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【Legacy Ocean Report】#29 絶海の王国へようこそ

甲板の上で向かい合う両者。突如海中からエントリーしてきたのは、褐色の肌に白い紋章を走らせた、精悍な目付きの青年だった。

「これが…この海域の主…?」
「IDコールは無い…言葉は通じるか…?」
コンタクトの仕方にあぐねる一同。まさかここまで人に近い姿だとは思わなかったのだ。クルーザーはなおもスピードを緩めない。最悪振り落とすことも選択肢の内だ。

「君達は何者だ。この辺りでは見かけないが。」
褐色の青年は口を開いた。言葉が通じる。
「我々の言葉が分かるのか…?」
ボストークは驚きを隠せなかったが、まだだ。言葉が通じることと意思疎通が図れることは別だ。
「漂流物を検問する中で得られた遺物言語の一つと一致する。まさか実際の話者と会うとは思わなかったが。」

「我々はこの海に迷い込んだ探検家だ。この先にある火山に存在するという出口を目指している。」
ボストークはなるべく言葉を選んだ。興味や疑念は持っているようだが、今のところ敵意を抱かれてはいない。ここで一悶着起こす時間の余裕はない。
「火山…?」
「そうだ、君達の縄張りをなるべく迂回するべく航路を選んでいた。」

「なるほど。」
青年はじっと観察するようにこちらを眺めていた。恐らく彼の種族は基本の姿が人と同様で、魚にメタモルフォーゼ出来る特異性を備えているのであろう。あるいはその逆かもしれない。情報の海に住む異種文明とは興味深いが、今は生きて帰れるかの瀬戸際なのだ。
「深い事情は分からないが急いでいるようだな。申し訳ないが、君たちを面倒なことに巻き込んでしまったかもしれない。」
彼はそう言い放つと、噛み潰したような表情で遠くに視線をやった。
「何……?」

「追われているんだ。」
後方、海面からナイフで裂く様に突き出た多数の背びれが見えた。
「いっぱいくる!」
「七時の方角から敵影、数は……大体四十!」
数が多い、しかも速度はこちらよりもわずかに上だ。電子海洋航行用の船舶は、それほどスピードが出る設計になっていないのだ。
「迎撃するか!?」
レイの腕からバイオチェーンソーが伸びかけるが、ジーンはそれを制止した。
「今刺激するのは一番ダメなやつですよ、それにあいつらが狙ってるのはあの色黒兄貴なんでしょう!?」

「そういうことだ!」
青年はその身をひるがえすと、再び熱したチョコレートのように融解しながら海へと注ぎ込まれていった。金色に光るサメは獲物はこちらだと言わんばかりに何度か飛び跳ねながら、こちらからできるだけ離れる様に泳ぎ去っていく。それを追うように、数十匹のサメたちが進路を曲げながら向かっていく。

「事情は分からんが逃がそうとしてくれてるみたいだ、今のうちに行くぞ!」
シュミットはクルーザーの推力を最大まで上げ、離脱を図る。水しぶきが上がり、船が僅かに跳ねては滑るように駆けてゆく。その脇で、水面から飛び上がったサメの一匹がこちらに視線を向けた。
「逃がしてくれよ…こちとら害をなす気はないんだ。」
祈るようにつぶやくシュミットを睨むその目は、知性を宿しているせいか余計に冷酷に見えた。


彼ら狼男のように魚に変貌する謎の種族は、アナザー・オーシャンの北西部にかなり大きなテリトリーを作っているらしい。推測される直径は、最大で300キロメートル。行動圏はもっと広いとみていいだろう。次に彼らと遭遇した時のことも考えておかねば。

「あれはいったい何者だ?」
「外海と隔絶した環境下に構築された、電子生物による文化圏。スケープゴートのようなアバターに自我が宿ったものでもない。前例がないが、ありえないと断定する理由もない。幸い一人目が敵対的でなかったおかげで、コンタクトを取れる相手だという事も判明した。」

シュミットは疑念を抱いた。電子生物はスターダストが宿ったデータの構造に沿って動き、世代を更新していくうちにある程度本来の姿に近づくとされる。であれば、彼らは一体…。

「前方、暗礁地帯!」
日が徐々に傾く中、航路上の海中からは大小の岩が突き出し、天然の迷路のようになっていった。岩の間には薄く霧が張っており、遠くの景色をさらに滲ませる。視界の悪いこの状況は通常なら逃走に向くが、水中に潜む種族相手では逆に分が悪い。なるべく速度を落とさぬよう、広い場所を狙いながら進む。デコイでもあれば逆に足止めの罠を張ることが出来るのだが…。

レイは望遠コンソールに暗視補正をかけ、警戒を兼ねて海中から突き出る岩山を観察した。よく見るとそれは予想通り、ヨルムンガンドの岩壁に似たオブジェクトデータの固着した塊だった。あの青年はこうした遺物をオベリスクに刻まれたルーン文字のように解析し、あそこまで話せるようになったのか。

あるいは、彼らの間ではこうした残骸の分析が相当に進んでいるのだろうか。だとしたら、万一捕まれば貴重な研究材料として相当な足止めを食らうか、二度と解放されないかもしれない。
「何かあったか?」
「いや。周りの岩が全部、ヨルムンガンドの壁と同じようなものだって事くらいしかわからない。」
「思い出したくないね、一時はあそこに住み着いていたというのに。」
「まったくだ。」

それからおよそ一時間。日は完全に沈み、辺りは闇に包まれた。シュミットは船楼の照明をすべて点灯し、目立つのを覚悟で突っ切りを狙う。
「追手はいなさそうですね…。」
ジーンの暗視モジュールは岩陰に潜む罠を探すが、見当たらない。だが水中はどうか。
「海図を元に判断するなら、この暗礁をあと二時間ほどで抜ける。そうすれば、彼らの国からは完全に離脱できるだろう。」
二時間。あと二時間この警戒が続くのか。

「……む。」
ボストークが異変に気付いた。さっきまで広かった岩幅が徐々に狭まっている。この岩の迷路のような地形ははまり込むと厄介だが、旋回して戻る危険はなるべく冒したくない。
「そろそろ動きづらい場所に来たなぁ、なるべくまっすぐ進めるといいんだけど。」
シュミットは舵を掴んだまま顔を乗り出し、ライトに照らされた海面を見つめる。闇の中は鬼が出るか蛇が出るか。それとも……。

その時だった。左右の岩陰から突然幾つもの影が躍り出て、勢いよく鎖を引いたのだ。鎖は周囲の岩に巻き付きながら続き、ドリトル号の前方左右にそそり立っていた柱岩を引き倒した。水しぶきを上げ海面に打ち付けられた大岩は、船の進路を完全にふさいでしまった。

「まずい!」
急ブレーキをかけ、Uターンを試みるドリトル号。だが、相手は次々と岩を飛び移りながら向かってくる。たちまち電子クルーザーは二十体ほどの集団に取り囲まれてしまった。
「やれやれ、手荒いお出迎えだ…。」


彼らは解析不能の未知の言語で合図を送りながら、ドリトル号に次々とロープを飛ばし、曳航し始めた。相手が一人や二人ならロープを断って逃げだすことも容易だが、相手の数はさらに増えるばかりで、最終的に四十人以上の大所帯が船を取り囲んでいた。恐らく水面下にも同じくらいの数が控えているのだろう、時々船底に何かがぶつかる音がする。

やがて我々の船は夜明けまでかけて、彼らのテリトリーの中心近くまで運ばれていった。それは海面から伸びる無数の建造物からなる都市。いや、もはやそれは国であった。その中心でひときわ大きく、山のようにそびえたつ城のような建物、船はそこへ向かっている。

兵士たちに船を降りるよう指示された我々は、そのまま橋桁を渡って城の麓まで連行された。城は近付くとさらに大きく見える。高さは少なく見積もっても百五十メートルはあろうか。それも岩肌を削りだした類のものではなく、建材を使って計画的に築かれた城塞だ。逆に言えば、これだけの人工物を作り上げるだけの規模の社会がここにはあるのだ。

麓では我々を見張る兵士が交代し、百段近い階段の先にある城門に向かうよう指示された。手枷の類こそなかったものの、少しでも逃げるそぶりを見せれば、すぐに左右に控えた兵士が槍を向けるだろう。ここはもう、彼らの世界なのだ。

城の内部は青みがかった灰色のタイル張りで、吹き抜けのホールが幾つも連なっていた。抜け目無くセンサーを起動したボストークは、それが電脳都市由来の固着したジャンクデータを整形しているものと判断した。壁にはあちこちに教会を思わせる大規模なステンドグラスが張られ、透過する日光を淡い極彩色に染める。そのいくつかは彼らに伝わる伝承の類を描いているようにも見えたが、詳細まではわからなかった。

ホールを抜けること五部屋。城内は思っていた以上に広い。そしてその先で待っていたのは、壇上に立つ複数の大きな人影だった。それぞれが恐らく彼らの地位を意味すると思われる、色鮮やかな装飾に身を包んでいる。彼らは我々の方を見ては、何やら例の聞きなれない言語で言い合っている。言語推定プロトコルも精度10%未満の結果しか出せていないが、我々の処遇について話し合っているのは間違いなかった。

その中の一人、大柄で大きな口にひげを生やした男がオペラ歌手のような低音を部屋中に響かせた。周囲で資料に目を通したり我々を指差して議論していた者たちが、一斉に男の方を向く。男は続けて読経のように無機質な、しかしやはり大きく良く響く声で宣誓を始めた。我々の脇で構えていた衛兵が跪き、頭を下げる。

部屋の中心まで連行された我々を見下ろしながら、壇上の者達は激しい論争を始めた。よく見ると向かって左側の者達は濃い青のケープを纏い、右側の者達は暗い赤色のケーブを纏っている。恐らく異なる派閥に属しているのだろう。そういえば最初に会った青年は蒼いケープを纏っていたが…。

未知の言語による激しい論戦は二時間にわたって続いた。正面の壁には幻灯機によるスライドが幾つも映し出され、この城の周囲を映した図像や一帯の海域、更には我々の姿を簡単に描いた図画が淡い光で照らし出された。この部屋にはステンドグラスの窓が無く、天井四方で照明が照らしていた。会議中は前方の照明が落とされ、闇の中で壇上の論戦が続く。

やがて再び壇上奥の男が儀礼的な大声を響かせ、会を締めくくった。我々はさらに奥の通路を進み、階段を幾つも下った先にある大きな扉を抜け、石造りの部屋に囚われた。


「……と言う訳だが。」
ボストークは記録映像を見返しながら脱出の手掛かりを探った。都市区画の直径は二十キロメートル。最低でもそこまでは走らなければならない。それも、その途上でクルーザーを奪取しなければならない。
「船に残したビーコンキューブはまだ海上に反応があるね。あの桟橋に残されたままみたいだ。もっとも、そこまでが一番警備が厳しいわけなんだけど。」

「それにしても狭苦しい場所だな。」
レイは右手で扉を撫でる。壁も扉も鉄格子すらなく、固着データを成型したレンガ状の物体で隙間なく覆われている。扉に張られた一枚のガラス窓がなければ、まるで棺桶の様だった。
「彼らは姿を変える時一瞬液状化していた。牢獄に隙間があると、すり抜けてしまうからな。」

「夜になれば、多少は警備も緩くなるだろうか?」
「ないと思いますよ、だって奴さんたち完全に夜目が利いてた感じでしたから。夜行性だったらかえって危険ですね。」
ジーンはホログラムを幾つも開いては突き合わせ、そのたびにため息をついた。一行の中でも彼とシュミットは生身の人間であり、物理的な肉体と今にも切れそうな線で紐づけられているに過ぎない。こんなところで足止めを食らうわけにはいかないことは、彼が一番知っていた。

「でられないかなぁ。」
不満げに呟くジャスミンの袖から蔦が幾つも伸び、壁面を這う。普通の牢獄ならどんなに厳重でも通気口があるものだが、電子空間上の閉鎖区画にはそんなものは必要がない。扉や壁を破らない限り、出る手段はないのだ。
「下手に破壊工作を行えば、大量の兵士を相手にすることになる。恐らくまた我々の処遇に対する議論が行われ、その際に出ることができる。狙うならそこだ。」
「それが明日という保証はないのが厄介だけどね…。」
壁にもたれかかったシュミットは意気消沈していた。クルーザーを制御していた彼は、拿捕された責任を感じて気力を失っていたのだ。


その夜、何の解決策も見いだせないまま我々は眠りについた。辺りは予想通り日が落ちても騒がしいままで、部屋の前を時々兵士があえて靴音を立てながら通り過ぎていく。唯一幸いなことがあるとすれば、我々の所持品はアバターと紐づけられているため取り上げられなかったこと。彼らは電子空間のプロトコル作法について、初歩的な知識も持たないように見えた。

…………。


「おい、君達!大丈夫か!」
レイは聞きなれない声が突然耳元で聞こえ、大声を上げながら飛びあがった。
「な、何だ!?」
その目に見えたのは、大柄な猫背の老人。蒼いケープと緑色のローブを纏った彼は牢獄の扉を開いて中まで入ってきていた。その外では数名の兵士が、心配した顔つきで我々を見ている。

「大丈夫だ、ちゃんと生きている!」
老人は兵士たちに大声で伝えた。兵士たちは胸をなでおろし、我々一行が次々と目を覚ますのを確認すると持ち場に戻っていった。
「一体何事ですか!?寝ることも許されないんですかここは!?」
跳ね起きたジーンは真正面にいた老人と目が合い、キョトンとした。
「……どちらさまで?」

「私の名はキリノ。この城の書記官兼知識庫長だ。君たちの言葉を収集し、編纂したのも私だ。発音まで正しいかは自信がないがね。」
「大丈夫、十分流暢ですよ。それより、我々はどういった経緯で捕らえられたんですかね?異邦人だから?侵入者だから?いきなり牢屋って酷くないですかね!?」
畳みかけるジーンをシュミットが抑え、黙らせた。彼だって同じ気持ちだ。同じ気持ちだが彼は兵士達と違い言葉が通じる。敵意も感じない。

「あなた方が怒るのももっともです。我々は通常、侵入者を追い払いはしても捕らえることはしません。広い海で追いまわすのは大変だからです。」
キリノは何か言葉に詰まっているようだった。そして牢屋の外を見回して誰も居ないのを確認すると、話を続けた。
「色々とあるんです。下手なことをいえば私がここに閉じ込められることになる。まず、この国は…二つの王族が支配しています。十年に一度、二つの王族のどちらが政治の主導権を握るか臣民達に問い、より多くの票を得た王族が政権を担います。」

「なるほど、二大政党ならぬ二大王族による選挙制か。」
「もしかして、その纏ってる青や赤の布は…。」
「王族、及びその直属の者達の権威を示すものです。私は西のオケアノス家に代々仕えているので、この蒼い外套を拝領しています。もう一つの赤い外套はフレイミー家に属するもので、今はこのフレイミー家が実権を握っています。」
キリノは野党側の王族所属で、権威が弱い。王国の頭脳である知識層ゆえだいぶ自由な行動が保証されているが、敵するものとみなされるのはなるべく避けたい立場なのだ。

「ここ数十年、比較的穏健なオケアノス家が実権を握りこの国を治めてきました。フレイミー家は数百年前に起こった外国との戦乱を経験した家系で、政権を取る度兵役の強化を掲げてきたんです。」
「兵役ってどこと戦うのさ?この国の外にはここと並び立つような組織なんてありゃしないんだろ?」
レイは膝に頬杖を突きながら問いただした。そもそも彼らが戦った戦乱とは何だ。この海は数十年前にゴードンが構築した空間ではないのか。

「ええ、もう何百年と戦争なんて起こってやいません。何せ相手がいないんですから。しかしフレイミー家は見知らぬ漂流者を見つけてはスパイを見つけたと喧伝し、あるいはオケアノス家にありもしない嫌疑をでっちあげては揺さぶりをかけてきたのです。」


「事態が急変したのは今から十五年ほど前の、嵐の夜の事。オケアノス家の第一後継者候補であった幼きヴァルハイ王女が暴風にあおられて海に転落、そのまま行方不明となったのです。必死の捜索もむなしく、我々は彼女を見つけることは出来ませんでした。」

「これはオケアノス家にとって非常に大きな痛手となりました。フレイミー家はオケアノス家を『政治を行う能力を失った』と呼び、支持者を増やしていきました。その結果、ついに勢力の逆転を許したのです。」

「勿論我々も、指を加えて見ているばかりではありません。第二後継者候補であったマオ王子を筆頭に国家運用の在り方について日々議論を重ね、また知識を深めていきました。あなた方の言語に対する知識もその一つです。外界に敵がいるという奴らの妄想を打ち破る必要がありましたからね。」

「ところが奴らはマオ王子についても小汚い政略を仕掛け、追い落とそうとしているのです。そう、あなた方が外洋で出会った青年こそオケアノス家の次期……どうなさいました?」
少し語り過ぎたかなと思いながら見上げたキリノは、一行がやけに静かに、神妙な顔つきでこちらを見ていることに気付いた。何かがおかしい。

「ねえ、今の王族争いに出てきた王女様ってもしかして……。」
「ああ。キリノ殿、もし我々の勘違いだとしたら申し訳ないのだが…。」
そう言うとボストークはホログラムを展開し、彼らの都市のキャピタルマスターの、この調査の総司令官の姿を映し出した。その姿を見て、キリノは悲鳴を上げ、凍り付いた。

それを聞いて駆け付けた警備兵の後頭部を掴み、キリノはホログラムを見せつける。次の瞬間兵士はまるで理解不能なものを見せつけられたように混乱し、倒れ込んだ。
「き、君…これは……これは……!」

「我々の街の主、オケアノス=ヴァルハイ。我々は、彼女の命でこの海までやってきたのだ。」