【Legacy Ocean Report】#26 五人目の遭難者
部屋全体をスクリーンに変えていた光が委縮し、一本の蝋燭に戻った。間もなく部屋の照明が復帰し、元の明るさを取り戻す。
「つまり、この電子空間は異星人の観測装置で、メガロチェインはその一部を利用したシステムだというのか?」
シュミットの声は困惑していた。カヴンチェインが長年追っていた真実は、あっけないほど淡々と語られた。無尽蔵のリソースを抱えしメガロチェインの実態は、この宇宙のどこかにある未知の…それこそ、ゴードン自身でさえ顔も見たことのない文明が送り込んだ観測装置だというのだ。
「極めて重要な事実だが、厄介なのはそのあとだ。ゴードン殿、貴方はこの島から出られないといったな?」
鎌首を伸ばした機械の首が青年の顔を見据える。
「出られないよ。言うなれば見えない糸で観測装置のコアと結びつけられている。"糸"を延長する試みも、切断する試みも失敗した。もし強引に切断すれば、恐らくその時が私にとっての『死』だ。」
細い指が、手元の空間を撫でる。一見何もないようだが、陽炎の様に一瞬揺らぎ、すぐに戻った。"糸"が延びているのだ。
「じゃあ島のあちこちにいる人形達は、島の外を観測するためにいると思っていいのか?」
「そうだね、電脳都市群に対する観測自体はここでもできるけど、実際に観測するための要員も一定数抱えている。他に、先日君が会ったというリト…地球文明が生み出した、例外的に強力なAIのなれの果ても、大事な観測網として手を組んでいる。」
彷徨う亡霊と囚われの神、ここで利害は一致していたのか。
「しかし、電脳都市であのような人形を見たことはない。あえて言うならミスタリレと彼女が操る人形兵達位だが、型が違うように思える。」
ボストークはインベントリからアプリコットの資料映像を取り出し、背後でスリープ状態にあるロスと見比べる。中世から近代の兵器を模したアプリコットの兵隊に対して、こちらはネオヴィクトリア調のオートマタが闊歩している。
「あの子が使っているのは少し型が古いのさ。ここにも一応戦闘要員はいるけど、もっとずっと強い。まあ、あくまで防衛用だから島の外まで派遣することはまずないけどね。」
ゴードンが出した可動テスト映像には、階段を疾走する小型四脚戦車、壁や天井も平気で跳び回る人型兵、さらに二十メートル以上ある金属の巨兵までもが映っていた。
「なるほどこれは手強そうだ。ところで島の外と言ったが……例えば、電脳都市まで彼らを派遣することは可能なのか?」
ボストークは手応えを感じていた。先程から重要な話題が続くが、いよいよ彼らの現在の活動範囲に移ってきた。例え彼自身が島から動けなくとも、人形達は何らかのポータルを利用して移動していると思われたからだ。
「不可能ではないかもしれないけど…難しいね。」
ゴードンはため息をつき、頭に手をやった。
「ここで話すより見てもらった方が早い、来るといい。」
応接間の奥の扉がひとりでに開き、そこから続く回廊に明かりが灯った。
回廊は百メートルほど行くとゆるい螺旋階段に繋がり、そこからまた別の回廊に繋がっていた。途中には別の階段に繋がる道や、閉ざされた扉がいくつもあり、案内無しでは迷子になってしまいそうだった。
「屋上に向かっているのか?」
「ああ、でも君たちが来たラウンジとは別方向だ。」
先導するゴードンの背中は途方もなく大きく、それでいて言いようのない哀愁を漂わせていた。この男…いや、男かどうかもわからない姿にメガロチェインの全構造がのしかかっている。
塔楼を抜けると、そこには建物の外縁に沿って通路が伸びていた。太陽はもうすでに大分傾き、長く伸びた一行の影を手すりの向こうまで落とす。ゴードンは通路の幅がボストークには狭すぎると気づくや、さっと手を差し向けると通路が当然のように広がった。
「なあ、もしかしてあの太陽を今みたいに動かす事も出来るのか?」
レイはオレンジ色に光る夕日を横目に尋ねた。アナザー・オーシャンの大洋は電脳都市のものとは比べ物にならないほど高精細だ。だが、この海の管理者なら…。
「難しい質問だね、この島から見える範囲の空は周囲と同期しているけど、それを一時的に切断してしまう事ならできる。しかし、島から離れるとローカル時刻の範囲を外れてしまうから、太陽を動かせるかという答えには出来ないとしか答えられないな。」
島の管理人はあくまでも島の管理人であった。『ユニット』に搭載された端末の中でも彼は、人類との交渉が必要な場合に備えて作られた存在であり、権力は他の物言わぬ端末と比べて貧弱なものであった。
「とはいえね、幽閉されていようと僕はこの世界の王…いや、神なんだ。世界の狭間に落ちて彷徨う旅行者が衰弱していくのを、見て見ぬふりなどできない。…それに、いつまでも舐められてばかりでは居られないからね。」
振り向いた創造主の瞳は逆光の中で紅く輝き、まるで宇宙空間に浮かぶ巨星の様だった。そこには神の威厳と人の意思を併せ持った、半神じみた存在の燃えるような感情が宿っていた。
ゴードンは要塞じみた観測所の上層塔楼の一つの前で立ち止まり、壁に手をやった。煉瓦の壁がねじれる様に空間が歪み、溶けたチョコレートのように一体となって固まり、大きな扉となった。
「君たちはここまで来るまでに様々な扉を見て来ただろうけど、こういう扉もあるのさ。この扉の先は、他の端末たちにも感知できないいわば結界のようなもの。」
扉の先は思いのほか狭く、薄暗い部屋が広がっていた。彼の自室であろうか。壁や床に並んでいるのは漂着物と思われる残骸や、戯れで作ったのか船や飛行機の模型、そして観測施設から秘密裏に引き込んだ通信回線と、部屋を圧迫するほど大きなコンソール盤。
「ここは僕の部屋。さあ話そうじゃないか。自我を持った端末としてではなく、君たちと対等な存在として。」
管理人は椅子に座ると指を鳴らした。背後に巨大なスクリーンが出現し、青一色の光景とそこに点在する黄色い光点、そしてそこかしこで点滅する赤い光を映し出した。
「これが、この海の全景……。」
ゴードンはゆっくりと頷いた。
「『観測の地平』の中でだけどね。物言わぬ端末どもが、思いもよらぬ形で世界を広げている可能性は捨てきれない。だが今大事なのはそこじゃない。」
「今、このモニターにはこの島から観測出来る全海域が映っている。そして、あちこちで泡のように現れては消えている赤い光…これが、ポータルだ。電脳都市へのリソース循環は、このランダムポータルが担っている。」
それは脱出口として使うには絶望的なものであった。脱出ポータルは確かに存在した。それも一つや二つではなく、この海に次々と現れては沈みこんだガベージリソースを呑み込んで消えてゆく。それがこの海の循環であり、電脳都市の大絡繰りであった。
「ポータルの出口は?」
シュミットの声から元気は抜けていた。これが現実か。
「電脳都市群を覆う都市間空間に放り出される。電脳都市にそのまま着地できる可能性は極めて低い。いきなり都市に穴が開いてストリームが噴出してきたことなんて、無いだろ?」
うなだれる一同、だが実際に噴出している場所が存在していることにすぐに気づいた。
「レガシーオーシャン!レガシーオーシャンがあるじゃないか!あそこって確か継続的なデータストリームの噴出があるんだろう!?それに、この海と同じ電子生物が確認されてる!ここなら出られるはずだ!」
レイは勢い付いて食いついたが、ゴードンは浮かない目線でそれに答えた。
「この海に住んでいた生物や残骸が丸ごと飲まれ、大規模構造の裏を上層まで運ばれていく。上層にはリソースを各都市に配給する『貯水地』があって、そこから慎重にリソースが再生されていくのが本来のプロセスだ。レガシーオーシャンに続く抜け道は実際のところ私も知らないのだ。もしかすると抜け道など存在せず、『池』の底に偶然開いた穴から漏れ出ているだけかもしれない。」
「でも、その『池』に辿り着ければ出られるんだろう?」
「リソース配給システムは一度ガベージデータをバラバラにしてしまう。君たちが見てきた電子生物だって、一度バラバラになった生体プロセスが再構築された末に向こうで繁殖したものかもしれない。」
ゴードンは憐れむような眼で一同を見据えた。何しろ、彼らが藁をも掴む様な思いで探し求めてきた希望を叩き潰したのだ。だが、その口元には何かまだ隠しているようにも見えた。
「…つまり、ポータルを通ってレガシーオーシャンあるいはどこかの電脳都市に脱出することは不可能だと?生体もしくはそれに類する存在が生きたまま通れる安定したポータルは存在しないというのか。」
ボストークはまくしたてるように言った。対等に話すと言った以上すべて吐き出してもらわねばならない。
「不可能だよ。……一か所を除いては。」
打ちのめされ、半ば閉じかけていた一同の目が一気に開かれた。
「……今、何と言った。」
「私が知る限り一か所だけ、生体が通過可能な安定したポータルが存在する。」
管理人は調子を取り戻さんばかりに再び指を鳴らした。背後のスクリーンに映る海の一角、かなりの辺境に赤く灯り続ける光点があった。
「リラティア海底火山。レガシーオーシャンの未開拓前線領域に存在する同名の地形と、ワームホールじみて繋がっている。ただし一方通行で、向こうからこちらへ来ることはできない。」
ゴードンは深海に赤く写るドットの集合体のようなデジタルスモークの写真を見せた。スモークは海底火山のあちこちから噴き出し、それ以外にもスポンジのように無数の穴が開いている。
「こいつは数十年前に突然出現した地形で、監視を続けているけれどもポータルが途切れた事は一度もない。万が一兵隊を送り込む必要が出たときに備えて、目を付けていたんだ。」
「なるほど有益な情報だ。だが、レガシーオーシャンに存在する同名の噴出ポイントは、深度四百五十メートルと相当な大深度で、加えて認識異常などの危険な現象が確認されている。こちら側も同様に危険な環境と考えられるが。」
「そうだね、でも僕が提示できる最良のメソッドはこれだ。リソース溜池の底に抜け穴が開いているとして、この火山よりましな道とは思えない。」
遂に判明した今度こそ本物の脱出口。それは、この海で最も危険なポイントであった。四百五十メートルは電子潜水で潜る深さとしては一般に深すぎると判断されるものだ。ゴードンが何らかの対策を打ってくれるとして、大勝負になるだろう。
「なあ、ここまで来てなんだけど、あんたを信じていいんだよな?危険な海底火山まで行ってまた訳の分からない空間に出たりしないよな?」
「僕にだって面目というものがある。人間の死を面白がるほど悪趣味でもない。実際他の端末に秘密で小型の耐圧パルスキューブを送り込んだことだってある。それに……君たちに、一つ頼みがあるんだ。」
「頼み…ですか?僕たちに出来る事であれば…」
シュミットは首を傾げた。脱出のためなら、相当厄介なことでも引き受けなければならないだろう。しかし、これから危険な海底火山のサイバーポータルに向かうというのに、何をしろと言うのだろう。
「入っていいぞ!」
不意にゴードンはドアの方を向き、左手を上げた。次の瞬間、扉がゆっくりと開き六十センチほどのキャタピラで走る人形が部屋に入ってきた。
「彼を、連れて行って欲しいんだ。」
「人形を、ですか?」
「人形じゃないさ、彼は生身の人間。つまり君と同じ状況さ。」