に出るアラート音だった。船尾で釣りに興じていたレイとジャスミンが駆け寄る。

「何だ!?何か見つけたのか?」
「前方にかなり大きな反応がある。残骸が絡み合った暗礁かもしれない。衝突を避けるためにも一旦速度を落とす。」
反応は水平線の近く、拡大コンソールを手に倍率を上げたレイは、顔をしかめた。

「…なんだ、ありゃ?」
「どうした、何が見える?」
レイはコンソールの視界をスクリーンショットに撮ると、前方を見据えたままブリッジに放り込んだ。そこには、港町のようなものが写っている。よく見ると人影らしきものもある。

「これは…港町型の電脳都市のように見えるね。」
「俺達が行方不明になってる間に、レガシーオーシャンみたいな海が別に出現していた可能性はあるか?」
レイは期待を込めて若干急かすように尋ねたが、ボストークはあくまで冷静に、諭すように答えた。
「残念ながらその線は薄い。反応に出ている電脳都市のユニークナンバーが、異常な値を示している。接近することに反対はしないが、用心した方がいい。」


接近するにつれて明らかになった港町の全貌、それはオールドタイプの電子市街地だった。人影として見えていたのは町中を闊歩するNPC達。それは電脳都市のアバターと比べると、ずいぶんと簡素なデザインであった。
「こいつらは…自我は無いのか?」
「見た感じ前世紀のシステムっぽいね。自我どころか、電脳都市のAIスタッフみたいに自分で判断する力も無いと思うよ。」
シュミットはかつて興隆を極めたオンラインゲームのワールドを思い出した。α時代の電脳都市のうち幾つかは、資産整理を兼ねて運用終了したゲームのリソースを転用していたという。

「恐らく電脳都市の原型となったようなワールドリソースが丸ごと漂流しているんだと思う。ただ、本当に見た目通りの挙動を示すかどうかまでは、保証できないね。」
ハイエルフの青年は目を細め、かつてのネットゲームと目の前の光景を付き合わせる。見たところ同じように見えるが、電脳都市ではそうした外観に何度騙されてきたことか。

「僕が探索に行ってくるよ、こういうフィールドは得意なんだ。」
シュミットはブリッジを出ると、岸壁に上陸できそうな場所を探した。
「おいおい無茶言うなよ。こんな場所に生きてるポータルは無いと思うぜ。それに、あんたにもしものことがあったらこの船を出せねぇんだぞ。」
「わかってるよ、一時間位で戻る。」
そう言うと彼は、岸壁にフックロープを飛ばし一人飛び去って行った。


「何となく予想はついていたけど、まあ、その通りか…。」
町中は年月の割に損傷が少なく、一見レトロデザインの電脳都市の様に見えた。しかし住民たちはまるで時計の部品の様に、不自然なほど整然と動いていた。初めて見る人なら生きているように見えるかもしれない。しかし彼らにスケープゴートのような自律アバターが持つ自我はない。電脳都市のAIスタッフのような思考力もない。ただ、スクリプトに従って動いているだけの存在だ。

「いらっしゃい、ヤンガガの町へ!何もない所だけど、ゆっくりしてってね!」
「この街は山の頂上にあるから空気が綺麗なんだ!」
この町はどうやら、本来のマップでは山岳エリアの上層にあったらしい。いまやその面影もほぼ消え失せ、街の出入り口のすぐ外まで海水に浸かっている。潮風の疑似感覚も理解できない人々は、相変わらずアンデス調な民族服らしきものに身を包んで生活を続けていた。

町には家屋が50件ほど。しかし恐らく半分は置き物で、もう半分にも道具屋や宿屋といった施設が含まれている。道具屋の店先の看板を眺める。この場所の貨幣単位はジェムというようだが、最後に使われたのは一体いつの話であろうか。取引が通じるか話しかけてみるのも面白いかもしれないが、予期せぬ不具合を招くかもしれない以上、下手な真似はしない方がよさそうだ。

ヤンガガは体育館四つくらいの広さのマップで、建物や地形で巧妙にごまかされてはいるが決して広くはない。電脳都市も最初期はこのくらいの広さだった。当時縦横10mの床があるだけのクリエイターキットに手を付け、接触判定を忘れてメンバーまとめてガレった…奈落に落ちて行った辺りで投げてしまった。

とりあえずマップを一周しては見たが、特に見るべきものはなかった。外部フィールドに通じていたと思われるポータルは反応がないどころか、回路その物を喪失してただの置物になっていた。町から伸びている街道が海の中にある可能性も調べたが、三つある道はどれも唐突に千切れてその先が無くなっていた。


「無駄骨か…辛いなぁ。」
シュミットは道端に座り込んだ。90年代に流行したオンラインゲームを幾つか思い出してみる。しかしオールドネットに精通した彼でも流石に現役でプレイヤーだったわけではなく、このワールドの漂流元までは特定できなかった。モバイルライブラリに問い合わせようにも、この時代のネットゲームに関する記事は多くが二十世紀都市崩落と共に消失した。

「フルデプスした電脳都市がどうなるのかは、まだ全然わかっていない。あの廃棄コンティネント63号だって何処に行くのか分からなかったから僕たちは無理をして、壊滅した。もしかして出口がという考え方は、流石に甘かったかな。」

倒れ込んだ彼の横を、そ知らぬ顔でNPC達が行き来する。アクションを起こさないプレイヤーに対しては、衝突を避ける以上の処理が組み込まれていないらしい。いや、声をかけられても困るのだけれど。

「サンバルド火山でドラゴンが出たらしいわ!」
「困ったな、火薬茸を採りに行けないぞ!」
耳元で仰々しいやり取りが繰り広げられる。そんな山もう何処にもない、町の周りは一面の大海原だ。僕たちにとってドラゴンというと、コブラのような牙を持つ狂暴な電子の太魚だが、この海域では今のところ見かけていない。
「あ!お客さんだ!すごく久しぶりのお客さん!」
また騒々しいのが…お客さん!?

シュミットはがばっと起き上がり、声のする方を見た。そこには、羊にドラゴンの翼と尻尾を付けたような二頭身の生き物が浮いていた。他のNPCと明らかに違う、こちらを見つめるその視線は明確な自我を感じさせた。

「夢じゃないよね!?ある日突然、お客さん達誰もいなくなっちゃって、ずっと一人で途方に暮れてたんだ!」
「ええっと…ごめん。君は、何者だい?」
「え…?」
羊と竜のキメラは表情を曇らせた。
「お客さんじゃ…ないの?」


ウィルムーと名乗る小竜はかつて、このゲームワールドにおけるマスコット的な存在だったらしい。そういえば、エクト・マスコット現象においてアバターに転写されるデータの制限は明らかになっていなかったが、転写される側のアバターも、実は思いの外広い適用範囲を持っているのだろうか。

この場所について知りたいと言うと、マスコットは町の中央にあるギルドに案内してくれた。今や誰も訪れぬ施設の壁には「フォクルオンライン」というオンラインゲームのイメージポスターと、1996-2002という年号が書かれていた。このゲームは21世紀になって早々運用終了し、制御を外れた町はそれから何十年とこの海を漂っていたのだ。

ギルドの椅子に腰掛け、ハイエルフの青年は在りし日の情景を想像した。彼にとってこうしたオンラインゲームやオールドネットは憧れであり、だからこそ今や絶滅危惧種と揶揄される上古の民をアバターに選び、脱出口の望みが薄いこの町に制止を振り切って飛び込んだのだ。小さなドラゴンはゲーム稼働中の賑わいや、この町が漂流し始めてからの事を色々と語ってくれた。

「船を組み立てて外に出ようとも思ったんだけど、何か見えない壁みたいなのに阻まれて町の外に出られなかったんだ。」
恐らく、ウィルムー本人だけでなく彼を含むこのマップそのものがエクト・マスコット現象の対象となってゲームシステムを継承し、しかし動くことも出来ずここまで流されてきたのだろう。

「でも、今日からは一人じゃない!お客さんが来てくれた!」
「…悪いけど、僕はもう行かなきゃいけないんだ。」
「え、え、何で!?」

ハイエルフの青年は出来るだけ丁寧に、自分が電脳空間に閉じ込められていること、出口を求めて旅をしていること、このままでは命が危ないことを説明した。マスコットの小竜はしばらく考え込んでいたが、意を決したように口を開いた。
「わかったよ。お客さんを危険に晒す訳にはいかないもんね。」

ヤンガガの町の入口、最初港に見えていた場所までウィルムーは見送りに来てくれた。
「もし、またこの近くに来る日が来たら会いに来てね!ずっと待ってるから!」
シュミットは無言のまま軽く頷くと、来たときと同じく船に向けてワイヤーフックを飛ばし、島を去っていく。

再び一人ぼっちになったマスコットは束の間の友達と一緒に写った写真を握りしめたまま、去っていく船をいつまでも見つめていた。


「どうだった、何か成果はあったか。」
「駄目だね、ポータルは壊れてるし住人はみんなスクリプトで動いてる人形だった。」
「でも、何かちっこいのが一緒についてきてたように見えたけど。」
「…気のせいだ。」
ハイエルフの青年は夕陽が眩しいと言わんばかりに、大げさに目元を手で覆った。