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【Legacy Ocean Report】#04 鳥籠の勇者

電脳都市6548番、ベルガモット。閉ざされた渓谷のような荒々しい地形に、掘り抜かれた穴を利用した住居が並ぶ。 その光景はさながら、カッパドキアの岩窟のようだった。電脳都市は特段の設定をしない限り雨が降ることもないが、一日のリズムを刻むためとして、最上部の外縁スクリーンには毎日太陽や星が流れる。

この遺跡のような風貌の都市に特殊な点があるとすれば、ここには住民が"住んで"いるのだ。ポータル人口620名、その全てが各地で放浪していたスケープゴート達。ここは彼らの自治区であり、厳重に管理された鳥籠であった。

かつて、何らかの未知の現象によってアバターに魂が宿り、スケープゴートは生まれた。長く真面目に議論されることのなかったこの都市伝説じみた存在は、不完全なスケープゴートの大量出現…通称「グリーンマン事件」によって衆目に晒され、対処を迫られることになった。

秘密裏に進められた調査の結果、メガロチェイン全体で実に数千体のスケープゴートが存在し、電脳都市群の経済に深く根を張っていることが分かってきた。そして、未だ野放しの個体が相当数いることも。ベルガモットは、こうした野放しのスケープゴートを収容し、一定の自治権を与え、人類に無害な形で共存させるための試みである。あるいは、それが叶うまでの仮住まいかもしれない。

「腹減った…。」
水汲みを終えたレイは木陰に座り込んだ。スケープゴートは人間と違い、基本的に物理的な飲食ができない。何しろ現実空間に肉体がないのだから当然である。代わりに、VR喫食で活動に必要なエネルギーを得ることが可能なことがわかっているが、そのメカニズムは未だ不明である。何にせよエレクトロフイッシャー達にとっては、所詮嗜好品に過ぎないVR疑似感覚食とは根本的に異なる需要が出たわけで、大いに歓迎された。

「おい何サボってる?」
通りすがりの丈夫がレイを見つけ、声を掛けた。彼の名はシンバシ、れっきとした人間だがスケープゴートの研究の為、度々この都市に出入りしている。実質的なお目付け役でもあり、住民が都市を自立的に稼働させているかをチェックしていた。

「サボってねえよ、もう終わってる。第一、水も何もかも各自に自動配給されればいいんじゃねぇのか。」
「人間の社会でそれを何というか教えてやる、ペットだ。」
「ペットって何だ?」
「主に愛玩用に飼い慣らした動物だ、気ままっちゃあ気ままだが…そこに未来はない。お前らははゆくゆくは、メガロチェインの市民として生きていくことを求められているんだ。名誉な話じゃねぇか。」

「名誉ねぇ…こんな閉ざされた狭い場所でそんな夢を語られてもなぁ。」
レイは木漏れ日越しに空を見た。外界を正確に反映したスクリーンは、天辺近くを進む太陽を写し出していた。サメとエイの合の子のような尾が気だるげに地面を打つ。レイは、スケープゴートではかなり珍しい亜人型なのだ。

人間たちが魑魅魍魎のアバターを纏う一方で、スケープゴートへ転ずるのはほぼ完全な人間型が大半だった。レイもこの都市に来る際に稀少事例として色々調べられたが、他の個体と外観以外の本質的な差異を見つけることはできなかった。

「確かにここは牢屋みたいかもしれんな、俺なんかはこういう集落に憧れがなくもないが。」
「牢屋?」
「人間のコミュニティにおいて、ルール違反を侵した個体を罰則として収容する場所だ。罰が軽ければ相応の金を払うだけで済むこともあるし、極端に重い場合処分されることもある。」
「同族を処分って、いったい何をしたらそんな事になるんだよ。」
「そうだな…他の人間を何人も殺したりとかすると、処分もあり得る事になる。まあお前たちには関係の…どうした?」
レイは急に視線を落とし、静かになった。

「…俺、何か悪いこと言っちまったか?」
シンバシは不安になって尋ねた。
「一つだけ教えてくれ、グリーンマン事件で湧いてきた"アレ"は、俺達の同族なのか?」
レイの口調から、それまでのだらんとした態度は消えていた。魂が宿っている筈の人形は非常に無機質に聞き返したが、それはかえって不気味に聞こえた。

「…難しいな、魂の定義なんて俺達も知らねぇよ。確かにあの日、無制御のゾンビのようにさ迷うアバターの集団を"破壊"した。非常事態だからと躊躇なくヤっちまったが、今思えば不気味な話だな。」
シンバシは回答に困りながら、レイの右腕のタトゥーに視線を向けた。そこには、チェーンソーのような紋様が刻まれている。

レイの体である魚人のアバターは、見た目だけでなく様々なギミックが仕込まれていた。まず右腕のタトゥーは非常時には実体化し展延、ノコギリエイの吻部を思わせる長大なバイオチェーンソーが前腕から生えた格好となる。左腕はというとこちらはエイの尾から生えている毒トゲを模したであろう、レイピアのような細剣が伸びてくる仕掛けが。さらに電子兵装をベースとした生体電磁パルス放射器官まで見つかっている。

当然この物々しい武装ゆえ見つかればただでは済むはずもなく、レイは長年都市の深淵に隠れ潜んでいた。しかしグリーンマン事件に際し、パニックに陥った街を見過ごすことが出来ず飛び出してしまった。

緊急警報を受けてスクランブル出撃したトライデントの本隊が見たのは、八つ裂きにされ機能停止した不完全アバターの残骸の山と、その中心でだらんと垂らした両腕から刃を生やした少年の姿だった。遠くからでもわかる赤く光る目が、夕日が作る影の中で灯っていた。

「…お前は正しいことをやった、俺はそう思うぜ。」
シンバシは当時避難誘導に加わっており、遠目に嵐のように暴れるレイの姿を見ていた。一体たりとも逃すまいと両腕を振りかざし、電磁パルスで硬直したゾンビアバターを両断した。その動きに、迷いはないように見えた。

レイ=テンペスト

それは、名も無き魚人人形にシンバシが付けた、称号にも等しい名前だった。

「……正しいかどうかじゃない、あれは同族だったのかと。例えここに住んでるような完全なスケープゴートでも、あんな事態になれば俺は戦ったと思う。」
レイは答えが出ないことを悟り、あくびをしてその場の緊張を解いた。
シンバシは早々に立ち去ることもできず頭を掻く。

「それを決めることは、あなたたちの立場を危うくすると判断されたのよ。」
二人の後ろから背の高い女性が声をかけた、虚を突かれたレイたちは慌てて振り向く。
「エクト・マスコット現象は実は珍しい話じゃないことがわかっているわ。ただそのほとんどは知性の獲得が不十分で、電子生物の餌食になったり事故死したり、あるいはそもそも魂が宿ったアバターが損傷していてうまく稼働しなかったりするの。」

女性の名はミーミー。シンバシと同じ監視役の人間だが、より研究者気質だ。しかしスケープゴートの扱いや定義に関しては、彼女といえど明言する権限がない。
「広範にいうなら、魂が宿った時点で同じ種族よ。あなたたちのように自我や知性を持ったグループと、無制御にさまよっているだけのグループを分けるにはまだまだデータが足りないの。これ以上先に進むには無制御活動アバターの生け捕りが必要かもしれないわね。」

「そのうちそういう話が来るかもしれんな、誰がやるかは知らんが。」
シンバシは立ち上がって伸びをした。
「でもどうせ俺たちは関係ないんだろ、何しろ出られないんだから。」
レイは皮肉を込めて言ったつもりだったが、それに対して返ってきた答えは思いもよらないものだった。

「そうとも限らないわ、スケープゴートの特殊部隊を組む構想が前々から上がっているの。」
ミーミーはホログラムを広げ、二人に見せた。
「おいおいこれは俺も初めて見るぞ、それに機密書類じゃないのかこれ。」
「公表は今日の午後2時、もうお咎めもないと思うわ。それより中身を見て、この特殊部隊“ヴァリャーギ”のところ。」
彼女が指さした先にあったのは、VR適性が高く物理的な肉体に左右されないスケープゴートをメガロチェイン内の防衛システムとして活用する構想だった。

「防衛システムとして、というのがミソだな。元々メガロチェイン内のアバターである以上この都市のシステムである、という方便が出来る。」
シンバシは怪訝な目で記事を見ていた。
「でもこれ、結局待機ポート内に普段は隔離されて緊急時はスクランブルするってあるじゃねぇか。今以上に窮屈になる、鉄砲の中の弾丸かよ。」
不平を漏らすレイに対してミーミーは含み笑いした。
「『そういうことにしている』だけかもしれないけれどね。」
レイとシンバシは真顔になった。

「個人的に気になるのはむしろこっちね、ヴァリャーギの計画の中に小さく書いてある…『未開拓エリアの調査』への活用って所。」
レイは記事の端にかなり小さく書かれた内容を指さした。左手では拡大鏡のオブジェクトを出して記事を拡大する。
「エラー領域など、未知の事象が確認されているエリアを調査する際に人間が立ち入ることによるリスクの軽減を目的とする。」
シンバシは小声で記事を読み上げた。
「エラー領域とか言ってるけれど、要は探査すると危ない場所に送り込もうという話か。言いたいことはわからんでもないが…物理的肉体がない以上何かあったらそのまま消えてなくなっちまう。強制切断なんかできないわけで……レイ?」

レイはじっとその記事を見つめていた。
「要するに冒険家だろ、面白そうじゃねぇか。」
シンバシはため息をついて制した。
「下手するとトライデントより危険な職業だぞ、いつ何が襲ってくるかもわからん。未開拓エリアというのは、空間が突然分断されてそこにいたやつが真っ二つにされちまう恐れもある。帰還不能になったらおしまいなお前らに向いているとは思わん。」
「でも、ここで一生を過ごすよりはマシだと思うんだ。メガロチェインの市民権を得て大手を振って歩ける日が来る、保証なんてないんだろ?」
シンバシは空を見上げた、それはまるで大穴から見上げた外界そのものであった。それが作りものと分かっていても、空を流れる雲や太陽は外の世界にはそういうものがある事を否応なしに自覚させ、自分たちが住んでいるのは箱庭であり鳥籠なのだと思い知らせるに十分だった。
「ここが窮屈なのはわかる、だが、安易にハイリスクな道を選ぶべきじゃないと、俺は思う。」

ミーミーは説教じみたシンバシの説得を聞き終えると、ホログラムを閉じた。
「チャンスはいつか来るとして、これはちょっと危険な話だと思うわ。でも本当に行きたいのなら私は止めない、この未開拓領域調査にはいずれスケープゴートの助けがいる。生身の人間がフラットラインを起こした事例を何件も見てきた身としてはね。」
そういうと彼女はその場から立ち去った。

「…あいつの言う通り、俺らが何と言おうといつかはお声がかかるような気もする。その日が来たらお前さん自身が決めることだ。」
シンバシは若干不服そうな顔をしたまま立ち上がり、ミーミーを追ってポータルへと戻っていった。