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【Legacy Ocean Report】#11 異邦の狩人

振り向いた三人が見たのは、赤いパーティクルを散らしながら白熱する光と、その着弾によってできたであろう炸裂跡であった。
「敵襲か!?これも新種の電子生物によるものか!?」
「わからない、だが今のは恐らく我々に対する警告だ。何者かの縄張りに入ってしまったのかもしれない。」
チリチリと音を上げパーティクルをばら撒く発光体に、ジャスミンが木の枝を生成して近づけてみる。枝の先端が割れるような音を上げて紅く光り、やがて黒くなると徐々に崩れていった。
「えだが……。」
「驚いたな、これは…概念の炎だ。という事はカヴンチェインか。」
横目で枝が炭化するのを見たボストークは再度辺りを見渡す。視界の端、風のように飛び渡る何かを捉えた。

「ほう、そこのロボット君はずいぶん物知りじゃないか。」
常闇の回廊を飛び回っていた金色の影が、縦穴の足場の上で止まった。プラチナブロンドの髪、長く伸びた尖った耳、そして全身が微かに光を発している。ハイエルフのアバターだ、頭上にはちゃんとIDコールもある。
「そう、いかにも私はカヴンチェイン構成都市の一つ『リブレス』市民、バーチャルハイエルフのシュミットだ。」
シルクハットこそなかったがその黒い礼服は紛れもなく復古魔法連合…カヴンチェインの物であり、体から発するフォトエミッション量をコントロールすることで自在に闇に紛れる。

シュミットがブレーサーから展開したコンソールを操作する。ジャミングが解けたのか、センサーにようやく反応が出始めた。
「こんなところで何の用だ、いやむしろどうやってこの大迷宮に進入を果たした。」
ボストークは細いアームの先を上古の民に向け、問いただした。
「君たちがこの場所を見つけたこと、そして遅かれ早かれ潜入調査に踏み切るであろうことは、レッドチェインの外にも伝わっていたのさ。我々の上層部がその無謀な行動を問題視した。廃棄コンティネントの一つで、ラビリンスガーデンのものと類似したエントリーポイントを発見した我々は、この場所の真実を先んじて知るべく、武装小隊による強行調査を決定したのだ。」

残り火に照らされていたレイが歩みだし、頭上のハイエルフを見据えて口を開いた。その左腕からはテールソードが伸び、これ見よがしに地面を小突いている。
「俺からもいくつか聞かなきゃならないことがある。まず、小隊といったな。他の連中はどこにいる?すぐそばに潜んでいて一網打尽にするつもりか?」
「…どこにもいないよ。みんなアラガミにやられてしまった。」
「アラガミ?」
「君たちも見ただろう、あの多数のアバターが融合した大蜘蛛の事だ。どういう訳か上層部はアレについての知識を持っていて、アンロックされた非常用システムのデータベースで見つけたのだが…その頃には我々は壊滅していた。」
シュミットはお手上げのポーズをした。

「余裕ぶってた割にボロボロじゃねぇか。でもあんたら人間はアバターがぶっ壊されたところで、ヘッドセットや神経コネクタを切断すれば出られるだけの話だろう?俺たちスケープゴートはアバターと魂が一体化してるから出られねぇんだよ。」
レイは皮肉を込めた恨み節のつもりだったが、なぜか相手の表情がよくない。ハイエルフは急に黙りこくったまま、こちらをじっと見ている。
「……どうした?まさか、出られないなんて言うんじゃねぇだろうな?」
「……そのまさかだ。」

シュミットが言うには物理的な肉体を認識できなくなり、コンソールからの端末強制切断もできなくなっているという。他の連中は確認する間もなくアラガミの餌食となった。物理空間での彼らがどうなっているのか、もはや知る術はすべて失われていた。
「よくて昏睡状態、悪ければそのまま即死だ。メガロチェインのVRダイブというのは単なる覗き窓でも催眠機構でもない、既知科学で未解明の何らかのシステムに暴露する行為。上層部からそう聞いていたが、まさか自分が実験台になるとは思わなかったよ。」
ハイエルフは半ばあきらめたような口調で語ると、苦笑いした。

「……その体たらくだと、取っておいた最後の問いも意味がなさそうだな。お前たちが使ったそのエントリーポイントとやらは…もうないんだな?」
「アラガミの襲撃で仲間を失った私は、進入に使用したポータルからの脱出を試みた。だが、そこにあったはずのポータルはもはや跡形もなくなっていた。どのみちエントリーから二か月以上も経過しているから、行先である廃棄コンティネント63号自体が今頃フルデプスになって断絶しているだろうがね。」
対立組織との邂逅。それがもたらしたのは希望でも絶望でもなく、ただただ遭難者が一人増えたというだけの虚しい事実だった。あえて言うなら、シュミットは生身の人間であり、メガロチェイン上の意識が物理的肉体と断絶された危険な状態という事だ。

三人はシュミットの案内で、遭遇地点からさらに二階層ほど下った所にあるキャンプに向かった。キャンプと言っても回廊にはほとんど資源がないため、シュミットが自分の設営ツールと仲間の遺品から作った粗末な拠点だったが、ゴーレムの巡回ルートから外れていることとジャミングフィールドで存在を秘匿していることで一応の安全は保たれていた。
「寝首を掻く気は無いから安心して休んでくれ。脱出を目指すなら、考える頭と手がかりを見つける目は多い方がいい。」

キャンプの中央では、煌々と焚き火が燃えていた。周囲に火の粉じみて舞う赤や黄色のパーティクルは、闇の中に微かな色合いをもたらしていた。
「こんな絶望の中でも、この火を見ると少しだけ安心するんだ。」
それは人間特有の感情とでも言うべきであろうか、獣にとって恐怖である炎に平穏を感じる感覚。そして彼がアバターとして纏うハイエルフもまた、本来エルフが恐れる炎を克服した上位種族であった。一方電子空間の住人であるレイやジャスミンは、映像記録でしか見たことのない炎の電子的実体に興味を惹かれていた。

「触れないように気を付けて。」
ボストークは道中で拾った木片を火にかざす。木片は赤熱してパキパキと音を上げ、濃い赤と黒のパーティクルを周囲に撒いた。横で見ていたジャスミンは薪を幾つか生み出すと、見よう見まねで一つずつくべてゆく。本当は概念の炎は炎を再現する現象のようなもので、燃料を追加し続ける必要はないのだが、精神の安寧を維持するための手段としてカヴンチェインの一部で行われてきたヒーリング法だった。

一方焚き火を設営したシュミットは見慣れない機械をインベントリから取り出し、組み上げると灰色のインゴットを詰め込んでいた。
「それは何だ?」
「食糧生成用のプロセッサさ。電子生物の残骸から喫食可能なレーションを合成する。特に君たちはこれが無いと飢餓状態に陥るんだろう?」
「残骸って、この回廊にはアルミラージもあんまりいないだろう。流石にゴーレムを食うわけにもいかねぇし…今あんたが加工している、それは何だ?」
ハイエルフは作業の手を止め、饒舌だった口を紡いだ。そして何かためらっているようなそぶりを見せながら、モバイルインベントリから残骸の一つを取り出す。それは、人間の脚部……?
「…グリーンマンだよ。この区画でまともに手に入る糧食源は、これしかなかった。ゴーレムから生えた植物も、時折見つかるキノコも食料としては使えなかった。」
そう言うと彼はグリーンマンの脚をプロセッサで加工し、数点のレーションを合成した。

一同はレーションをそれぞれ齧り、ささやかな食事会とした。
「ソイレントじみているな、食料が手に入るだけマシではあるが。しかしグリーンマンがいるところという事は…。」
「そう、アラガミの住処に潜り込んではグリーンマンを仕留め、追跡を巻いてなるべく大回りで戻ってくるんだ。簡単な話ではない。しかしグリーンマン化していないアバターはプロセッサが拒絶して処理できなかった。」
多様性に乏しいこの空間で利用できる資源を求めて、シュミットはあらゆる手を打った。ゴーレムを他の個体から引き離して罠にかけ、解体する。回廊の木板をかき集めてオブジェクト再構築、簡易建材に転用する。グリーンマンを攫い、「処分」して食料にする…。

レイとジャスミンは簡易テントの中で眠りについた。時刻は午後11時半、しかし慣性制御時計がどれだけの誤差を生んだかわからない。コンティネント情報の時刻表示はバグったようになって読めず、たまにまともな値を表示したかと思えば、てんでバラバラな時刻を繰り返していた。
「…………。」
シュミットとボストークは焚き火を囲み、薪をくべ続けていた。
「…眠らなくていいのかい?」
「そういう気分じゃない、それに私はあの子たちほど頻繁に眠らなくても平気だ。」
「だが、ここでは休める時に休んでおくことが大事だ。目の数を増やすとは、そういう事だ。」
小枝をもう一本火に投げ入れる。たちまち崩れ火の勢いが一瞬増す。
「君こそずっと一人で活動していたんだろう?眠らなくていいのか?」

「眠らないと疲弊してくるはずなんだがな…何故だかその感覚がない。疲れても休めばすぐに回復してしまう。なんだかな、もう本物のハイエルフになり始めているのかもしれないね。」
シュミットは苦笑いしていたが、不安と恐怖を隠すことはできなかった。心拍の代わりに体から発する光学エミッションが淡く増減し、わずかに荒くなった呼吸と同調していた。
「時々思うのだ。このまま帰れないかもしれないが、帰ってどうするとも。メガロチェインで暮らす人々は、大なり小なり外の生活に依存している。だが、外の世界は外の世界で様々な苦痛にさらされる世界だ。だからこそ人々は仮想空間に理想郷を作るべく、あの煌びやかな電脳都市の数々を作り上げた。ここは地獄かもしれない。だが地獄ならば、地獄なりに暮らしようがある。これはこれで、悪くない。」

そう呟きながら顔を上げたハイエルフの目に映ったのは、紅く光る巨大な機械の単眼だった。驚く間もなくワイヤーのように細い腕がシュミットの胸ぐらを掴み、2mはあろう高さにあるテレビカメラに似た頭に引き寄せた。
「な、何をする!?」
もがくシュミット、しかしボストークは万力のような力で締め上げたまま、宣告するように静かに、しかし重く言い放った。
「希望を捨ててはいけない。道を閉ざしてはいけない。帰る望みが、帰る場所があるものは、自らそれを捨ててはならない。」
炎よりなお赤く灯ったその瞳には、無機質なボディの底に宿る魂の叫びが映っていた。