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【Legacy Ocean Report】#15 魔獣ラタトスク

暗闇の中、二つの光る目が見えた。迷宮深部を飛び交う激しいノイズの中にあってさえ、スキャナはそこにアラガミを凌駕する巨体の存在を示していた。

ここは電脳都市を侵食する形で出現した未知の洞窟型サイバースペース、ヨルムンガンド・システムの深部。調査中に内部に閉じ込められ、脱出口を求めて最深部を目指していた4人のアバターは、最大の危機を迎えていた。

ヘッドランプの光が届く範囲まで相手が踏み込んでくるに連れ、その全体像が明らかとなった。トガリネズミを思わせる長く伸びた口吻、四肢から伸びた鋭い鉤爪、ブラシのように荒い毛で覆われた尻尾。

その背には遺跡の残骸のような岩石質の立方体が幾つも埋まっていて、その一つが静かに光を明滅させていた。キューブの応答に紛れ込んでいたのはこれか。


「予想と大分違う相手がお出ましなすったな…。」
シュミットは相手を見据えたまま、静かに呟いた。ラタトスクと後に命名されたこの大ネズミは、ヨルムンガンド・システム深部を徘徊している新種の大型電子生物。その食性は、尖った口から飛び出している残骸を見れば明らかだった。

「なぁ…あいつが咥えてるのって…。」
「間違いない。僕達を苦しめた、あの大蜘蛛の脚だよ。」
これは彼らにとって、二重の恐怖だった。このネズミはアラガミの体を喰い千切るほどの怪物であること、そしてその大蜘蛛の体は、アバターの融合体であること。

ラタトスクの目は白く濁ったガラス玉のような代物で、表情が読めない。しきりに鼻をひくひくさせながら、ヒゲを小刻みに揺らしている。こちらを餌食にしようというよりは、どこか困惑しているように思えた。

「落ち着け…こいつはきっと狩りを終えて、巣に戻る途中なんだ。刺激しなければやり過ごせる。」
シュミットは小声で、自分に言い聞かせるように呟いた。見た目通りの生態なら、音や振動に敏感なはず。一同は道を空け、この回廊の主が通り過ぎるのを待った。


立ち止まっていたラタトスクは沈黙の後、左右を見渡すとゆっくりと歩き始めた。口元からは涎のような滴が垂れ、足元の石塊に当たると微かなノイズ音と共に崩れていった。

ボストークはこの現象に見覚えがあった。電子文明初期に作られたコンピュータウイルスの一種だ。しかしそれは、今や廉価なアバターキットのプロテクトにすら弾かれる初歩的なもので、感染した端末は博物館に飾られているほどの絶滅危惧種の筈。実際ボストークも展示品でしか見たことがない。だがもし、この大ネズミの体内がウイルスの実験室のような代物で、未知の変異体を抱えているとしたら…。

見慣れない一団が気になるのか、ラタトスクは中々立ち去ってくれない。シュミットはかつて、ロンドンの地下を迷宮のように走っている下水道で金属片や硬貨を漁っていた人々のことを思い出した。彼ら「トッシャー(どぶさらい)」は時に、ドブネズミの大群に襲われ命を落としていたことと、これから自分たちが目指す脱出口の先が「"トッシャー"シティ」であることも。

「頼む……早くどこかへ行ってくれ……出来れば僕たちと違う方角へ…。」
それは他の電子生物たちも同じだったのか、さっきまで飛び回っていた鳥たちや地上のアルミラージも、息をひそめてこの地下帝国の王者を見つめていた。
「hiss……。」
蒸気が漏れ出るような微かな鳴き声を出しながら、大ネズミは数歩歩いては辺りを見渡し、こちらを軽く振り返ってはまた歩き出しを繰り返していた。

やがて、リスのようなゴワゴワした尾がランプの有効照界を出ようとしていた、その時。


天井から突き出ていた劣化キューブオブジェクトの一つが剥がれ落ち、壁面の凸凹にバウンドしながら通路に落下。衝撃でアクティブモードに入ったグリッチまみれのキューブは、突然大音量でBEEPアラームを発した!

「Screeeeech!!」
その一撃で回廊全体が覚醒し、耳をつんざく様な金切り声を上げてラタトスクはこちらに向き直すと、頭を下げて臨戦態勢に入った。背中に埋もれたいくつものキューブからは様々な色のパーティクルが溢れ出し、真っ暗だった回廊を危険な虹色の粒で満たしていく。

「な、なにこれ!?」
「わからん、これ自体がウイルスの類ではなさそうだが、奴の特殊な感覚器官かもしれん。だとしたら早く逃げないと奴の思うつぼだ!」
間髪入れず、ラタトスクは毒吐きコブラのように唾液を前方に吐きかけた。唾液を浴びた騒音キューブはバチバチと音を立てながら赤い火花を上げ、たちまち崩れて黒に原色を散らしたような灰と化した。

炸裂するキューブを背後に、一行は脱兎のごとく飛び出した。ボストークは胴体下のブースターを最大出力で噴射し、レイとジャスミンはその体に必死でしがみ付く。その横を、色のついた風のように並走するシュミット。
「あの音はオブジェクトのプロテクトが破られる音だ、電子兵装の稼働テストで見たことがある。」
「成程、それで原初的なウイルスにああも易々とやられていたのか。ということは、我々も絶対に喰らうわけにはいかないな…。」
後方、執念深い捕食者が地を蹴り通路を猛然と追ってくるのが見えた。


「ええええい!」
ジャスミンは絶叫と共に回廊を塞ぐほどの大量の丸太や竹槍を出現させ、背後の空間を埋め尽くした。大ネズミはバリケードに喰い付き、突き破ろうとしするがそこにシュミットが燃え上がる火矢を放ち、バリケードを形成していたオブジェクトをオーバーロードで大爆発させる。
「やったか!?」
だがそこにいたのは、燃え上がる炎の中から悠然と踏み出してくる絶対強者の姿だった。巨体は震わせると灰や炎がボロボロと落ち、さした傷でないことを見せつけていた。そして白く濁っていた目の奥が赤く光を放ち、本格的に憤怒に燃えているのは明らかだった。

「やっちまった……。」
「お、おこってる…!」
「Kabooooom!!」
もはや鳴き声の体裁をなさない雷のような轟音を発しながら、全身の毛を逆立てるラタトスク。その背からは極彩色のパーティクルが大量に噴き出し、迷宮を色の洪水で満たしていく。虹色に染まった回廊を全速力で逃げる4体のアバター、それを追う迷宮の王。

エイ魚人のレイはボストークの背に乗ったままバイオチェーンソーで天井を斬り付け、大ネズミめがけて瓦礫の雨を降らせる。しかし捕食者は全く意に介することなく天井盤の破片を跳ねのけ、追撃をやめようとしない。

極彩色の回廊を駆け抜ける探検家と恐るべき捕食者。逃げ惑う小動物たち。撒き散らされるウイルスの飛沫を浴びて溶けていくキノコ型の木々。パニックに陥った地底迷宮の追撃戦は、しかし終わりを迎えようとしていた。
「やべぇぞ、行き止まりだ!」


10m程距離を開けて、退路を塞ぐように立ちはだかる巨獣。口元からは油膜の様に色彩を帯びた唾液と、蒸気のように沸き上がる息を漏らしていた。
「ど、どうすんだこれ!?」
シュミットは緊急用モバイルインベントリに手を突っ込んで必死に漁っていた。それは、魔術部隊壊滅後に今更アクティブになった代物で、危険が迫った際に使用するための物品が収められていた。
「これだ!」

金髪のハイエルフは錠剤を大きくしたようなカプセルを掴むと、大ネズミのいる方に投げつけた。カプセルは破裂すると幾つものグリッチと共に、捕食者との間に巨大なトカゲを出現させた。
「レリック・ラニア。戦闘用の人工電子生物だ。」
「人工電子生物?そんなもの聞いたことないぞ!?」
「カヴンチェインには"そういうの"があるんだよ!」
オオトカゲは主人の命を待つまでもなく、ラタトスクに飛び掛かると互いに喰い付き合い乱闘に突入した。

「ねぇ、あのこ…かてるの?」
「おそらくや無理だ。時間稼ぎをするのが限界だろう。一瞬のスキをついて抜け出すしか…。」
しかし二頭の巨体は狭い通路で組み合ったまま四方八方へ暴れまわり、お互いを壁に叩き付け合って譲らない。
「GRRRRR…」
「hiiiisss…」
重い唸り声が虹色の回廊に響き渡る。

ラニアはラタトスクといい勝負を演じていたが、次第に動きが鈍くなっていくのが見えた。その体には、噛み跡を通じて撃ち込まれたウイルスによる侵蝕が始まっていた。
「くそ、時間が無い……!」
その時、レイは背後の壁から微かに風が漏れてくるのを感じた。
「なあ、この壁の向こうにまだ道があるみたいだ!」
3人が振り向くのを待たず、この少年魚人はバイオチェーンソーを風穴に突き立てて突き崩そうとする。
「くっそかてぇなちくしょお!!」

オオトカゲが喉元に喰い付かれ、地に叩きつけられる。ラニアにはプロテクト再生システムが内蔵されており、全身のコードの90%を汚染または破壊されても再生が可能だ。だがこの迷宮の主は、忠実なる竜兵をもねじ伏せようとしていた。その時、風穴を覆う壁の一点にヒビが入り一気に貫通した。

「今だ、行け!!」
殺到する一同、しかし彼らはその先を見ていなかった。そこにあったのは別の支流から通じていたであろうデータストリームの激流だった。
「うわあああああ!!」
大河川は4人を飲み込み、遥か下流へと一気に押し流していった。