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Legacy Ocean Report #33.5 凍てつく水時計の底で

電脳都市3333番、サイバークリスマス。一年中凍てつくような青い光が降り注ぐこの街は、十一月半ば頃から急に来訪者が増え始める。どんな環境でも再現できると言われたところでやはり人は、季節の習慣を求めてしまうのだ。

それにこの街は、いくら寒々しいと言っても凍え死んだりしない。君の部屋が物理的に冷蔵庫のような環境なら話は別だが。

……で、ここはどこだ?

少しの間気を失っていたと思ったら、いつの間にかよく分からない所に転送されていた。周囲を鋼鉄製の壁で覆われた小部屋。正面には黒い扉と、「進入禁止区画」の文字が踊っている。何だここは?

変なところに入り込んでしまったならリスポーンするか別の都市に飛べばいいじゃないかと思うだろう。私も思った。ところがコンソールのコンティネントフライトが機能しない。しかも恐らくこの状態でログアウトすると一次離脱状態と見なされ、アバターがその場に置き去りにされてしまう。つまり、解決策にならないのだ。

私は、恐る恐る扉に手を掛けた。スタッフルームならスタッフがいるだろう。あるいはホットラインがある筈だ。事情を話せば転送してもらえる。厚さ三十センチはあろう重たい扉をゆっくりと押し開く。


「これは…。」
そこに広がっていたのは、さながらもうひとつの街。華やかなクリスマスの街の裏に、こんな場所が隠されていたとは。ただ、静まり返ったこの裏街道には人影が全く見えない。

「おや。客人とは珍しいね。アンダースノーへようこそ。」
不意に、建物の間から声が飛び込んできた。恐る恐る顔を向ける。そこには、ボロボロの服を纏った壮年の男性が、焚き火で暖を取っていた。

「ここは、何処なんです?」
「だから言ったろ、アンダースノー。電脳都市3333番の下層区画さ。もっとも、一般には公表してないんだがね。」
男は焚き火に手をかざしながら、はにかんで笑った。
「確かに、サイバークリスマスにこんな場所があるなんて全く知りませんでしたよ。」
「だろうね。それに、その都市名も最初からじゃないんだ。」

「え?」
「そこのストリートアートを見てごらん。」
指差した先には、裏通りにスプレーで描いた落書きのような字で『NANA BLUE』と書かれている。
「これが、本来の都市名ですか。」
「ああ。元々地上区画のタワーは『希望の塔』って名前の代物だったんだとさ。運営母体が解散して都市が格安で売りに出されてたのを、ペンデュラムグループが買い取って改造したのさ。」

「希望……希望とは…?」
「負けるなってことじゃないかねぇ。諦めてたらそこで道が閉じちまうだろ?まあ無責任な話と言えばそうだけどな。」
壮年の男性はそう言いながら薪をくべる。薪は焚き火の中で赤熱し、パチパチと音を立てながらパーティクルを舞い上がらせる。VR体験の原初からあるというヒーリングの一種だ。

「ところでここで何を?」
「ああ、申し遅れたな。私はジョンストン。ここのキャピタルマスターだ。といっても企業所有都市の請負管理人だがね。こうやって普段は人目に付かないところでのんびりしながら、何かあった時に備えて待機してるのさ。」

「管理人!そうだ、ここから出られなくなってるんです!コンティネントフライトが無効化されていて!」
男性は自らのコンソールを開き、確認する。
「確かに効かないな。しかも強制転送もオフになってやがる。となると……すぐに出るには、区画の先のリスポーンブロックを起動するしかないな。」
皺の寄った顔が苦い顔をした。

「何か、問題があるんですか?」
「この下層区画は前運営時代のセキュリティ機能がまだ生きてるのさ。何しろ俺らが見つけたのすら最近でね。入ってみたらドローンの電子銃が火を噴いてきやがるの。制圧部隊の申請が中々通らないから封鎖してるんだが…。」
噛み潰したような顔がこちらを向く。それはまるで、舞台裏で休んでいるサンタを見たようなばつの悪さがあった。
「入ってきちまったもんはしょうがないな。あんた、名前は?」
「ロックスミスです!」
「ようしスミス、少々荒事になるから覚悟しとけよ。」


ジョンストンは建ち並ぶ建物の一つのシャッターを開け、照明を点けた。そこに並ぶのは地上の華やかさとは真逆の、無骨な機械の数々。彼はその一つを手に取る。

「どうだい。ペンデュラムアームのパワードスーツをデザインと機能の両方で再現した業物だ。」
「…ここに来てプレゼンですか?それともこれを着るとでも?」
妙に軽妙に語り始めたので斜に構えてみた。
「もちろん着て貰うよ、蜂の巣になりたくなければ。」
マジか。彼が指差しているのは、さながら着る重機のような代物なのだ。

アバターの背中をパワードスーツに合わせる。スーツは瞬時に体格を認識し、金属製のボディが当然のように伸縮して全身をロックした。顔は出たままだが、スーツのバリアによって保護されると言う。

「実物は重くてかなわん木偶の坊だが、こいつは悪くないだろ?」
足を二、三度踏みしめ、腕を振り、跳ねてみる。重量物の感覚はほとんど無い。非常に快適だ。
「そしてこいつを持っていく。」
ひょいと渡されたのはなんと大型電子銃。いざとなったら戦闘も辞さないとは物々しい話だ。


上層から溢れる青い光とモノクロームな外壁が混じり合った、雪捨て場のような寒々しい光景。その両側に建ち並ぶ無個性な建物の間を、黄色と赤色のロボットじみたパワードスーツが行く。赤色が私だ。

「気を付けな。ここから先が警戒ラインだ。巡回してるbotが網を張ってやがるぜ。」
パワードスーツは周囲の要注意項目を次々とピックアップし、視覚UIにスタックする。標準インターフェースと比べて優秀な、しかしやたら騒がしい代物。そしてその一つが、優先度を一気に上げて赤色に点灯した!

BLAM!!
建物の影から躍り出た一台のクラウンアバターじみたbotを、次の瞬間電子銃の弾丸が撃ち抜き、爆散させた。飛び散ったピエロの残骸は無数のドットに分解し、霧のように消えた。
「遅せえよ馬鹿野郎!」
呆気にとられていた私は、その声で我に返った。
「スミス、おめえもちゃんと戦え!」
私は銃底で床を叩き、答えた。

「…ここで動くものは全て敵?」
「いきなり物騒な事言うな、まあそうだ。アンダースノーで動くものはあんたと、俺と」
BLAM!!
私は反射的に電脳ライフルのトリガーを点火、滑る様に飛来したクラウンを撃ち落とした。
「…分かってんじゃねぇか。」

「本当はあんまり暴れるのは良くねぇんだ。上層に響くかもしれねぇからな。だがこの狭い道でどこからともなく湧いて来るんじゃあな。」
我々は十数機のバトルクラウンを撃破し、区画の先に到達した。
「ここに転送装置が?」
「ここじゃねぇ、あと二つ先の区画だ。」

アンダースノーは「カヤネズミ」「ヒュドラ」「クァッガ」の三区画が列車の様に連なった構造で、今いるのがカヤネズミの最後尾にある休憩所。とは言っても、この重機じみたスーツを装着したままではベンチに座ることも出来ないのだが。何故か稼働を続ける自販機では「タノシイ・ドット」なる聞き慣れない素子が売られていたが、危ないから止めておけと釘を刺されてしまった。

「どっちかと言うと俺らが欲しい素子はこっちだな。」
屈み込んでいたジョンストンが立ち上がるとその手には、金属光沢を放つブロックが。彼が躊躇無く素子を起動させると、区画間を封鎖していた分厚い壁がハッキングされ、瞬時に消滅した。


区画間を繋ぐ短い回廊を抜け、第二区画「ヒュドラ」に進入する。死角となるこのエントリーが一番危ないらしい。
「やけに詳しいじゃないですか。」
「時々ここを通らなきゃいけねぇ時があるんだよ。敵対bot共を蹴散らせば到達は出来るんだが根本的な解決になってねぇ。いつかは何とかしてスポーンを止めなきゃならねぇんだ。」

そう言いながら水先案内人は銃を天井に向けた。そこには数羽の、やけに痩せ細ったカラスが止まっている。
「レイヴンだ。さっきのより手強いぞ。」
BLAM!!BLAM!!
先手必勝、私達は連射性能に優れるコマンドマグナムで狙い撃ちにした。しかし弾丸は、僅かな電光とノイズ音を上げて消滅してしまった。この華奢な鳥は、対抗スプリクトのシールドに守られているのだ。

「なるほど厄介、それで何か策は?」
「物量で押し切る!」
BLAM!!BLAM!!BLAM!!BLAM!!
二十発の弾丸がシールドの許容量を越え、本体に到達、よろめきながらも攻撃を試みるレイヴンだったが次の弾丸が頭を撃ち抜き、遂に墜落した。

「何てタフさ!」
「おい、もう一羽来るぞ!」
Thud!!
「ぐはぁっ!?」
反応が一瞬遅かった。不意打ちを仕掛けたレイヴンの矢のような打突が、私の左脇腹を直撃したのだ。その瞬間、私は実際には物理肉体が食らってない筈の激痛を感じた。接触判定のフィードバックに異常数値が入力され、情報の逆流が幻覚を引き起こす現象、オーバーショックだ。
「あぁ、うぐぁあああ!!」
「畜生!待ってろ今行くぞ!」

そのまま後ろに飛び退こうとする電脳カラス、だが意地ではこちらが勝った。私は半ばうずくまりながらレイヴンの足を掴み引きずり込むと、パワードスーツのゴツいアームで思い切り殴り付けてやった。さらにパイルドライバー型の電子衝撃装置でシールドを強引に削り、そのまま叩き潰した。黒いドットが爆ぜるような音と共に、ガラスを割ったように周囲に飛び散る。

「無茶しやがる…バーサーカーかよ。」
息も絶え絶えの私をジョンストンが介抱してくれた。
「…すみません。」
「あんたヘッドセットだろ?全身触覚スーツで今のを食らってたら、ただじゃすまなかったかもな。」
身の毛もよだつ話だ。これが深く潜るという事か。


「本当かどうか知らねぇけどよ、世の中には死んだままアバターだけ残ってるプレイヤーの噂話を時々耳にするんだ。冗談みたいな話だろ?俺もそう思う。だが……あんたは生きてるよな?」
「生きてますよ、今のところはね。」
生きている。脚の痺れを極端にしたような痛みがまだ抜けないが、それを道標に自分の命を感じる。早くこんなところを抜け出したい。目の前でカラスがまた墜ちる。6羽目だ。まもなく、次の区画。

「ここも素子でハッキングを?」
「ところがそうもいかねぇんだ、こいつはより頑強で受け付けねぇ。」
ジョンストンは素子を投げ捨てた。そして、おもむろに背後にあったガラクタの山から一メートル立方はあろう演算キューブを担ぎ上げた。
「お前も手を貸せ!」
二人掛かりでバカでかいキューブを持ち上げ、扉めがけて投げ付ける!

論理演算ロックは異常な値を検出し、システムが破綻して崩壊した。ぬりかべめいて通路を塞いでいた壁が霧散する。
「乱暴なもんですね。」
「こんな簡単な解決法にすら対策してない奴さんが悪い。あるいは、これが正攻法なのかもしれん。なんにせよ早く行くぞ。」
我々は第三の区画「クァッガ」に踏み込む。


最終区画、クァッガ。足を踏み入れた瞬間、生温い空気と冬の冷気が互いに拒絶し合いながら混在するような気味悪さを感じた。
「この一番奥に転送装置が?」
「ああ、もう見えるだろ、あそこだ。」
渡り廊下のように伸びた区画の一番奥、廃棄処分場と書かれたネオンが光る場所。案内人の指先は、間違いなくそこを指していた。
「あのゴミ捨て場がですか?」

「確かに一見そう見える。だがここの実態は演算室だ。勿論もう動いてないが。アンダースノーがかつてどんな運用をされていたか知る手掛かりがある…かもしれん。」
そう言いながら、ジョンストンは辺りをきょろきょろ見渡した。
「ここにも敵対botが?演算室にダメージを与えるのは好ましくないはずですが。」
私は視線を床、壁、天井と走らせる。何も見当たらない。

「ところがいるんだよ。しかも必ず出てくるって訳じゃない。俺達は二回目の調査で出くわしちまって、痛い目に遭った。」
一歩また一歩、奥に近付く。あと二十メートル。
「恐らくだが自爆装置みたいなもんで、証拠もろとも敵を殲滅するように作られてる。」
しかしその恐るべき敵は現れること無く、我々は廃棄場まで到着した。

「…出て来ませんでしたね。」
「安心するのはまだ早い。上層に戻るまで狙われるリスクがあると思え。そのガラクタの中に埋まってる筈の、金色の転送キューブを掘り当て起動するまでがミッションだ。」
雑多に積まれた機械やリソースタンクの山を切り崩し押し退けながら、キューブを探す。十センチ立方の小さな物体とは言え、すぐに見つかるはず…。

「…見つかりませんよ…?」
「そんな馬鹿な、あれだけ埋まっていたのが一体何処へ…。」
その直後、背後で大きな質量が着地する音がした。アンダースノーの床面がぐらぐらと揺れる。
振り向くとそこには、六本の脚と四本の腕を備えた異形のヒューマノイドが立っていた。その背丈、実に三メートル。


「来ちまったか…。」
それは地上階に置かれた多脚車両のモックアップより遥かに華奢で、物理的に生産することを放棄した前衛芸術のようなデザインだった。
「ここの番人、仮ネームコードはカサンドラだ。」

カサンドラは四本の腕にそれぞれ剣を構え、ゆっくりと近付いてくる。西洋甲冑の兜のような頭部の中央で光る目はその間も、こちらを冷酷に見据え続けている。

「おいスミス、まだ見つからねぇのか!?」
ジョンストンの半ば叫ぶような声で、睨まれ動けなくなっていた私の硬直が解けた。
「えっ!?」
「一人や二人で勝てる相手じゃねぇ、一刻も早く脱出するんだよ!」
私は迫り来る殺人兵器の足音を背に、ダストだらけのガラクタの山に手を突っ込んだ。キューブらしい感触がない。

ジョンストンは先程より明らかに焦っていた。恐らくトライデントクラスの兵士数名でやっと張り合える相手なのだ。雪のような冷たさを伴うダストの中、必死にキューブを探る。

BLAM!!
遂に後ろで大型ライフルが火を噴いた。しかしガチャガチャと音を立てるこの異形の甲冑は、全く意に介せず手にした大剣を振りかざした。
「スミス!あぶねぇ避けろ!」
とっさに振り向き、ガラクタの山を転げながらかわす。そのすぐ後ろでリソースタンクが両断され、大量のスノーパーティクルが吹雪のように撒き散らされていく。その中に、金色に輝く点が一つ。

「あれだ、起動しろ!」
「ジョンストン、あんたは!?」
「俺はプロだ何とかする、行け!」
私はカサンドラが繰り出す横凪ぎの斬撃を一瞬の判断で伏せてやり過ごすと、もはや雪まみれで無に等しい視界の中心に輝く、リスポーンキューブを掴み、起動した。


緊張感とは無縁の電子音、そして緑色の閃光が視界を覆いつくしたと思った瞬間、私はサイバークリスマスのベンチで横になっているのに気づいた。どれだけ気を失っていたのか。時計を見ると午前一時半。人影はまばらだ。

オーバーショックの痛みも全く感じない。ヘッドセットのログを確認しようとしても、詳しい行動ログが残っていない。まるでここでずっと寝ていたのかのように。

変な夢でも見ていたのだろうか。辺りは相変わらず青白い景色が広がっている。深々と降る雪のパーティクルが寒々しい。早く帰ろう。

立ち上がったその時、足元からわずかな振動と共に、重々しい遠鳴りが聞こえてきた。