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【Legacy Ocean Report】#20 モンスター・フィッシング

どこまでも続く海を裂くように一筋の線が走り、白波を左右に広げていく。表面を覆っていた真っ黒なダストタールはすっかり剥げ落ち、電子クルーザー船ドリトル号は真っ白な本来の姿を取り戻していた。

「しかし、ちゃんと動いてくれてよかった。」
「確かに。それにしても燃料一切無しで動いていると思うと、不思議な話だね。そういうプログラムなんだから、当たり前と言えばそうなんだけれど。」
舵を取るシュミットは、甲板で周囲を見渡すボストークととりとめの無い会話をしていた。周囲はどちらを向いても水平線が続くばかり。コンパスが正常に動いていることを祈るしかなかった。

「確かにそうだな、むしろスケープゴートを含む電子生命体が摂食を必要としている方が不思議とも言える。実際活動に必要なエネルギーに変換するプロセスはよくわかっていないし、何を食べているのか今だ不明な種も沢山いる。」

それを尻目に聞き耳を立てつつ、船尾から後方に釣糸を垂らす影が二つ。レイとジャスミンはあわよくば、この電子の海を泳ぐ魚を釣り上げんとしていた。二人とも釣りは初心者だが、食事の質がかかっているとあって真剣だった。


「中々かからないな…。」
インベントリボックスには釣果が三尾、レイが二尾でジャスミンが一尾だ。VR空間においてフィッシングはその黎明期から存在し、エキサイティングスポーツを気軽に楽しむ手段として普及している。

しかし、電子魚はそうした接待スポーツとはひと味違う。エレクトロフィッシャーという専門漁師でさえ、大物となると釣率五分に持ち込むのも難しい。陸地が近かった滝壺と違い、浅瀬に追い込むという訳にもいかない。

航跡が乱す水面、その下の僅かな動きを捉えようと、二人は糸の先を凝視していた。波を受けてせわしなく踊る浮きが海中に沈み込む、その一瞬を逃してはなるまい。レイの太魚のような口が反芻するようにモゴモゴと動く。

その数分後の事。赤と黄色のラインが入った浮きが微かに搗ち上げられたと思った次の瞬間、一気に海中に引きずり込まれていった。


「きた!」
レイはへし折れんばかりにしなる竿を引き、針を引っ掛けにかかる。糸を通じて「ジジ…」と微かなパルスが走る。電子魚の口を針が捉えた合図だ。
「あれは…。」
「シミーだ、釣り上げれば四尾目だ!」

シミーは物理空間のスケールで言うと、アジ位の大きさの魚型電子生命体だ。比較的簡単な加工で食料にすることが出来、スケープゴート向けの上等な食品として知られている。

電子の魚は水中を弾丸のように突っ切って行ったかと思うと、海面から飛び出し仕掛けを振りほどこうとする。さっきまでの個体より大型で力も強い。わずか30センチ程の小魚が、まるでカジキのごとく暴れ回る。

「しぶといやつめ…。」
相手は細い糸の先、地上の相手と違い両腕の武器も役に立たない。格闘は10分近く続いたが、やがてスタミナの尽き始めた小魚は抵抗を少しずつ弱めていった。

「もう少しだ、頑張れ!」
操舵室の二人は船尾で繰り広げられる大捕物を横目に、水平線の彼方に向けてあてもなく船を進めていた。舵輪を握り直し、コンパスと進路を照合していた、その時。


船を突然大きな揺れが襲った。二人は船体に必死でしがみつき、投げ出されんとする。衝撃は船尾からで、断続的に強い揺さぶりを繰り返した。

「何が起こった!?」
シュミットは手すりを掴みながら船体後方に身を乗り出した。そこには、無数の蔦で船体に縛り付けられた釣竿と、糸の先で化け物のごとく暴れ回る巨大な影があった。

「あれは…オオブシ!?それもかなりでかい奴だ!」
「つりあげようとしてたさかなを、あいつがたべちゃったの!」
ジャスミンは次々と蔦を現出させては、竿を固定にかかる。だが巨大魚が暴れる度に、大人の腕ほどもある蔦が軽々と引きちぎられる。

「まずいぞ、あれは我々の手に負える相手じゃない。糸を切るべき…待て、レイはどこだ!?」
「おっこちちゃった!」
「何だって!?」


最初の衝撃が船を叩き付けた際、レイは甲板から2m近く跳ね上げられ、投げ込まれるように海中に落ちていった。水面に叩き付けられた魚人の少年は衝撃で一瞬気を失いかけたがすぐに復帰し、航行を続ける船を追った。

「ちっくしょおおおおお!!なんだありゃあ!」
彼の体は半分が魚、しかし何種類もの魚のパーツを歪なパズルのように人間に埋め込んだ姿は高速での遊泳には向いていない。一方、前方では仕掛けごと獲物を飲み込んだ巨大魚が魚雷のごとき高速で、船尾のすぐ後ろで暴れている。

水中で安定姿勢に入ったレイは目を見開き、前方の巨影を視界に捉えた。オオブシは暗紫色の魚型電子生命体で、最大3mに達する大型捕食者でもある。パルスショックもアンチプロテクトも持たず、ただその巨体で砲弾のように襲い掛かる。単純だが小細工の通用しない難敵だ。その黒曜石のような質感から黒いダイヤと呼ばれて久しいが、釣りあげるのも相応に難しい。少なくとも初心者には到底無理な注文だ。

船を引きずらんばかりの怪力で、巨大魚は仕掛けを口に引っ掛けたままレイの眼前を弾丸のように横切った。左右両側に二つづつ並んだ目は緑色に光り、レイを品定めするように一瞬目を合わせると、興味を失い再び暴れようとした。だが、この生ける魚雷は少々見積もりを誤っていたようだ。

突然、オオブシの動きが鈍った。尾びれがうまく動かない。何かが引っかかったように思えた。全身を捩って振りほどこうとするが外れない。右後方の目が尾びれを視界に入れ、そして驚愕した。


スクリューの様に激しく動く尾びれ、その根元に何かがしがみ付いている。それはマグロ風情に食物連鎖の頂点に立つことを許さぬ、獰猛な肉食魚の顔だった。水中を高速で泳ぐため最適化された体は、邪魔な付着物によってバランスを大きく崩しながらも力任せに速度を上げ、振り切ろうとする。だが、もがけばもがくほど相手は力強く締め上げにかかる。いまやどちらが捕食者かは明らかだった。

「舐めんじゃねぇぞ!喰らえ!」
レイの背中から伸びた二つの肉厚な背鰭が一瞬白熱し、至近距離の泳ぐ弾丸目掛けてパルスショックを浴びせる。二発、三発、相手が止まるまで撃ち続ける。そして頑強な巨大魚のプロテクトが遂に破れ、軍事用に匹敵するサイバーパルスが体内器官を直撃する。

海面近くで暴れていた釣り糸の先が突然機雷の様に爆発し、激しい電磁パルスを発しながら水柱を上げた。水煙が晴れるとそこには、浮かび上がり息絶えた巨大魚とその頭に刃を突き立てた少年の姿があった。
「仕留めた、引き上げるぞ!」


「3メートル21センチ…特大クラスの大物だな。」
甲板に引き上げられたオオブシはボストークのボディよりもさらに大きく、調理場に入りきらない為露天解体を繰り広げることになった。そうそうお目にかかれない大物、もちろん捌くのは全員初めて。シュミットはマグロ解体の映像を思い出しながら身を下ろしていく。

「……あまり食欲をそそられない色だが、大丈夫か、これ?」
中はピンク色をしているという期待に反し、オオブシの身は質感まで水羊羹に似ており、更に栗羊羹のような感覚で抹茶色の粒が埋まっていた。
「電脳都市では高級嗜好疑似食として知られている、問題ない筈だ。」

そうは言ってみたものの、ボストークも自信がない。何しろ食べたことがないのだ。トッシャーシティで食べたあの寿司は磯臭い香りが口の中に広がり、どう考えても代用魚。むしろ虹色サザエではなかろうか。怪訝な目で切り出された魚肉のインゴットを掴む。

大振りの切り身を船上に設営したバーベキューでよく焼き、豪華な浜焼きに変える。それは高級な牛ロースに青魚の旨味を絶妙に加えたような味で、調味料を直接舐めるようと形容されることが多い電子生物の中では抜きんでて美味な逸品であった。当然レイたちにとってはいまだ食べたことのないご馳走であり、目の色を変えて次から次に齧り付いていた。

大狩猟の主役たちを脇にボストークは座り込み、焼き身をちぎっては胴体に開いた搬入口のような口に投げ込む。口の中に滋味が広がる。こんなロボットの体には不相応な感情だった。もう二度と人の体には戻れない以上、こうした豪奢な食事はなかなかない機会だった。

船上パーティを背に、機械と化した青年の影が夕焼けに映った。