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【Legacy Ocean Report】#08 坑道の番人

VR空間「メガロチェイン・ネットワークス」を侵食した謎の電子空間網、ヨルムンガンド・システム。その全貌解明の第一歩を目指した初の有人探査計画は、自我を持つアバターからなる部隊「アヌビス」のロストをもって中断を余儀なくされた。しかしアヌビスは生きており、ヨルムンガンドの未踏破区画を人知れず彷徨っていた。サーチライトの光が、洞窟の闇を切り裂くー

6脚の大型アバター、ボストークがガチャガチャと音を立てて爪先を地面に突き立てる。その背では小柄な少女のアバターであるジャスミンがヘッドランプの光で外壁を照らしていた。岩のように見えるのはジャンクデータの残骸で、まるで半分溶けてから固着したように固まり一体化している。前方ではエイの魚人…サハギンタイプのアバターであるレイが先導するように足元を照らしていた。彼らはいずれも人間がVRスコープとコントローラで動かしているわけではない。未知の現象「エクト・マスコット」によってアバターそのものが自我を得た存在であり、現状電子生物の一種「スケープゴート」として扱われている。

「……チィ、どこまでいっても本当に何もないな…。なあ、この通路の突き当りまで一気に移動する方法とか無いのか?」
レイは足元の小石を蹴り飛ばしながら愚痴を吐いた。『小雨のテラス』と呼んだポイントでの休憩から、もう3時間は歩いている。果てしない闇は生還の希望を、少しづつ蝕んでいく。アバターと魂が一体化したスケープゴートにとって、アバターロストは死そのものであった。
「原始的なVRネットワークにはそのような高速移動もあったらしい。しかし物理現象を厳密に管理するメガロチェインではそのような利便性ありきな行動には厳しい制約がかかる。」
ボストークは胴体下部のブースターにサブアームを伸ばした。洞窟の天井はおよそ4m、ホバリングして移動するには空間が狭すぎる。

「もっとも強引に移動しようにも、前方に危険がないとも限ら…待て。」
ボストークはコンティネントスキャナをハイビームモードに切り替え、集音マイクのボリュームを上げた。二人はこの生けるロボットが何を感知したのかと、聞き耳を立てながら監視カメラに似た頭部に視線を向ける。

「遠くで何か叩くような音がする、落石音じゃない。」
レイは洞窟の壁面に横顔を押し付け、目をつむって音を探る。すると確かに、コーン…コーン…と何かがぶつかるような音がする。小さいが重い音、距離があるだけでかなり強い衝撃が起きているように思える。
「なんだ……これ……確かに遠くでコンコン音がする。」
ジャスミンはよく聞こえないのか、キョロキョロしている。
「注意して進むぞ、嫌な予感がする。もしかすると今度こそ奴と一戦交えることになるかもしれない。」
作戦会議でホログラムに映った要注意存在。歩く城塞。ゴーレムの姿が一同の目に浮かぶ。並の電子生物なら一閃が可能な電子衝撃装置でも簡単には仕留められないという。

「……?」
多脚ロボットの背で岩壁を照らしていたジャスミンは、壁に何か直方体の物体が埋まっているのに気づいた。
「なにこれ、なにかうまってる。」
レイはライトで周囲を照らすと、壁面の他に足元にも同じような物体が左右一列で埋まっていた。ボストークは立ち止まると首を伸ばし、カメラを物体に近づける。
「……これは、木材だ。樹木の加工品で幹から表面部を除去して成型し作成する。目で見た方が早いな、ジャスミン、大きめな枝を作れるか?」
次の瞬間、彼の背に乗っていた少女の首筋から太い枝が伸びてきた。枝は1m程伸びたところで根元近くがアポトーシスするように千切れ、ボストークの足元に転がった。
「ありがとう。この状態だと樹皮という皮が付いているのでこれを剥ぎ取り、必要な形に加工することで我々の周囲にあるような物体が製作される。」

レイは左腕のテールソードで慎重に枝を切断し、大雑把な直方体を切り出すとそれを色々な方向から眺めた。
「なるほど、同じものだ。」
「実際はもっと大きな幹から叩き切って採集する。そしてこれがあるという事は、この先に人工的建造物があると考えられる。」
「だれかいるの?」
「それはわからない。原形をとどめ、機能が止まり切っていないコンティネントが埋まっているだけかもしれない。しかし、コンティネントスキャナに何らかの反応はない。」
コンティネントスキャナは依然として『Jörmungandr system』と表示し続けていた。木材に当てても変化はない。
「しかし、この配置は明らかに人為的、例えば坑道のように見える。」

「坑道とは、人間達が地下に埋まった資源を入手するために地下に開けた横穴通路だ。このように木材を配置し、崩落を防止していることが多い。」
しかしこの横穴には照明を始め設備のようなものは他に見つからない。レイは自ら切り出した木材で壁を叩きながら歩いた。
「あまり音を出さない方がいい、こちらの居場所を教えているようなものだ。」
「もし何か居たとして、どのみちこの先を進めばエンカウントしちまう。反応を探った方が得策だ。」
魚人は再び耳をすませる。相変わらず遠くで何かがぶつかる音がしていたが、明らかにその距離は狭まっていた。そして、不意に音が止んだ。
「…音が、しなくなった。」
ボストーク達の方を振り向いたレイが見たのは、緊張感に包まれた二人の姿だった。彼らの視線の先、遠い暗闇の中で6つの赤い光が灯っていた。

とっさに左手で右腕を押さえるレイ。そこには、線路のような独特なタトゥーが刻み込まれていた。これは彼のアバター独自の特殊なギミックで、非常時には凶悪なバイオチェーンソーを生やすことが出来る。同様に左腕からはレイピアが突き出てくる仕組みで、先程木材を切断したのがこれだ。
「下手に刺激しない方がいい。まだ敵と決まったわけではない。」
ボストークが小声で制止した。アプリコットに出現したゴーレムは、反撃を除くと進路上の建造物への攻撃しか行っていなかった。上手くいけばやり過ごせるかもしれない。
「周りに他の個体がいる可能性も高い。一対一なら仕留められるとしても、何十と来たら対抗出来ない。」
三人は緊張を保ったまま、慎重に距離を詰める。ゴーレムは、直立不動のままこちらをじっと見ていた。

「ピー…ゴー…ガー…」
3mに達するゴーレムの巨体は、狭い洞窟の中では一際大きく見えた。頭部からは旧時代の電子機器が出す通信接続音に酷似した、ノイズ音が聞こえてくる。あの煉瓦と土塊の体のどこに、そんなカラクリがあるのだろうか。そもそも彼らは電子生物なのか、それとも人為的に作られたレイバープログラムなのか。しかしやり過ごそうとする三人には、それを考える余裕はなかった。もう相手の腕が届く距離にある。ノイズ音が集中を掻き乱す。

「…じっと、みてる…」
「ゴー…ガー…ヒュインヒュイン…」
狭い坑道に棒立ちするゴーレムの脇を、レイ達はゆっくりとしかし立ち止まることなく抜けた。どうやら相手は坑道内に出現した障害物を破壊して回っているらしい、ゴーレムが殴っていた壁には、大きな黒い結晶が突き出ているのが見えた。止まると却って危険だ、早々に立ち去って見逃してもらおう。

煉瓦の巨人から10m程距離を開けたところで、三人は一気に走り去った。ボストークの背から後方を見ていたジャスミンの目には、ゴーレムがこちらを見つめ続けているのが見えたが、巨体が暗闇に飲まれる頃には、興味を失ったのか再び壁を叩く音が鳴り始めていた。